2017年 04月 09日
クリスティアン・アルミンク指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : クリスティーナ・オルティーズ) 2017年 4月 8日 オーチャードホール
もともと出演が予定されていた指揮者グスターヴォ・ヒメノは、上のチラシにある通り、2015年11月にオランダの名門、王立コンセルトヘボウ管弦楽団の来日に際してその指揮を取り、ソリストがピアニストのユジャ・ワンであったことにも助けられ、ツアーを成功させた人。私はその際に名古屋と東京で同じ曲目のコンサートを聴くことができ、大変面白い事件に遭遇したこと、そして、その事件に関連した発見が、その後見たコンセルトヘボウ管に関するドキュメンタリー映画の中にあったことなどを、かつて記事にした。詳しくは、2015年11月10日と14日、そして 2016年 2月 7日の記事をご参照。
そして、今回の指揮台に立ったアルミンクは、2003年から 2013年まで、新日本フィルの音楽監督を務めたことは記憶に新しい。1971年生まれで、このような端正なルックスも人気の秘密であろう。実物はもっと男前かもしれない。
ブラームス : ピアノ協奏曲第 1番ニ短調作品 15 (ピアノ : クリスティーナ・オルティーズ)
リムスキー = コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35
まず紹介したいのは、客演コンサートマスターを務めたライナー・キュッヒル。天下のウィーン・フィルの文字通り顔と言える元コンサートマスターであり、先の東京・春・音楽祭における「神々の黄昏」でも N 響を率いてコンサートマスターを務めていたが、それに続いての登場。しかも今回、後半の曲目は、ヴァイオリン・ソロが縦横無尽に活躍する「シェエラザード」だから、期待もひとしおだ。
今回、オルティーズはドレス姿ではなく、上下とも黒のパンツルックで現れた。1950年生まれなので既に今年 67歳ということになるが、技術的な衰えは聴かれず、音楽の流れに乗り、オケ・パートで炸裂する音をよく聴きながら、自分の音を紡いで行く。素晴らしい。ただやはり、この曲では強い打鍵が必要で、そうでなければオケと張り合うことができない。その点にこそ、女流が敬遠する理由があるのだろうか。だがしかし、女性でも強い音を出す人はいるし、男性でも弱い音しか出せない人もいる。21世紀の今日、男女で打鍵の強さを云々するわけにはいかないし、それこそユジャ・ワンなどはいずれこの曲を弾くのではないか。そして、もし彼女がこの曲を弾いたら・・・と想像すると、残念ながらオルティーズは少し分が悪いかもしれない。彼女の持ち味には、強い音でバリバリ弾きこなすというイメージがあまりなく、時として弱音部で美麗な音を聴くことがあっても、オケ・パートでブラームスの若い情熱が極度の盛り上がりを見せたときには、どうしても音量が不足してしまう。もしかすると、指揮者としても伴奏が難しいのだろうか (そう言えばカラヤンは、2番は演奏したが、この 1番は演奏しなかった)。アルミンクは強靭な音を N 響から引き出すことには成功していたが、ピアノを浮き立たせるようなオケの鳴らし方は難しいのかもしれない。ともあれ、オルティーズの演奏は自らの持ち味を出したものであり、演奏後、「ワーオ」と声を出して、大変な曲であったことを聴衆に訴えて笑いを取ったのも、本人としては精いっぱい弾いた解放感があったからだろう。そして彼女が弾いたアンコールは、今度は母国ブラジルの作品。フルトゥオーゾ・ヴィアナ (1896 - 1976) の「コルタ・ジャカ」という曲。1931年の作で、サンバのリズムすら思わせる軽快な曲でありながら、きっちりとまとまった曲で、ここではオルティーズの千変万化するピアノの音が大変に効果的。新たな作曲家との出会いであった。
そうして後半の「シェエラザード」であるが、ここでは、私が以前アルミンクの演奏において課題と感じることもあった音の緊密さも申し分なく、胸のすく快演となった。考えてみれば N 響は、2月末から首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィとともにヨーロッパへの演奏旅行に出かけ、帰国してからは超大作「神々の黄昏」に取り組むといいった、大変に充実した演奏活動を継続しているわけであり、今回の演奏はその流れを感じさせるものであった。この曲は冒頭の重々しさが全体のトーンを決めるようなところがあるが、今回のアルミンクと N 響は、充分な音量、かつその中に細かいニュアンスも含む、大変にいい音で演奏を開始した。そして、いきなりキュッヒルのソロ・ヴァイオリンが美麗の極致を聴かせる。まさに独壇場。面白かったのは、何度も出てくるヴァイオリン・ソロの表情はその時によって違っていて、少し早めであったり、逆にゆったり歌ったりと、自由自在である。また、彼の存在によって (前半のブラームスもそうであったが) 弦楽器全体がうねりを伴って音を響かせており、さすがだと思ったものだ。アルミンクはもともとスリムな人だが、登場したときには一層痩せたように見えてちょっと心配だった。しかしながら、指揮台では充分精力的に指揮をして、彼の長所である明晰さを持ちながらも、腹に響くような重々しさも聞かせるという成果を見せた。オケは全員一丸となってこの難曲を楽しんで演奏したと言ってよいと思う。そして、アンコールとして演奏されたブラームスのハンガリー舞曲 1番も、湯気が沸き立つような名演で、会場は熱気に包まれた。
今回のプログラムにキュッヒルのインタビューが載っているが、N 響のことを褒めている。東京・春・音楽祭での 4年間の「指環」演奏のほか、2011年には尾高忠明の指揮で「英雄の生涯」のコンサートマスターも務めたが、オケのメンバーと早くコンタクトが取れ、やりやすかったと。もちろん N 響はウィーン・フィルと奏法が違うし、それが当然なので、あるときは自分が合わせたり、曲目によってはウィーン風のやり方を伝えるようにしているとのこと。そして、N 響は継続してよくなっていると発言している。うーん、そういうことなら、このような特別興行的な関与ではなく、期間限定でもよいから、N 響でコンマス業務を続けて頂けないものだろうか。奥様は日本人だし、N 響には昔、もとウィーン・フィルメンバーのウィルヘルム・ヒューブナーというコンマスがいたという実績もある。・・・と思って調べてみると、なんとなんと、今年の 3月31日付で N 響が、4月からキュッヒルの客演コンマス就任について発表している。
http://www.nhkso.or.jp/news/17582/
なるほどこれは大変な朗報だ。どの程度の割合で演奏してくれるのか分からないが、パーヴォ・ヤルヴィとも早く N 響で協演して欲しいものだと思います。東京の音楽界から、また目が離せなくなりましたよ。