2017年 04月 10日
シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年 4月 9日 東京芸術劇場
そんな週末は、仕方がない。オーケストラでも聴きに行くか。あ、まぁ、どんな週末でも大体オーケストラを聴いているのが私の日常なのであるが (笑)。東京のオーケストラには、いわゆる日本の年度に合わせて 4月から新シーズンのところと、欧米に合わせて 9月から新シーズンのところがあるが、今回私が聴いた読売日本交響楽団 (通称「読響」) は前者。従って、4/8 (土)・9 (日) の 2日間に亘って行われた同じ曲目によるコンサートが、今シーズンのこのオケの開幕であったわけだ。指揮を取ったのはもちろん常任指揮者のシルヴァン・カンブルランで、曲目は以下の通り。
ハイドン : 交響曲第 103番変ホ長調「太鼓連打」
マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」
フランスの名匠カンブルランのレパートリーは広く、昨シーズンも今シーズンも、これぞフランス音楽の神髄という曲目も多い一方で、今回のようにドイツ系の音楽を振らせても、その鋭い切り口はそのままで、説得力のある音楽を聴かせるのである。そもそも、ハイドンの交響曲は、オーケストラの基礎となるべきアンサンブルを必要とする音楽であり、このようなレパートリーを愉悦感とともにきっちり弾きこなすことは、どのオケにとっても非常に重要なことであると思う。絵画に例えて言うならば、マーラーのような後期ロマン派の音楽が、色彩溢れる大作の油絵だとすると、ハイドンの交響曲はデッサンと言ってもよいだろう。画家が大作油絵をものするには、細部のデッサンが欠かせない。ともすると大作に圧倒されがちな鑑賞者ではあるが、その作品の裏にしっかりとしたデッサンが描かれているか否かによって、その大作への評価も変わって来ようというものだ。その意味で今回のハイドン、今の読響の充実を物語る、なんとも小股の切れ上がった素晴らしい演奏で、聴いていて本当に楽しかった。この曲はティンパニ (マーラーで使用されたそれとは異なる古いタイプのもので、サイズも小さく、バチも硬いもの) の連打で始まるために「太鼓連打」というあだ名があるのであるが、冒頭で太鼓だけがドコドコ鳴る部分は、なんとも祝祭的なイメージだ。これはシーズン開幕の祝砲であったのか。だが序奏では深いところで何かがうごめくような音楽になり、それがゆえに、主部に入ったときの溌剌感が強調される。すなわち、低音の充実が重要であるのだ。その点、チェロが 4本であったので普通なら 2本となるはずのコントラバスが 4本いて、しっかりと低音を支えていた。さすがカンブルラン、才気走っているようでいて、基本をきっちり抑えているのである。全 4楽章、読響の優れたアンサンブル能力がフルに発揮された、素晴らしい演奏であった。交響曲の最初と最後という観点でも、何か発見がないかと思って聴いていたのだが、この曲の終楽章には、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の大詰めの音楽に似た個所が現れる。また、第 1楽章の序奏では、ベートーヴェンの交響曲第 1番を思わせる部分があり、主部の勢いのある部分は、例えばシューマンの 2番を連想したくなる。うむ、そうなると、第 2楽章アンダンテはブルックナーの緩徐楽章に、第 3楽章メヌエットはマーラーのスケルツォ楽章に、つながっているような気がしてくるのである!!・・・まあさすがにちょっとそれは盛り過ぎですな (笑)。これが、「パパ」と呼ばれたハイドンの肖像。
私はこのコンサートに行くまで彼女のコンマス就任を知らなかったが、読響の 3月22日付の発表によると、これでこのオケのコンマスは、彼女と小森谷巧、長原幸太の 3人体制となり、日下紗矢子は、特別客演コンマスになった。この荻原さん、ベルリンやハンブルクで、豊田耕兒やコーリヤ・ブラッハーに師事、マーラー・チェンバー・オーケストラのメンバーを経て、2007年からケルン WDR 響のコンマスを務めたという。と書いていて、何か記憶の底がモゾモゾするので (笑)、自分のブログの過去の記事を調べてみると、おぉ、なんと、2015年12月 5日の記事で、オスモ・ヴァンスカ指揮の読響の演奏会で彼女が客演コンサートマスターを務めていたと書いていた。なるほど、しばらく準備期間を置いての就任であったわけである。もちろんこのオケの他の 2人のコンマスも素晴らしい人たちだから、刺激を受けることもあろう。思い出してみれば読響は、30年くらい前は弦楽器奏者は全員男性ではなかったか。それが今や、日下に続いてこの荻原のような才能豊かな人が率いることになっているのも、東京のオケの進化と言ってよいだろう。
このように、大変気持ちのよい演奏会であったのであるが、ひとつだけ不思議な現象を経験した。私の席はステージに向かって右側の方だったのだが、後半のマーラーの演奏中、ずっとどこかからほかの音楽が小さな音で響いていた。独唱や合唱が声を張り上げており、ひとつだけ判別できたのは、「グリーンスリーヴス」であった。私の周りの人たちは、もしかして自分の携帯から音が漏れているのかと、しきりにカバンを覗いていたものである (笑)。それにしてもあれは一体何であったのか。別の場所のリハーサルの音声だったのかもしれないし、ラジオのようにも聴こえた。いずれにせよ、熱演に水を差す忌まわしき雑音であって、聴衆としては許してはおけないものだ。もし関係者の方がご覧になっていれば、事実確認をお願いしたい。
カンブルランと読響の演奏、来週末も、もうヨダレが垂れそうな素晴らしい曲目を聴きに行くことになる。そのときにもしまたあのような騒音が聞こえれば、私は大声でわめいてしまうかもしれませんよ!!