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鹿島 茂著 : 蕩尽王、パリをゆく 薩摩治郎八伝

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このブログでもいくつかの記事でご紹介している通り、近代日本の実業家には、桁外れの巨大な富を美術品の収集や、何らかの文化的事業のパトロネージュに費やした人たちが沢山いた。今我々が享受できる民間機関による文化遺産の豊かさを思うと、日本が近代化して行く過程で営まれたそのような行為には、深く感謝する必要があるだろう。今では企業の価値は時価総額で計られ、成長と凋落は頻繁に入れ替わり、オーナー社長の裁量は限られ、大企業の経営者にもサラリーマン化現象が見られる。従って、いかなる企業にも、昔日のごとき内容の文化事業への支援 (まあそれを道楽という言葉で置き換えてもよいケースも多いわけだが) は不可能になっている。時代の趨勢で致し方ないのであろうが、だがそれでも、その遺産に触れることで、文化と経済の関係について思いを馳せることには大いに意味があるだろう。

さて、この本で扱われているのはひとりの実業家で、しかも文化をこよなく愛した人。だが、彼は美術品の一大コレクションは残さなかった。なぜから、彼は蕩尽しつくたのである。祖父から自分までの三代で築いたその膨大な財産を。上に写真を掲げたこの本の帯にある通り、現在の貨幣価値にして 800億ともいわれるその財産を一代で使い切り、しかもそこには明確な美学があるという稀有な人物の名は、薩摩治郎八 (さつま じろはち 1901 - 1976)。
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この本は、その薩摩の破天荒なパリ生活をはじめとする生涯の事績を克明に追った伝記なのであるが、著者は有名なフランス文学者である鹿島茂。鹿島の著述活動 (や収集活動) は、いちフランス文学者の枠内にとどまるものではないが、このようなユニークな人物の伝記を、丹念に史料を追いながら面白く纏める手腕は、なかなかのものだ。実は、薩摩の伝記は現在では何冊か出ているが、この本のあとがきによると、もともとは鹿島が誰よりも早く手をつけたところ、リーマンショックのあおりで、連載していた雑誌が廃刊となったため、仕上げの部分が中断して数年が経過してしまううちに、ほかの人の本が出てしまったとのこと。そのあたりの人間的なところが憎めないし、何より、そのような「ウサギとカメ」式の顛末を語る口調が全く恨めしく響かない点、ノンフィクション作家としての資質を感じさせるのである。

薩摩治郎八は、東京、神田駿河台の木綿商店の息子として生まれ、1920年に英国オックスフォード大学に留学、1922年にはパリに移り、その地における狂乱の 20年代に、その莫大な資金を惜しみなく消費することで、ダンディな東洋人として名を上げた。その後一旦帰国するが、血筋のよい美女と結婚してまたパリに戻り、様々な芸術家・文化人とも交流しながら、一貫して大いなる散財をすることで (?)、パリで最も有名な日本人となる。第二次大戦の勃発時には、戦火が拡大するかの地から引き上げてくる日本人たちに逆行して 1939年にフランスに渡り (その前に薩摩商店は閉鎖に至ったにもかかわらず)、1951年まで滞在。その後は軽めの雑誌などに、古きよきフランスでの豪遊生活の思い出などを執筆していたらしい。この伝記には、その時代の様々な文化人たちの名前が出て来るので、いちいち書いていてはきりがないが、例えば、薩摩は作曲家モーリス・ラヴェルとは親友であり、また藤田嗣治の現地パリでのパトロンであったらしい。薩摩の回想によると、ラヴェルとともに藤田の個展に出かけて、後ろ姿の裸体画を見たとき、ラヴェルはこう言ったという。「こんなに海の感覚を出している画はないね。それでいて裸体の線だけなんだがね」・・・これはつまり、海が描かれているのではなく、裸婦像なのだが、そこに波のような旋律美があったということのようだ。これが藤田のどの作品を指しているのか判然としないが、イメージとしては例えば、このようなものではなかったか。それにしても、音楽で海を描いたのは、ラヴェルではなくドビュッシーであったはずだが、面白い比喩を使ったものである。
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その他にも多くの芸術家との交流が語られるが、面白いのは、今年 1月15日付の記事で、秋山和慶指揮東京交響楽団がその代表作「サロメの悲劇」を指揮した演奏を採り上げた、作曲家フローラン・シュミット。あの後期ロマン派風の耽美的な曲を書いた作曲家は、自宅に風呂がなく、徒歩圏内に住んでいた薩摩の家にまで、よく風呂を借りに来たという!! そんな趣味だったのか。これぞまさに、風呂ーラン・趣味ット (笑)。
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この本の中では、薩摩が回想録で語っている数々の思い出の信憑性をほかの資料で検証したり、若き日のランデブーの相手が誰の奥さんだったかなどについても、かなり立ち入った調査がなされている。正直、少しうんざりするような細かすぎる部分もないではないが、鹿島という人は一旦こだわると、どこまでもとことん食い下がる人なのであろう。その点では明らかに大変な労作であり、文化的な事柄、特に 1920年代パリが大好きな私のような人間にとっては、実に面白い本なのである。まあそれにしても、華やかなりし頃のパリとは、なんという衝動的パワーに満ちた活気ある場所だったのであろう。もともと芸術家たちは、様々な国からやってきていて、貧乏でも志高くドンチャン騒ぎをしていたわけだ (?)。そんな中、欧州の貴族でもなく、いやもちろん日本においても貴族ではなかった薩摩のような人が社交界の頂点の一角を占めたとは、なんとも興味深いこと。現在のパリでは、移民問題の深刻さが様々な緊張を生み出していることを思うと、この薩摩のようなスケールの大きい東洋人がこの時代のパリにいたことは、幸運なことであった。薩摩の晩年の写真はこちら。
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一見普通のおじいさんのようにも見えるが、不鮮明な画像からも着ているものの高級感は感じられるし、何よりもその福々しい顔から、育ちのよさと、そして、様々な幸せな経験をした人だけが持つ落ち着きを見て取れるように思う。もちろん、彼のような豪遊ができる人はほとんどいないし、ましてや上記の通り、その蕩尽は現代ではまず不可能なことなのであるが、せめてこのような先人がいたことを学び、精神的な貴族に少しでも近づければよいなぁ、と思うことである。

by yokohama7474 | 2017-04-11 22:35 | 書物