2017年 04月 16日
ピエタリ・インキネン指揮 日本フィル 2017年 4月15日 オーチャードホール
さて、今回の 2曲の演奏、私の感想を一言でまとめるなら、管楽器には若干の改善の余地はあったものの、弦楽器が上質な音質で音楽の流れを主導し、今のインキネンと日フィルが実現できる音楽の説得力を充分に示したものと言えると思う。この指揮者の持ち味として、熱狂という要素はあまり見当たらないものの、若さに似あわない着実な音楽の足取りは、確かにブラームスの本質のある面を表現していたと思う。例えば弦楽器がピツィカートで音の流れを支えるときには必ず、清流の流れを覗いた時に見える白い小石のように、実に揺るぎない存在感を持って響いていたし、第 3番の第 3楽章や第 4番の第 1楽章では、感傷に陥ることは注意深く避けながらも、紡ぎ出される重層的な音のつながりには瞠目すべきものがあった。力が入り過ぎると空回りする危険のある音楽であるから、このインキネンのやり方には周到な知性が感じられた。課題があるとすると、上記の通り、ここぞというときの熱狂 (第 4番第 1楽章や第 4楽章の大詰めでは、やはりその要素がもう少し欲しい) と、木管楽器のさらなる緊密な合奏ということになるような気がする。考えてみればインキネンは日フィルと、お国もののシベリウス (フィンランド人としてはこの作曲家を演奏するには宿命だ!! 笑) を除けば、マーラー、ブルックナー、ワーグナーといった後期ロマン派をかなり積極的に採り上げて来ている。彼の感性からすれば、バルトークやストラヴィンスキー、あるいはラヴェルやプロコフィエフといった近代の作曲家に、より適性があるようにも思うが、いかがであろうか。面白いのは、たとえそうであったとしても、ドイツ系の音楽の演奏を最初に重ねることで、その後の展開の素地が作られるように思われることだ。きっと彼は何年も先までレパートリーの展開を考えているのであろう。東京の音楽界はなかなかに競争が激しいが、日フィルならではの個性を作って行って欲しい。