2017年 04月 16日
シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年 4月15日 東京芸術劇場
メシアン : 忘れられた捧げ物
ドビュッシー : 「聖セバスティアンの殉教」交響的断章
バルトーク : 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)
今の東京でこのような曲目を演奏するコンビとして最も期待できるのは、やはりカンブルランと読響ではないか。このブログでなるべくタイムリーにご紹介している在京の 7つのメジャー・オケの動向はますます面白くなって来ており、登場する指揮者の顔ぶれも、楽団ごとにかなり住み分けができているので (コバケンのような例外もいるが 笑)、各楽団とも、主要指揮者陣の個性に合わせた非常に意欲的なチャレンジができていると思う。やはり競争があるのは、聴き手にとっては歓迎すべきことである。時間のやりくりだけは、なかなか厳しくなって来ているが (笑)、今回のような演奏を聴くと、今後もなんとか時間をやりくりして、できるだけ多くの生演奏に触れたいと切に思う次第である。
まず最初の「忘れられた捧げ物」は、今年 1月にも秋山和慶指揮東京交響楽団で聴いていて、それも見事な演奏であったが、今回のカンブルランと読響の演奏も、甲乙つけがたい名演であった。カンブルランの手にかかると読響の柔軟性は最大限発揮され、金管の輝きや木管の点滅も、素晴らしいニュアンスである。全く何の不安もなく聴いていられる演奏で、小品、かつ作曲者の実質的なデビュー曲ながら、メシアンの音宇宙はそこに紛れもなく存在していた。
ドビュッシーの「聖セバスティアンの殉教」はもちろん、ローマの親衛隊長で、木に縛り付けられて矢で射られて殉教する聖者、聖セバスティヌスを題材にしており、もともとは戯曲につけられた音楽である。前項で、ストラヴィンスキーの「ペルセフォネ」に触れた際にその名を挙げた伝説のバレエ・ダンサー、イダ・ルビンシュテインのために、イタリア人作家ガブリエーレ・ダヌンツィオが書いた戯曲。作曲には曲折あったようだが、上演時間 4時間以上と言われる戯曲において、音楽が使われる箇所は 1時間程度。今回演奏された交響的断章は、ドビュッシーの友人カプレによる編曲で、4曲からなり、演奏時間は 25分程度。今回はそこに、第 3幕のファンファーレが最初に演奏された (ファンファーレは 2曲と発表されたが、予定変更で 1曲のみ演奏)。この曲、私も CD (ミュンシュ盤とは長いつきあいだ) や実演 (確か若杉弘は音楽を全曲演奏した) で何度か聴いているが、あまり印象的なメロディもなく、さほど親しんでいるわけではない。だが、あの聖セバスティアヌスの殉教というストーリーにもともとある耽美性は音楽から立ち昇ってきて、聴いていて蠱惑的な気分に襲われることは事実。カンブルランと読響の演奏は常にクリアで、実に見事であった。ところでこのダヌンツィオのフランス語の戯曲を、フランス語が充分できないのに一生懸命和訳した人がいる。ヒントはこの絵だ。