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快慶展 日本人を魅了した仏のかたち 奈良国立博物館

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高校生の頃世界史を習っていて、驚嘆したことがある。それは、古代ギリシャ時代の文化人において、思想家や劇作家の名前と並んで、彫刻家の名前も現在に伝わっているということであった。その彫刻家の名は、フェイディアス。パルテノン神殿の総監督として、巨大なパレス・アテナ像を作ったとされているが、それがどのくらい昔の話かというと、紀元前 400年代なのである!! 日本で言えば未だ縄文時代の末期。およそ考えられないほどの彼我の差がギリシャと日本の間にあったわけであるが、そんな時代に個人の名前が認識されていること自体が想像を超えている。翻って我が国では、古代の文化人の個人名が残っている例は、一体どのくらいあることだろうか。最も早い例は恐らく、飛鳥時代の鞍作止利 (くらつくりのとり) ではないだろうか。それは 7世紀のことだ。日本の仏像彫刻は、まさに先日、大阪市立美術館で開かれている「木 × 仏像」展で概観した通り、それ以降 1000年に亘って連綿と続いたのであるが、その中で作者が知られている例がどのくらいあるであろう。しかるにここに、一般の人たちでも知っているであろう名前の仏師が 3人いる。ひとりは、定朝 (じょうちょう)。言わずと知れた、平等院の阿弥陀如来の作者である。だが、彼の作品と確実視されるものは、その平等院阿弥陀如来坐像しかなく、一般的な知名度は、さほど高くないかもしれない。残る 2人の仏師の知名度に比べれば。その 2人とは、運慶と快慶である。古代ギリシャのフェイディアスに遅れること実に 1700年ほど。日本にも個人の名で知られる彫刻家が現れたのである。さてその 2人、いずれも有名な名前であろうが、どちらかといえば運慶の方がより有名であろうか。夏目漱石も、「夢十夜」の中で運慶を登場させている。あるいは、大変ユニークな美術史家として私の尊敬する田中英道も、運慶こそ本物の芸術家であって、快慶の作品には精神性が不足しているということを書いていた。だが、快慶もやはり不世出の偉大な芸術家であることは確かなことである。私の勝手な印象ではあるが、運慶と快慶のどちらが偉大であるかの議論は、例えばミケランジェロとラファエロを比べるようなものではないだろうか。知れば知るほどに双方の偉大さが理解できるというものであろう。その意味では、今年はすごい年なのである。それは、その運慶と快慶、それぞれの展覧会が開かれるからだ。秋に東京で開かれる運慶展に先立ち、今奈良で快慶展が開かれている。奈良以外の巡回はない。ゆえに、日本の美術に興味のある人なら、いやそうでなくとも、これは必見の展覧会であるのだ。すみません、前置きからして既に長い (笑)。

さて、快慶とは一体どのような人であったのか。実は、生まれた年も亡くなった年も定かではない。運慶同様、名前に慶の字のつく、いわゆる慶派と呼ばれる奈良仏師の系列に属する人であることは明らかだが、その運慶との関係も定かではなく、その父である康慶の弟子であるという見方があるが、確たることは分からない。だがその一方で、彼の作ということがはっきりしている作品は数多く、その創作活動とその背景となっている浄土信仰は、かなり明らかになってきている。ともあれこの展覧会では、恐らく空前絶後の規模で集められた快慶の作品の数々を、虚心坦懐に見てみたい。会場ではまず、とびっきりの秀作が訪問者を出迎えてくれる。何の予備知識もない人が見ても、これは美麗な仏像と感じるであろう。
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京都、醍醐寺三法院の本尊、重要文化財の弥勒菩薩坐像である。1192年の作と判明している。ちょうど鎌倉幕府が開かれた年であるが、この像はその年に亡くなった後白河法皇追善のために制作されたという。私はこの仏像を三法院で何度も見ているが、現地では近くにまで寄ることができないので、隔靴掻痒の感をいつも抱いていたところ、この展覧会では間近で拝むことができ、まず感動第一弾である。そして、これが現在、快慶作と判明する最初の仏像。1189年の作で、もともと興福寺に伝来したが、現在ではボストン美術館の所蔵となっている弥勒菩薩立像。宗風の高い髻や、衣の表現の洒落た点などに、天才の片鱗は見えるものの、多分この金箔は近世のものであろう。日本人の感性では、このような立派な金の塗布は、返ってありがたみがないのである。
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こちらは、京都、舞鶴の松尾寺の重要文化財、阿弥陀如来坐像。少し切れ味を欠く面もあるが、若々しい表現が好もしい。
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この頃快慶は、丹後地方でいくつかの作品を残しており、その理由は恐らく、当時丹後国は、鳥羽天皇の皇女、八条院の収入源とされた地域であったことらしい。八条院はあとでご紹介する東大寺の僧形八幡神像の結縁者のひとりであり、快慶はこのような有力者の後ろ盾を持っていたのではないかと推測されている。これは、同じ丹後地方にある金剛院の需要文化財、執金剛神と深沙大将。前者は東大寺三月堂の有名な天平時代の作品のミニチュア版のように見えるし、後者も規範となる図像があるらしい。この 2体の組み合わせは、別の寺にもあって、もちろんこの展覧会の後の方に出てくるのである。
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これは 2009年に快慶作と判明した、京都、泉涌寺の塔頭である悲田院の阿弥陀如来坐像。宝冠を頂き、両肩に衣をかける、いわゆる通肩と呼ばれる形式は、上記の醍醐寺三法院の弥勒菩薩と共通する。
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実はこれと似た像がほかにもあって、それは広島の耕三寺が所蔵する重要文化財、阿弥陀如来坐像。これは 1201年作と判明している。因みにこの仏像、私が先に訪問してこのブログで記事も書いた、熱海の伊豆山神社の旧蔵であって、同神社には今でもこの像と対になる阿弥陀如来像が伝来する。
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さて、快慶の代表作のひとつが、兵庫県小野市の浄土寺浄土堂の巨大な阿弥陀三尊であることはよく知られており、私も現地を訪れて記事を書いた (昨年 5月 8日付)。その記事でも触れているが、俊乗坊重源という僧の浄土信仰に深く共感していたらしい。この重源は、平重衡の焼き討ちにあった東大寺の再興に力を尽くした人で、興福寺を含むこのときの再興事業においては慶派が中心となっており、今日でも我々に感銘を与える鎌倉彫刻の数々はこの時に制作されたものである。これはその浄土寺にある重要文化財、重源上人坐像であるが、明らかに東大寺にある重源像に倣って作られている。だがこれは (一見して明らかだが) 快慶の作ではない。
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浄土寺には、まだまだ興味深い快慶作の彫刻があって、これは重要文化財の阿弥陀如来立像。226cm の巨像であるが、上半身裸なのは、ここに布製の法衣を着せて、来迎会 (らいごうえ) という祭事において、台車に乗せて練り歩いたからであると言われている。
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その来迎会では、僧侶が菩薩の仮面をかぶって行列したらしく、浄土寺にはそのような面が 25個も現存して、重要文化財に指定されている。同じような表情でもよく見ると異なっているのが面白い。
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これも快慶の代表作のひとつ。高野山金剛峯寺の重要文化財、孔雀明王。この明王の絵画は時々みかけるが、彫刻とは珍しいし、このいかにも密教的な仏をこれほど美麗に掘り出した快慶の手腕には、実に驚くばかり。
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ここから 4体は、同じ高野山金剛峯寺の重要文化財。まず、四天王のうちの広目天と多聞天。仏像好きの方ならすぐにお分かりの通り、これは東大寺大仏殿の四天王の様式なのである (以前、「木×仏像」展の記事では、新薬師寺所蔵の 4体をご紹介した)。鎌倉時代に再興された東大寺大仏殿の四天王像は現存しないが、持国天・増長天が運慶と康慶、広目天が快慶、多聞天が定覚であったらしく、「明月記」の記載によると、実際の巨像の制作前に 1/10 のサイズで試作したとのことであり、実はこれらの像がそれに当たるのではないかという説もあるらしい。歴史のロマンである。
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そして、これらが執金剛神と深沙大将。上記金剛院のペアとは全く異なる姿だが、近年の調査で快慶作と判明し、しかも、金剛院像と近い時期の制作とされているそうだ。そう思うとこの快慶という仏師の懐の深さを実感することができる。私としては、この金剛峯寺像の方が、金剛院像よりも誇張が効いていて、より興味深く感じられる。
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これは像高 3m近い、いわゆる丈六の如来坐像。三重の新大仏寺の本尊で、重要文化財。快慶作として残っているのは顔だけであるらしいが、実に堂々たるお姿だ。この新大仏寺には一度出かけてみたいと思っていたが、この展覧会でご本尊とご対面でき、大変有り難かった。
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次は、東大寺において重源を祀る俊乗堂に安置されている快慶作の 2体の仏像、ともに重要文化財の阿弥陀如来立像と地蔵菩薩立像。このお堂は年に 2日間だけしか一般公開されないが、私は過去に確か二度、その機会に同地を訪れて、重源像及びこれら 2体とご対面している。まあとにかく美麗な仏像で、もう惚れ惚れするしかない。かつて俊乗堂でこの阿弥陀様を拝した際、案内してくれた寺の男性が自慢げに、「この仏像、あんまりきれいやからアメリカにも行ってまんねん。それから、言い伝えで、勝手に歩きよるゆうて、足に釘打ってまんねん」と話してくれ、重要文化財の仏像の、本当に釘が打ってある足をゴシゴシと手で撫でたものである (笑)。調べてみるとその言い伝えは親鸞に関するもの。さすが、一流の仏像は伝説の登場人物も豪華でんねん。
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そしてこれは、快慶の代表作のひとつ、国宝に指定されている、東大寺の「僧形八幡神 (そうぎょうはちまんしん) 坐像」。1201年の作。彩色の妙もあるのかもしれないが、この生けるがごとき表情に打たれない人はいないだろう。奇跡の鎌倉彫刻だ。
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今回初めて知ったことには、この彫刻にはもとになった絵画がいくつかあるらしい。これは京都の神護寺所蔵のもの。なんでも、もともとは弘法大師筆と言われる肖像画の写しであり、重源は、東大寺八幡宮の再興にあたり、この絵を所望したが果たせず、それに怒って密かに快慶に彫像を作られたとも言われている。うーん、後世に名を轟かせる高僧とはいえ、やることが人間くさくて面白い (笑)。
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東大寺と言えば、これも今回の展覧会で知って驚いたことには、今回実物は展示されていなかったが、このように立派で有名な東大寺の額に、快慶の彫刻が含まれているのだ。これは、東大寺の正式名称である「金光明四天王護国之寺 (こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」という文字を表した額で、聖武天皇の筆によるものと伝える。重要文化財である。だがこの奈良時代巨大な額に付属する小像の一部が、最近の研究によって快慶作と認定されているのである。尚、快慶作以外はの彫刻は奈良時代のオリジナルであるらしい。
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例えば以下は、梵天像。なるほど言われてみれば快慶の作のように見える、実に見事な作である。東大寺という日本きっての名刹に脈々と息づく作仏の伝統に、快慶のような天才が連なっていることは、後世の我々から見ても、実に幸運なことであろう。
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さて、快慶の生涯についてはほとんど知られていないと冒頭に書いたが、その一方で、重源との近い関係からも、深い阿弥陀信仰を持っていた人であることは明らかである。そのひとつの証拠が、彼が制作した様々な仏像の胎内銘などに見られる、「安阿弥仏」の称号である。ここから先は、快慶の阿弥陀信仰がそのまま素晴らしい彫刻に昇華した例を見て行きたいと思う。まずこれは、京都の遣迎院 (けんごういん) の阿弥陀如来立像。1194年頃の初期の作で、重要文化財。いやそれにしても、なんと美しい!!
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これは奈良の西方寺所蔵の重要文化財、阿弥陀如来立像。現代になって造立された牛久の大仏などは、この様式を手本にしているように思われる。もっとも、あちらは台座を含めた像高、実に 120m。こちらはたったの 98.5cm。でも真面目な話、快慶なくしては牛久大仏はなかっただろう。
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実はこれまでが快慶のいわゆる安阿弥様仏像の第 1段階。次にお見せするのが第 2段階である。大阪、大圓寺の阿弥陀如来立像。
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そしてこれは第 3段階、現在浄土宗が所有する重要文化財、阿弥陀如来立像。もともとは甲賀の玉桂寺というところに伝わったらしい。1212年の造立と判明しているが、それは胎内から発見された夥しい数の結縁 (けちえん) 文書によるものらしい。
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そう、その多くの結願者の中に、安阿弥陀快慶の名前が!!
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ここで見てきた 3段階は、実は私も今回初めて知ったのだが、衣の細部によって違いがある。以下、右から順に第 1、第 2、第 3段階なのである。向かって左側の衣の出方あるいは差し込み方に注意。
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そしてこの展覧会の最後に展示されている仏像は、大変興味深い。それは京都、極楽寺の重要文化財、阿弥陀如来立像。実はこの仏像、快慶の作ではなく、その弟子、行快による、1227年の作。うーん、確かに快慶の作にしては美麗さに若干不足するのではないか。
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ではこの仏像、何が興味深いかというと、胎内から発見された文書の中から、「過去法眼快慶」という表記が見つかったからだ。法眼 (ほうげん) とは僧侶の位で、快慶がこの位に叙せられていたことは多くの記録から明らかであるが、ここでは「過去」、つまり物故者として名前が載せられているのである。つまりこの仏像は、生前に快慶が発願したが完成せずに逝ってしまったか、または快慶の没後追善供養のために作られたか、いずれかであると見られている。
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この展覧会で見えてきた快慶像は、有力者と近い関係を持ちながら、重源の薫陶を得て熱心な念仏信仰者であった真摯な芸術家である。そのひたすら美麗な造形の裏に、いかなる人間的な苦労があったのか。もちろんそれを想像力なしに辿ることはできないが、既に没後 800年近く経っていながらも人々に訴えかける作品の数々に接することで、自然と見る人それぞれに想像力の翼を広げられるというものである。まさに、何の誇張もなく、彼こそは日本美術史において世界水準でも我々日本人が誇りうる天才であったことを再確認した。古代ギリシャのフェイディアスと競い合っても、決して負けることはないだろう。これだけの数の快慶作品が一堂に会するとは、もうそうそうない機会であるので、ここでも私は、文化に興味のある方々に対し、是非是非 6/4 (日) までに奈良に足を運ぶべし、と訴えたい。会場である奈良国立博物館のお隣の興福寺でも、国宝館の耐震工事期間でもあり、素晴らしい展示が様々なされていることでもあるし。うーん、これが日本美術の神髄でなくて何であろうか。
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さて、まだまだ記事にすべき話題はあるのであるが、明日から出張なので、次回の更新は今週末になる予定です。

by yokohama7474 | 2017-05-08 23:41 | 美術・旅行