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アンドレア・バッティストーニ指揮 東京フィル 2017年 5月21日 Bunkamura オーチャードホール

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イタリアの若手指揮者、今年弱冠 30歳のアンドレア・バッティストーニと、彼が首席指揮者を務める東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) の演奏会は、このブログでも何度かご紹介して来たが、今回は 4月からの新シーズンにおける最初の定期演奏会での共演である。実はこのオケは 4月には新国立劇場で「オテロ」と「フィガロの結婚」の演奏を担当していて、また 5月に入ってからも同じく新国立劇場で今度はバレエの「眠れる森の美女」を演奏していたこともあり、今期これまで東京地区で行った演奏会は、5/17 (水) の 14時から東京オペラシティでの「平日の午後のコンサート」しかない。それゆえ、この渋谷の Bunkamura オーチャードホールでの演奏会には、オケの面々としても、相当に期するところがあったものと思われる。これは今回の会場に展示されていた「平日の午後のコンサート」のリハーサル風景。曲目はチャイコフスキーのイタリア奇想曲と、交響曲第 5番。バッティストーニは最近イタリアの RAI 国立響を指揮したチャイコフスキー 5番の CD を発表しており、そこでもいつもの熱い音楽を展開していたので、きっとこの東フィルとの演奏会でも、熱狂的な演奏であったのだろう。
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熱いと言えば、今日は各地で 30度を超える真夏日となり、東京もまさに真夏の日差し。そんな中、渋谷駅から Bunkamura に向かう文化村通りでは、交通を遮断し、なんでも「渋谷・鹿児島おはら祭」とかいうパレードが繰り出していて、はっぴを着た賑やかな踊りの列 (皆さん鹿児島から来られたのでしょうか? 「ラサール連」などという団体もありました) が実に楽し気だ。もちろん暑いに違いないが、祭りとは暑さの中で燃えるもの。私は、割って入って踊ることこそしなかったものの、心は参加者の皆さんと同じで、踊っていましたよ (笑)。

さて実は今回の演奏会の曲目も、テーマは踊りなのだ。以下の通り。
 ヴェルディ : 歌劇「オテロ」第 3幕より舞曲
 ザンドナーイ : 歌劇「ジュリエッタとロメオ」より舞曲
 ストラヴィンスキー : バレエ音楽「春の祭典」

もちろんお目当ては後半の「ハルサイ」なのであるが、振り返ってみれば、いや実にバッティストーニと東フィルらしい熱狂に溢れた素晴らしい演奏会であった。このホールではいつも、前半・休憩・後半・そして終演時刻とタイムテーブルが書いてあるのだが、今回は後半が「50分」とあるのが目を引いた。「春の祭典」はせいぜい 35分くらいの曲だ。はっはぁこれはきっとアンコールをやってくれるのでは、と思いながら入場した私であった。その勘が当たったか否かはのちほど。

最初の曲は「オテロ」のバレエ音楽だが、えぇっと、「マクベス」とか「アイーダ」ならともかく、「オテロ」にバレエ音楽なんてありましたっけ。実はこれ、ミラノでこのオペラが初演されてから 7年後、パリでの初演の際に追加で作曲されたもの。パリではバレエが人気で、作曲家はバレエ音楽を入れないとオペラを上演するのが難しかったことはよく知られていて、その最たる例はワーグナーの「タンホイザー」であるが、ヴェルディもやはりそれで苦労 (?) したようだ。最近では「オテロ」のパリ版が採り上げられる機会も増えているようだが、私は実演で見たことはないと思う。面白いことに、上述の通り東フィルは (ほかの指揮者のもとで) 「オテロ」を演奏したばかりであり、また、9月には首席指揮者バッティストーニ自身が演奏会形式で採り上げる予定になっているのだが、その版の選択はどうなのだろうか。ともあれ、決してポピュラーとは言えない「オテロ」のバレエ音楽、いきなり輝かしい金管の音色で始まり、それはもういつものバッティストーニ節が全開だ。素晴らしいと思うのは、オケの面々も、体でノリを見せながら呼吸を合わせて音楽を紡ぎ出していることで、このような積極性やモチベーションの高さは、このイタリアの俊英指揮者を頂くこのオケならではの持ち味になっているように思う。

続くザンドナーイの曲も、珍しいものだ。リッカルド・ザンドナーイ (1883 - 1944) はイタリアのオペラ作曲家で、あのマスカーニの弟子に当たる人。ダンテの神曲に想を得た「フランチェスカ・ダ・リミニ」(チャイコフスキーも同名の管弦楽曲を作曲している) の存在がかろうじて知られているが、実際の演奏に触れることは少ないし、ほかの作品に至っては、名前も聞いたことがないものがほとんど。実は、有名な出版社リコルディは、未完に終わったプッチーニの「トゥーランドット」の補完にザンドナーイを起用しようとしたが、無名だということでプッチーニの息子が断り、アルファーノが選ばれたとの経緯があったらしい。今回演奏された「ジュリエッタとロメオ」は、もちろんシェークスピアの「ロメオとジュリエット」に基づくものであろうが、私は今回初めて耳にする。これがザンドナーイの肖像。なかなかにダンディな人である。
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この「ジュリエッタとロメオ」は 1922年の作品で、その管弦楽版は東フィルが1956年に (おそらく) 日本初演、1968年にも再演しているらしい。指揮はこのオケでイタリア音楽の紹介に努めたニコラ・ルッチ。既に100年を超える東フィルの歴史にはこのような貴重な活動があり、またそのようなゆかりのレパートリーを、今またバッティストーニが発掘していることはなんと意義深いことか。そして驚くべきは、この曲の面白いこと。レスピーギの「ローマの祭り」を思わせるような音型も出て来て、迫力満点だ。ここでもバッティストーニと東フィルは、もうこれ以上ないといういうほど力感に溢れた演奏を展開。多くの人にとって初めて聴く曲でありながら、終演後の客席は沸きに沸いた。指揮者はスコアを抱えて客席に見せたが、そうなのだ。このような面白い曲がまだまだ埋もれているとは、実に惜しいこと。ザンドナーイのほかの作品も是非、採り上げて頂きたい。

休憩後の「春の祭典」は、冒頭のファゴットが、通常よりも長く引き伸ばされて始まったのを聴いて、演奏の方向性が分かったような気がした。指揮者はしばしばテンポを落としてじっくりと音を停滞させ、いざというところでは煽り立てる。いわばこの曲の現代性よりも土俗性を強調した演奏ではなかったか。私個人としては、もう少し切れ味鋭い現代的な演奏の方が好みではあるが、いやしかし、これだけの迫力で演奏されると、その説得力には脱帽だ。ここでも東フィルの各奏者は自発性と、暴力的なまでの積極性を見せ、瞠目すべき演奏を実現した。実は東フィルの公式ホームページを見ると、バッティストーニのこの曲についての結構詳しい解説を読むことができて大変興味深い。この人、若さとイタリア人の血に頼って力任せに指揮棒を振っているわけでは決してなく、広範な音楽史の知識と深い洞察力が背景にあっての、あの情熱的な指揮であるわけである。この解説では、「春の祭典」についての興味深い発言が数々あるが、ここではプログラムにも引用されている次の印象深い言葉をご紹介する。

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「春の祭典」は、音楽史のうえで決定的な、この作品「以前」と「以後」を分ける力がある、真のマイルストーンである。西洋音楽の流れの中で、これほど大きな発展と革命の力を孕んだ作品はほとんどない。他にはおそらくベートーヴェンの「英雄」、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、そしてシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」だけだろう。
UNQUOTE

全くその通りだと思う。この音楽の衝撃は、初演後 100年以上を経ても未だに衰えておらず、実演に接する度に興奮を抑えられない曲なのである。これは、この曲を題材にした女優画家ヴァランティーヌ・ユゴーのスケッチ。昔、ムーティ指揮の極めて鮮やかな録音の銀色のジャケットに使われていましたねぇ。
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そして、終演後の拍手をバッティストーニが遮り、聴衆に向かって「ドウモアリガトウゴザイマシタ」と挨拶してから説明するには、今回はシーズン最初の定期演奏会なので、これから聴衆に対するプレゼントを提供する。踊りの音楽を演奏したので、もう少し踊り続ける。但し今回は日本風に、とのこと。そして聴こえてきた拍子木で、ファンにはすぐに分かったのだ。外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」の大詰め、八木節である!! 以前はよく日本のオケの海外公演で演奏されて好評を博していたが、まぁこれは日本の祭囃子そのものであり、海外ではいつも大受けなのだ。日本人が聴くと少し気恥ずかしい気もするが、だが、演奏者側が本気のノリでやってくれれば、やはり聴いていて血が騒ぐ音楽。指揮者もオケも渾身かつ楽しんでの演奏で、会場は熱狂した。私はこの曲を何十年も知っているが、まさか自分が「ラプソディ」を冠したブログをやろうとは、ほんの 2年前にふと思いつくまでは夢にも思っていなかったので (笑)、この曲のラプソディックな盛り上がりに、感慨を新たにしたものである。それにしても、若いバッティストーニが、その成長を東フィルとともに成し遂げて行くことは確実であり、本当に楽しみだ。今後も是非ラプソディックに盛り上がって頂きたい。

15時から始まったコンサートは 16時半には終了し、外に出ると、未だに日差しはあるものの、既に「渋谷・鹿児島おはら祭」は終了しており、宴の後の雰囲気だ。命あるものは踊り、歌う。その時間が有限であるがゆえにこそ、踊ったり歌ったりしている時間が貴重なのである。そして私が川沿いの住まいで踊って歌っているここでのラプソディとは、気ままにその、生という貴重な時間を逍遥する楽しみ。今日の踊りと音楽に、何か力を与えられたように勝手に都合よく思ってしまっているのである (笑)。

by yokohama7474 | 2017-05-21 23:56 | 音楽 (Live)