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レナード・スラットキン指揮 デトロイト交響楽団 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子) 2017年 7月19日 東京オペラシティコンサートホール

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ヴァイオリニスト諏訪内晶子が主催する国際音楽祭 NIPPON については、先般、諏訪内自身のヴァイオリン・リサイタルの記事でご紹介した。実は今年、この音楽祭に参加する指揮者とオーケストラがあって、それが今回私が聴いた、米国の名指揮者レナード・スラットキンとデトロイト交響楽団なのである。今年 73歳になるこの指揮者の演奏としてかつてこのブログでは、NHK 交響楽団を指揮したものと、フランス国立リヨン管弦楽団を指揮したものとを採り上げた。私はこのスラットキンという指揮者になんとも言えない愛着と信頼感を持っていて、その明快な指揮ぶりには毎度楽しませてもらっているのである。もともとセントルイス交響楽団の音楽監督として名を上げた人だが、父もフェリックス・スラットキンという指揮者であった。私も若い頃、父スラットキンがハリウッドボウル交響楽団を指揮した初期ステレオ LP を、中古レコード屋で見つけてはせっせと買っていた時期がある。私の興味の対象は、高踏的な大芸術だけではなく、庶民的というか、あえて言ってしまえば低俗ギリギリの文化分野にも及ぶので、彼の父の歴史的役割とともに、レナード・スラットキンの活動が大変に気になるのだ。
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一方のデトロイト交響楽団は、なんといってもハンガリーの巨匠アンタル・ドラティが 1977年から 4年間音楽監督を務めた際に、デッカに録音したストラヴィンスキーやバルトークやシマノフスキが忘れがたい。その後、ギュンター・ヘルビヒ、ネーメ・ヤルヴィを経て、2008年からこのスラットキンが音楽監督を務めている。私は生で聴くのが今回が初めてだが、大変興味深い曲目なのである。
 武満徹 : 遠い呼び声の彼方へ! (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 コルンゴルト : ヴァイリン協奏曲ニ長調作品35 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 チャイコフスキー : 交響曲第 4番ヘ短調作品36

なるほど、メインのチャイコフスキー 4番は、スラットキンなら豪快に聴かせてくれそうだ。また、中間のコルンゴルトは私の愛好する曲であり、本当に楽しみ。そして最初の武満は、スラットキンのレパートリーとしては一見異色だが、彼は別の作品 (彼自身が世界初演した「系図 (ファミリー・トゥリー)」) を N 響とも演奏していたこともあり、期待できるのではないか。

まず最初の武満だが、諏訪内はこの曲を一度録音している。それは 2001年、N 響創立 75周年を祝う録音で、指揮はシャルル・デュトワ。確か国外ツアーの曲目でもあったのではないか。名門デッカによる録音であった (この CD でもメインはチャイコフスキー 4番という偶然)。
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早いもので、それから既に 16年が経過しているが、私は昨今の諏訪内はどんどん進化していると思っていて、今回の演奏でも、停滞した歌謡性とでも言うべき特異な武満の音楽を、過剰な気負いなくきれいに響かせていて、素晴らしいと思ったものだ。スラットキンとデトロイト響も、充分に美しい響きでその諏訪内のヴァイオリンに応えていた。予想通りオケのパートは、繊細さや陰鬱さが強調されるのではなく、明確で前向きな音楽に仕上がっていて、アメリカ風武満というものがあってもよいではないかと思った。これこそが音楽が世界語たるゆえんだろう。

さあそして、コルンゴルドである。この作曲家については後で少し書きたいが、このヴァイオリン協奏曲は 1945年の作。一聴して誰もが、古いハリウッドの映画音楽のようだと思うだろう。それもそのはず、このオーストリア生まれのエーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト (1897 - 1957) は、戦前からハリウッドで映画音楽を書いていた人なのだ。だが、それはある意味で思わぬ運命のいたずらによるもの。もともと彼は幼くしてオペラで成功し、欧州全土で神童の名を欲しいままにした。9歳にしてマーラーから天才と称賛され、12歳で書いたピアノ・ソナタはリヒャルト・シュトラウスを恐れさせ、14歳にしてベルリン・フィルの指揮者ニキシュから作曲の委嘱を受ける。そして 23歳の年、1920年にオペラ「死の都」を書いて、欧州楽壇を席巻するのである。その後 1930年代からハリウッドで映画音楽を書き始めるが、ユダヤ系であったため、1938年のナチスによるオーストリア統合で母国に帰れなくなり、米国に亡命した。その意味で、「死の都」という傑作をものしてから、その先に行かなかった作曲家とも言えるが、上記の通り高踏的でない芸術も大好きな私にとっては、大いなる興味の対象なのである。なお、日本ではいろんな本が出版されており、「コルンゴルトとその時代」というみすず書房の書物で彼の人生を知ることができて、大変面白い。
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そもそもこのコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は、私が初めて聴いたこの作曲家の曲であり、演奏はイツァーク・パールマンで、伴奏はアンドレ・プレヴィン指揮のピッツバーグ交響楽団。高校生の頃、この録音をアナログ・レコードで何度も何度も聴いた私はその後、この協奏曲を 1947年に初演したのがあの超絶的な天才ヤッシャ・ハイフェッツであることを知り、もちろんハイフェッツの録音も聴くに及び、その耽美的な曲想に酔いしれた。第 1楽章は特に素晴らしい音楽なのだが、今でも実演ではそれほど演奏頻度が多くないので、今回のような機会は非常に貴重なのである。実際、もし今回の演奏会の曲目がメンデルスゾーンかチャイコフスキーかシベリウスのコンチェルトだったなら、きっと私は行かなかったことだろう (笑)。現在の諏訪内によるこの甘美な協奏曲に大いなる期待をし、そしてその期待は充分に報われた。甘美な節回しを聴いていると、コルンゴルトと武満には意外と共通性があるとまで思えてくるから不思議である。もちろんこの演奏は、甘美な部分だけではなく、疾走する部分も充分に美しいし説得力がある。・・・と考えていてふと思い出したのだが、現在諏訪内が弾いている楽器はストラディヴァリウスで、「ドルフィン」の愛称を持つ。楽器の先端の部分が丸くなっていて、それがイルカを連想させるからだという。
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そしてこの楽器 (1714年製)、以前使用していたのが、ほかならぬハイフェッツなのである!! 写真で見比べてみよう。
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ドルフィンも、かつての所有者のオハコを、現代の日本において再び奏でられることに喜びを覚えていたのではないか。そうだ、今の諏訪内の演奏には、なんとも言えない自由さがある。ここで私がさらに思い出したことには、1999年に、スラットキンが当時の手兵、ワシントン・ナショナル交響楽団と来日した際にやはり諏訪内と共演し、チャイコフスキーのコンチェルトが演奏された。だが私の記憶では、このときの諏訪内は全く精彩を欠き、それを察したスラットキンが途中から指揮棒を置いて、素手の指揮でしっかりサポートしていた。それを思うと今回の演奏は、まさに新境地と言えるのではないか。コルンゴルトをコルンゴルトらしく演奏できるのは、やはり名演奏家だけであろうし、それには楽器とのコミュニケーションも関係しているに違いない。加えて、スラットキンの両親がハリウッドで音楽家をしていた頃、ちょうどコルンゴルトが活躍していたので、きっとこの作曲家の映画音楽をスラットキンの両親は弾いていたに違いないというゆかりもあるのである。それらのことに気づいて満足した私は、今回は諏訪内がアンコールを弾かなかったことに妙に納得したのである。

そして後半のチャイコフスキー 4番では、オケのパワーが炸裂した。スラットキンはもともとあまりテンポを揺らしたり何か奇抜なことをやる人ではなく、ここでもオーソドックスな指揮ぶりであったが、何よりも明快で解放感があるのがよい。デトロイト響は音量も大きく、いわゆる昔ながらの米国の優秀なオケという印象だ。冒頭のホルンのファンファーレだけでも大変な厚みで、やはり日本のオケのクオリティが上がったと言っても金管は課題だなぁ・・・と嘆息した次第。ともあれ、途中退屈することは一切なく、最後の熱狂も素直に聴くことができて、素晴らしいチャイコフスキーであった。

そしてアンコールが 2曲。1曲目は意外な選曲で、指揮者自身が「ハナワサク」と日本語で紹介したが、例の震災復興のテーマソング「花は咲く」である。恐らくは、国際音楽祭 NIPPON が震災復興もひとつのテーマとしていることによる選曲だろう。ここではいかにもゴージャスなオーケストレーションとなっていて (ひょっとしてスラットキン自身によるもの???)、聴く者すべての胸に迫る。まるで古くよきアメリカ音楽のように響いていた。そして 2曲目は、これは本当に古きよきアメリカ音楽で、でもこちらはテンポのよい、「悪魔の夢」という曲。スラットキンは「米国西部の伝統的な歌」と言っていたが、その調子は、コープランドの「ロデオ」の終曲「ホーダウン」にそっくりだ。聴衆にも拍手を求めるノリノリの演奏であった。帰りがけの表示で知ったことには、これはスラットキンの父フェリックスの編曲 (あるいは作曲か???) になるもの。充実した演奏会を景気よく締めくくった。ここで父フェリックス・スラットキンの写真を掲載しておこう。
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さて、最後にもうひとつ、コルンゴルトについて。私のこの作曲家のヴァイオリン協奏曲との出会いは上述の通りだが、実はそれより少し後、ある本を読んで私はコルンゴルトに夢中になった。その本はこれである。私の手元にあるのは、1985年の初版第一刷。
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この中に、「放浪の音楽家 映画的健忘症を克服する」という章があり、そこにコルンゴルトについて触れられた箇所がある。著者は、このブログでは度々その名前に触れてきている蓮實重彦である。ここで詳細を述べることはしないが、コルンゴルトが書いた映画音楽の雰囲気は今日にまで多大な影響を与えていると紹介されている。例えば「スター・ウォーズ」の音楽はまさにコルンゴルト的であると。私はそれまで、ホルストの「惑星」が「スター・ウォーズ」に影響を与えていることは理解していたが、コルンゴルトの映画音楽を知らなかったので、何枚かレコードを買ってみたものである。「シー・ホーク」「ロビンフッドの冒険」・・・なるほど、血沸き肉躍る音楽とはこのことか。それから私のコルンゴルト探訪が始まったのだが、実はこの本にはもう 1箇所、重要な記述があった。ダニエル・シュミット監督の「ラ・パルマ」という映画で、コルンゴルトの代表作であるオペラ「死の都」の中の、この上なく甘美なメロディが流れることについてである。これはまさに世紀末の雰囲気をたたえた耽美的な曲であり、映画音楽と併せて、一般にはあまり知られていないこの作曲家への道程を知ることとなった。ここで重要なのは、音楽についての知識を映画についての本で知ったということだ。このブログで、様々な文化の分野を自由に渉猟しているのは、私のそのような経験から来ているものであることを、ここで明らかにしておきましょう。狭い分野だけにこもっていては、新たな世界は開けない。自由な感性を持って、高踏的な芸術と大衆的な文化の双方を楽しむこと。そうすれば人生、なかなか刺激に満ちた楽しいものになると、私は思っているのであります。

by yokohama7474 | 2017-07-20 01:16 | 音楽 (Live)