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サリヴァン : コミック・オペラ「ミカド」(園田隆一郎指揮 / 中村敬一演出) 2017年 8月26日 新国立劇場中劇場

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ギルバート・アンド・サリヴァンと連名で呼ばれる芸術家たちは、日本ではそれほど知名度はないように思われるが、英国及びその影響下にある国々では、ヴィクトリア朝、つまりは 19世紀後半から百数十年経った今でも、かなりの知名度と人気を保っているようだ。今回上演された「ミカド」は、そのギルバート・アンド・サリヴァンの代表作。一般的にはオペレッタ (喜歌劇) とみなされることが多いと思うが、この記事では、今回の上演プログラムの表記を尊重し、コミック・オペラという表現を使っておこう。これが彼らのカリカチュア。
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台本作家のウィリアム・S・ギルバート (1836 - 1911、左の人物) と作曲家のアーサー・サリヴァン (1842 - 1900、右の人物) はコンビを組んで、1871年から 1896年の間に 14のコミック・オペラを制作した。時あたかも大英帝国の繁栄が絶頂を迎えた頃。夏目漱石が留学し、コナン・ドイルがシャーロック・ホームズを奔走させたその頃の首都ロンドンはしかし、その世界をリードする大いなる経済発展の影で一部はスラム化し、衛生は悪化し、貧富の差は拡大。切り裂きジャックを代表とする猟奇犯罪も発生した。その頃に大ヒットとなったギルバート & サリヴァンのコミック・オペラは、恐らくは英国人にとっては、ヴィクトリア朝の繁栄を思い出させるノスタルジックな存在なのであろうか。英国の演奏家による彼らの作品の名曲集 CD はいくつもあるし、私も何枚か持っている。また、ロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラでこの「ミカド」の実演を鑑賞したときは、終演後に品のよい老紳士が、同年代の奥さんと手に手を取り合って、この作品のメロディを口笛で吹いて帰途についていたのを覚えている。その上演前に私が作品を予習したのは、オーストラリアのシドニー・オペラでの上演を録画したものであったし、ある時にはアイルランドのダブリンの、なかなか素晴らしいコンサート・ホールで、ギルバート & サリヴァン名場面の夕べといった類のコンサートを聴いたこともあり、聴衆は皆楽しそうであった。そう、これらの国々では、ギルバート & サリヴァンは未だにポピュラーな存在なのだ。

だが今回、新国立劇場中劇場でこの「ミカド」の上演があると聞いて、ちょっと複雑な気分になった。文字通りこれは日本を舞台にした作品で、ミカドをはじめ、登場人物はすべて日本人だ・・・いや、日本人らしい (笑)。というのも、その名前が、ナンキ・プー、ヤムヤム、ココといった具合で、明らかに日本人の名前ではなく、チョーチョー、スズキ、ヤマドリといった名前とはちょっと違う。いや、そのプッチーニの「蝶々夫人」ですら、作品の中で、日本人の目から見て奇妙な箇所は枚挙にいとまがない。ましてやこの「ミカド」は、見方によっては国辱的とされても仕方ないような面もあり、ヨーロッパ人から見た見知らぬ国ニッポンを舞台にした荒唐無稽な作品であるのだ。だから、ロンドンでの上演なら、「あーあー、バカなことやってるなぁ」と笑って見ていられるが、それを日本人で上演するとなると、一体どういうことになるのだろうか。日本人が奇妙なニッポンを演じるのであろうか。そのような好奇心というか、ほとんど怖いもの見たさが、私をして劇場に足を運ばしめる原動力になったのだ。これは、1885年に行われたこの作品の初演の際の写真。当時のヨーロッパで大流行したジャポニズムのひとつの表れと考えると、分かりやすい。
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今回の上演は、新国立劇場の本年度の「地域招聘オペラ公演」であり、びわ湖ホールのプロダクションをそのまま持って来たものである。滋賀県立びわ湖ホールは、文字通りびわ湖のほとりにあって、本格的なオペラ上演が可能な設備を備えた、私も大好きな劇場 (コンサートも行われる) なのであるが、ホール専属の声楽アンサンブルを持ち、音楽監督沼尻竜介のもとで意欲的な自主公演の数々を開催している。この「ミカド」など、安全志向の地方ホールにありがちな名作路線では、到底演目として考えられないものであろう。上記の通り、国辱的ととられかねない内容であるので、上演にはやはり少しリスクを伴うという面は、ついて回るだろう。因みにこの作品の日本での上演記録を調べてみたところ、日本初演はなんとなんと、終戦からほぼ 1年後、1946年 8月12日に、当時進駐軍用に使用されていたアーニー・パイル劇場 (今の宝塚劇場) でなされている。当然英語での上演であった。ところがその翌年には日本人によって日本語で上演されている。その後は 1955年に長門美保歌劇団が上演。それから長いブランクがあり、1981年に東京文化会館で、やはり長門美保歌劇団が再演。1992年には名古屋の大須で、スーパー一座という団体が上演 (上演リストを見ると、どうやら浅草オペラの演目の復活を中心に行っていた団体のようだ。大須は名古屋の浅草のような場所なのだ)。2001年以降は、ちちぶオペラ実行委員会という団体が、地元秩父や東京で何度か上演している。なぜに秩父かと言えば、この作品の舞台は「ティティブ」という場所で、これはどうやら、秩父からきているらしい。というのも、この「ミカド」初演の前年、自由民権運動の影響下で起きた秩父事件という農民の武装蜂起のことを、作者ギルバートが耳にしたらしいからだ。このように、一般の劇場の通常レパートリーとして定着しているわけではない作品を意欲的に取り上げたびわ湖ホールは、大したものだ。尚、今回の上演は、演出家中村敬一の手になる新たな翻訳を使用した日本語版で、舞台左右に日本語歌詞の、舞台中央上部には原作のものとおぼしい英語の字幕が出るという徹底ぶり。客席には、新国立劇場オペラ部門の芸術監督である飯守泰次郎や、日本の合唱指揮者の大御所であり長老である田中信昭の姿も見え、この公演への注目度が実感された。また、上演前に 10分ほど、演出の中村敬一が作品の背景を説明したが、簡潔にして非常に要領を得た、上質な説明であったと思う。

さて、演目の特殊性から、前置きが長くなってしまっているが、今回の上演はどのようなものであったのか。私としては、様々に工夫を凝らした演出は敢闘賞ものだと思うし、びわ湖ホール専属の若手中心の歌手の皆さんも、それぞれ熱演であったと思うので、貴重な上演機会として求められる水準はクリアして、なかなか楽しめる公演だったと言えるだろう。舞台の写真をいくつかご紹介しよう。衣装はドハデな色使いで、純粋和風とは程遠い、キッチュなニッポンである。女性陣はアキバ系で、歌詞にも「JK」などと出る。もっともそのあとに「(女子高生)」といちいち説明が出ていたのは、高齢者向けの配慮か (笑)。舞台上では、ネット上での日本の観光地案内を模した巨大なヴィジュアル・イメージが展開し、なんとも賑やかだ。
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歌手陣の中でひとり名を挙げるとすると、ティティブの最高権力者ココを演じた迎 肇聡 (むかい ただとし) がなかなかの熱演であった。歌詞も多く動きも多い作品なので、歌手の皆さんは大変であったろが、楽しんで演じておられる様子が伝わってきて、それが何よりよかった。但し、日本語の歌詞が逐一横に出る中での歌唱なので、何度か歌い間違いを発見することとなってしまった。別にそれで揚げ足を取るつもりはなく、むしろ、間違いを発見してしまって申し訳ない気持ちである (笑)。それにしても今回の和訳は、なかなかに凝っている。上に出る英語のオリジナルの内容と時々ざっと比べて鑑賞したが、現代的な用語を積極的に取り入れる一方で、その大略は、もとの歌詞の内容をかなり尊重していることが分かって面白かった。単純なメロディーに終始するので、通常ならとかく音楽に乗りにくい日本語も、かなり耳で追うことができた。また、指揮の園田隆一郎は、2007年にイタリアのシエナでデビューした若手指揮者。名指揮者ジャンルイジ・ジェルメッティ (最近はあまり活動を聞かないが、シエナで教鞭を取っていることは知っていた) の弟子であるそうだ。この作品では強烈な不協和音もなければ情熱的な弦楽器の歌もないので、指揮者の力量を推し量る材料には不足したことは否めないが、最初から最後まで安定した指揮ぶりであった。尚、オーケストラは、大阪に本拠を置く日本センチュリー交響楽団。
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さて、では一体この「ミカド」という作品をいかに評価すべきかを簡単に再検討してこの記事を終えよう。実はこの記事を書くにあたり、調べものをしていたとき、比較的最近の興味深い記事を見つけた。ニューヨークで今年 12月に予定されていたこの作品の上演が、抗議により中止に追い込まれたというのだ。実は米国では過去何度もこの作品への抗議活動が行われているという。

人種のるつぼである米国でこの作品に抗議する人たちにとっては、この作品はアジア人蔑視の最たるものと映り、とても容認できないのだろう。ここでのミカドは、死刑執行に熱心であるという設定でありかなり野蛮である。また、ジョークにしてはちょっと過ぎるとすら思われる死刑を揶揄する歌詞が、かなり長い時間に亘って歌われる。英国人一流のブラックユーモアなのであろうが、正直なところ私も、これは悪趣味だと思う。サリヴァンの音楽は、この作品の場合には、大詰めの軽快なメロディ (第 1幕の終わり近くにも出て来る) を除けば、特に心に残るような気の利いた旋律もない。この曲が書かれた 1885年とは、ワーグナーが死去して 2年経過している頃。こんな単純な音楽は、とても時代の最先端の芸術ではなかったはず。それゆえ、ドイツ、イタリア、フランス等のヨーロッパ主要国の音楽水準と比べて、あるいはヴィクトリア朝に活躍した画家や小説家たちの素晴らしさに比較して、こんな音楽で満足していた英国の聴衆の文化レヴェルを疑問に思う気持ちを、抑えることができないのである。だがここに、英国の文化を読み解く、なんらかのヒントがあるのかもしれない。大都会ロンドンでは、欧州他国の芸術音楽の演奏はもちろん盛んに行いながらも、音楽の創作という観点では、正直当時のこの国はお寒い限り。もちろん、エルガーやホルストのような作曲家を輩出してはいるものの、民衆が最も熱狂した音楽はギルバート・アンド・サリヴァンであったわけだ。そのポジの世界に対し、ネガの世界に目を転じると、切り裂きジャックが跋扈し、架空とはいえシャーロック・ホームズが犯罪者たちと格闘していたのである。そう思うと、サリヴァンのあまりに単純で能天気な旋律に、何か空恐ろしさすら感じる。平明さの向うに一体何があるのか、もっと知ってみたい気がする。まあ、でも、正直なところ、どう聴いてもあまり面白い音楽ではないのであるが (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-08-27 01:47 | 音楽 (Live)