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ヤツェク・カスプシク指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : ギドン・クレーメル) 2017年 9月 6日 東京芸術劇場

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私はよく思うのであるが、音楽との出会いは、人との出会いにも似て、様々な巡り合わせによって成り立つものである。クラシック音楽の場合、有名な曲でもどうもしっくりこない場合もあれば、あまり聴く機会のない曲に心動かされることもある。演奏家も同じで、高名な音楽家だから常に素晴らしいとは限らず、また、無名な音楽家の演奏が琴線に響くこともある。従って、音楽を聴くときには常に先入観にとらわれないようにしたいものだ。と、のっけから珍しく人生論めいたこと (?) を書いているには訳があって、今回読売日本交響楽団 (通称「読響」) を指揮したヤツェク・カスプシクは、30年以上前のある録音との出会いで強烈な印象を持っていたにもかかわらず、これまで実演を聴く機会が一度もない人であったからだ。大変鮮やかな音で私の心にぐっと迫ってきたその音楽は、ポーランドの現代作曲家クシシトフ・ペンデレツキの交響曲第 2番「クリスマス交響曲」。このカスプシクがポーランド国立放送交響楽団を指揮した、パヴァーヌというマイナーレーベルのアナログレコードで、録音は 1981年。この曲の世界初録音であった。未だに手元にそのレコードがあるので、ジャケットに載っているカスプシクの当時の写真とともにお目にかけよう。
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このカスプシク、1952年生まれだから現在 65歳。ということは、この録音の時には未だ 20代であったわけである。ポーランド人で、1977年にカラヤン指揮者コンクールで 3位入賞し、ベルリン・フィルやバイエルン放送響、パリ管といったオーケストラや、ベルリン・ドイツ・オペラ、リヨン歌劇場、チューリヒ歌劇場などのオペラハウスで指揮棒を取ってきた。中でもポーランド国内での活躍が目立ち、上記のレコードで指揮をしているポーランド放送響、ポーランド国立歌劇場などの音楽監督を歴任し、2013年からは名門ワルシャワ・フィルの音楽監督を務めている。読響とは 1989年以来、実に 28年ぶりの共演であるとのこと。これが現在のカスプシク。
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私が彼の音楽に出会ってから 30数年の間、彼の辿って来た音楽的道程が、きっと音になって現れるであろうとの期待をもってこのコンサートに臨んだのであるが、さらに嬉しいのは、その曲目とソリストだ。
 ヴァインベルク : ヴァイオリン協奏曲ト短調作品67 (日本初演、ヴァイオリン : ギドン・クレーメル)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 4番ハ短調作品43

そう、文字通り現代における世界最高のヴァイオリニストのひとり、ラトヴィア出身のギドン・クレーメルが登場する。1947年生まれなので、今年既に 70歳、真の巨匠である。
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クレーメルについてはこのブログでも、昨年 6月 8日の記事で、若手ピアニスト、リュカ・ドゥバルグとの興味深いデュオをレポートしたが、そこでも彼が採り上げていた作曲家、ポーランド出身でロシアに移ったミエチスワフ・ヴァインベルク (1919 - 1996) の作品を今回も採り上げる。今回は彼のヴァイオリン協奏曲、またこれに先立つ 9月 1日 (金) のやはりカスプシク指揮読響と共演したコンサートでは、「ポーランドのメロディ」という小品を演奏している。さてこのヴァインベルクについては、以前の記事で少しご紹介したが、大変な激動の人生を送った人で、ユダヤ系であったため、1939年のナチ (またしても!!) のポーランド侵攻の際には間一髪国外に逃れたものの、家族・親戚は皆収容所で殺されてしまった。その後ベラルーシの首都ミンスクで音楽を勉強し、ウズベキスタンのタシケントを経て、1943年にモスクワに移住。ショスタコーヴィチと親しく交わるが、ここでもスターリンの反ユダヤ政策という災禍に見舞われて、義父は暗殺され、彼自身も逮捕された。死刑が求刑されたが、スターリンの死 (1953年) によって奇跡的に難を逃れた。これは平和な時代の平和な国にいる我々にはなかなか実感できない凄まじい運命である。まさに独ソの負の歴史に翻弄された作曲家であるが、現代に生きる我々としては、そのような事実は一応知識として持っておきながらも、まずは音楽そのものに耳を傾けてみたい。クレーメルはこの作曲家の昨今のリバイバルに大きな貢献のあった人で、既に何枚かのアルバムも録音しているが、このヴァイオリン協奏曲の録音は、未だないようだ。そしてこの協奏曲は、かつて日本で演奏されたこともない。従って、このような曲のこのような演奏を聴ける東京の聴衆は、非常に恵まれているのである。これがショスタコーヴィチと談笑するヴァインベルク。ショスタコーヴィチは 1903年生まれだからヴァインベルクよりも 13歳上。師弟関係というよりは友人であったようだ。
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この演奏会の前に、別の演奏家によるこのヴァイオリン協奏曲の録音を聴いて予習して行ったが、やはり生で聴くと、曲の推移がよく分かって面白い。1961年にレオニード・コーガンのソロとゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮のモスクワ・フィルによって初演された 30分程度の作品であるが、協奏曲としては変則の 4楽章制を取り、形式感は希薄である。非常に激しい部分と静かな部分が交互に現れるような曲で、ヴァイオリン・ソロとオケが丁々発止やりあうシーンはあまりなく、ソロとオケも、交互に演奏するような印象がある。だが、以前クレーメルがヴァインベルクの無伴奏ソナタ 3番を演奏したときにも思ったが、この作曲家のある種ささくれだった音楽は、クレーメルの持ち味にぴったりである。ただの美音 (いや、もちろんヴァイオリンは美音であるに越したことはないのだが 笑) だけではなく、聴き手の心に強く突き刺さってくるような彼のヴァイオリンは、ヴァインベルクの音楽の本質をクリアなかたちで聴衆に提示する。そしてそれは、未知の音楽に対する扉を開けてくれる、大変素晴らしい体験なのである。ここでのカスプシクの伴奏は、かなり譜面と首っ引きで、特に大きな印象はなかったものの、いわゆる職人的な手腕を持つ指揮者であると思った。コンチェルト終了後クレーメルはアンコールとして、同じヴァインベルクの「24の前奏曲」から第 4番と第 21番を演奏。これもいかにもこの作曲家らしい、静謐さと野蛮さが同居する音楽であった。特に後者は、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第 1番の冒頭と同じメロディが出て来て、興味深かった。

そして後半の曲目、ショスタコーヴィチ 4番である。もちろんこの作曲家は、ポスト・マーラーという観点に基づき、現代のオーケストラのレパートリーにおける重要度が増すにつれ、演奏頻度が上がっている。だが、15曲ある交響曲のすべてがよく演奏されるわけではない。以前誰かが言っていたが、マーラーの場合と違ってショスタコーヴィチは、曲による出来のむらが大きすぎる、あるいはさらに、傑作と言える交響曲は少ない、という考え方もあると思う。私もそれには同感で、特に 2・3・4番にはあまりなじめない。2番と 3番は政治的な要素という特殊性のある短い曲なので、まあよしとして、問題はこの 4番である。巨大な管弦楽を使って、1時間を超える大作になっているが、あまりにもまとまりがなく、ただうるさいだけと感じることが多いのである。それは、これも学生時代に、ハイティンクの録音で初めて聴いて以来の思いであり、実演でも、ニューヨークでゲルギエフとマリインスキー劇場管が、この作曲家の交響曲全 15曲を演奏した際に聴いたことくらいしか思い出せない (芥川也寸志が新交響楽団を指揮して 1986年に行った日本初演も、誘われたが行かなかった)。だが、それゆえに今回は楽しみであったのだ。期待のカスプシクが、私の偏見を取り除いてくれることを望んで。
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そしてこの演奏、大変よかった。まずカスプシクであるが、変わったことは何もしない、ごくごくオーソドックスな指揮ぶりで、見たところ決して器用ではない。だが、その音楽の起伏のダイナミズムと見通しのよさは、やはり非凡である。私が若い頃に感銘を受けた鮮烈な指揮ぶりというものとは少し違ったが、それはやはり、経験を積み重ねてきた彼の音楽が熟しているということだと思う。音楽の進み方には常に強い確信があり、弱音から壮大な音響まで、読響の面々がよく指揮者の意図を音にしていた。ここで強く思ったのは、既にして指揮者陣に非常に恵まれている読響ではあるが、是非このカスプシクと、今後共演を重ねて行って欲しいということ。ポーランド指揮者としての大先輩であったスクロヴァチェフスキは、老年に至っていよいよ充実の音楽を創り出し、この読響の歴史に大きな足跡を刻んだ。65歳というカスプシクの年齢は、まさにそのパターンへの大きな可能性を感じさせるではないか。それにしても、先日のルイージとの共演も記憶に新しいこの読響、実に素晴らしい水準に達している。特に弦楽器パートは、どのセクションもまるで大きなひとつの楽器のような均一性を持ち、奏者ごとにバラバラということは決して起こらない。今日の演奏では木管も金管も打楽器も大変に充実していて、本当に楽しめる演奏であったのだ。尚、今回もコンサートマスターの荻原尚子の素晴らしいリードに感銘を受けた (因みに荻原さんは、妊娠されているようにお見受けした。おめでとうございます!! 胎教がショスタコーヴィチ 4番とはなかなかに豪勢だが、日本ではまだ数少ない、集団におけるリーダーとして働く女性の模範として、頑張ってほしい)。

そう、曲ということに関して言えば、いくつか新しい発見もあった。とりとめのない大音響は依然気になるものの、それはあながちでたらめなものではなく、1935年から 36年という作曲当時の作曲家の内面が現れた結果なのではないか。当時ショスタコーヴィチはオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が酷評されたことで、作曲家としての大きな危機に瀕していた。スターリン体制下でのその状況は、場合によっては命にもかかわる。そんな中、3楽章構成で、両端楽章が極端に膨張し、陰鬱かつ謎めいた音響に満ち、いずれの楽章も弱音で終わるこんな曲を発表すれば、本当に危なかったはずで、結局この曲の初演は、スターリン没後の 1961年 (奇しくも、ヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲初演と同じ年だ!!) まで実現しなかったわけである。そして作曲家は、この後に書いた 5番のシンフォニーで名声を復活させるのであるが、その、一見体制に迎合したかのような第 5交響曲の真価は、今日ではよく知られているように、一筋縄ではいかない。諧謔に満ちたこの作曲家の脳髄には、政治体制を揶揄する反骨精神が常に宿っていたのであろう。今回気づいたことには、この 4番には何ヶ所も、5番と共通する音の素材が使われている。つまり、発表すれば命にもかかわるような危険な存在だった交響曲の素材を、体制にへつらったと見せかけた交響曲に忍び込ませたということである。それから、プログラムで初めて知ったことには、終楽章には数々の過去の名作からの引用があって、それは「魔笛」のパパゲーノのアリア、「ばらの騎士」のワルツ、自作のピアノ協奏曲 1番などである。なるほどそれらはいずれも聞き取れるが、よく耳を澄ますとそれらだけでなく、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」、マーラーの「復活」、チャイコフスキーの「悲愴」なども聞こえてくるではないか!! この引用の手法はもちろん、最後の交響曲である 15番で、謎めいたかたちで登場するが、もっと後の世代のシュニトケなど、このようなショスタコーヴィチの手法にヒントを得て、コラージュ風の作曲をしたのではないかと考えてしまった。このようなことすべて、今回の演奏における読響のサウンドがクリアであったからこそ理解できたものであり、それだけ演奏の質によって受ける印象が変わる難曲と言えるかもしれない。

この曲は 1936年までに書かれていたが、その時点で演奏ができなかったことは上に述べた。これに関して、私が知らなかったエピソードがプログラムに載っているのでご紹介する。1936年 5月にレニングラードを訪問していたドイツの大指揮者オットー・クレンペラーは、ショスタコーヴィチがこの 4番の一部をピアノで弾くのを聴いて、演奏を切望した。だがこの曲にはフルートが 6本使われていて、それだけの人数、優秀な奏者を集めるのは難しい。そこでクレンペラーがフルートの本数を減らすように進言したが、作曲者は頑として受け付けなかったため、演奏は実現しなかったという。もしここでクレンペラーが初演していれば、この曲の運命は変わっていたかもしれない。クレンペラーと言えば、晩年の遅いテンポの重々しいドイツ音楽のイメージがあるが、若い頃は前衛音楽の闘士であった。ショスタコーヴィチの作品としては、交響曲第 9番はライヴ録音が残っているが、5番や 7番や10番など演奏してくれたらさぞ面白かっただろうなぁと思う。

そんなわけで、曲の意義について再考察を迫るような名演であった。そう言えば、以前、マエストロ大植英次と会話した際に、最近のワルシャワ・フィルは大変レヴェルが高いとお聞きした。上記の通り、このカスプシクが音楽監督を務める、ポーランドの No. 1 オーケストラである。来日公演がないものだろうかと思うと、なんと来年 1月、このコンビが来日して、全国 7ヶ所でニューイヤー・コンサートを行う。これは是非聴いてみたい。また今回の会場では、ワルシャワ・フィルの自主制作とおぼしい CD が 3種類売られていたので、早速購入した。ブラームスのピアノ四重奏曲第 1番とバッハの前奏曲とフーガのシェーンベルクによる編曲版、ポーランドの作曲家シマノフスキのスタバト・マーテルや交響曲第 3番、そしてこのヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲 (ソロはグリンゴルツというヴァイオリニスト) と交響曲第 4番というもの。若干マニアックだが、聴きごたえがありそうだ。鮮烈な出会いから 30年以上経過して、私のカスプシク体験はこれから始まるのである。巡り合わせに感謝したい。
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by yokohama7474 | 2017-09-07 02:24 | 音楽 (Live)