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アルチンボルド展 国立西洋美術館

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ジュゼッペ・アルチンボルド (1526 - 1593) という画家の名前は知らずとも、上のポスターに掲げたような奇妙なイメージの絵を見たことのない人はいないだろう。花や果物や、魚や動物や木や火によって形作られた人の肖像。一目見たら絶対に忘れることのできない奇抜な作品の数々である。そんな作品を残したイタリア人画家、アルチンボルドの展覧会が、6月から東京上野の国立西洋美術館で開かれている。約 3ヶ月に亘る会期はあと 2週間ほどで終了し、地方巡回はない。私も、まさかアルチンボルドの展覧会が日本で開かれるとは驚きであったが、実際に足を運んでみて、その予想以上の充実ぶりにまた驚いた。今後はいつ開かれるかは分からない貴重な機会であるので、展覧会の概要を見て行こう。まずこれが、アルチンボルドの「紙の自画像 (紙の男)」。25年間に亘るハプスブルク宮廷での生活を終えて、故郷ジェノヴァに還ってきた画家の自画像だ。題名の通り、よく見ると紙で構成された半身像であり、襟元には「1587」、額には「61」とあって、つまり 1587年に 61歳のときの自画像を描いたと考えられている。彼が宮廷で描いた奇抜な油絵の数々に比べると控えめではあるが、その精神は同じであり、しかもこのデッサン力は大したものである。つまりアルチンボルドの作品は、ユーモア感覚と画家としての技量が揃っていないとできないものであることが分かる。
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アルチンボルドのだまし絵は、その仕上がりが極めて特殊であるゆえ、何か西洋美術史における突然変異のように見えるかもしれないが、展覧会では彼の絵の背景が理解できるような展示物に触れることができる。アルチンボルドが活躍した 16世紀後半は、ルネサンスも盛期を過ぎ、地域によってはマニエリスムと呼ばれるスタイルに移っていたが、画家が修業する上で、自然観察に関する科学的態度は欠かせない要素になっていた。そのような精神なしにはアルチンボルドの作品は考えられない。その一方で、人間に対する観察と、それに基づく諧謔味を伴う誇張という点も、絵画表現において重要になってきていたが、ルネサンスの時代、自然観察と人間観察の双方において大変な高みに達した画家がいる。いうまでもなく、レオナルド・ダ・ヴィンチだ。彼は数多くのペン画やデッサン、また鏡文字を使用した文章を残したが、例えばこの「鼻のつぶれた禿頭の太った男の肖像」(1485 - 90年) は、写実的でありながら諧謔味もある。このような精神は、アルチンボルドの作品と通底するように思われる。
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アルチンボルドの作り出した奇抜なイメージが同時代、そして後世の人々にも支持された理由のひとつは、そこに人間の何か根源的な興味を惹く要素があるということだろうし、天下のハプスブルク王朝において作られた絵画イメージであることも、人々にお墨付きを与えたものであろうか。例えばこれらは、アルチンボルドの死後何十年も経過した、1630 - 50年頃の作といわれる「四季の寓意」のエッチングである。うーん、本物からは随分と安っぽくなっているが、人々は奇抜なイメージを楽しんだのだろう。
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展覧会ではここらで、本物のアルチンボルド作品の名刺代わりの一発とばかりに展示されているのがこれだ。ワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵の「四季」(1590年頃)。上の版画のような、ただのイメージだけの追随と比べると、自然物だけを使って、存在感のあるリアルな老婆の姿を描き出したアルチンボルドの手腕の冴えは、明らかだ。
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このアルチンボルドが宮廷の肖像画家としてウィーンに移住したのは 1562年、36歳頃のことだ。以来、フェルディナント 1世、マクシミリアン 2世、ルドルフ 2世という 3代の皇帝に仕えることとなる。展覧会にはこれら皇帝とその家族の肖像画がいくつか並んでいるが、これはアルチンボルドの作であろうとされるマクシミリアン 2世の皇女、アンナの肖像 (1563年頃)。この人は叔父にあたるスペインのフェリペ 2世に嫁いでいるらしい。アルチンボルドが「まっとうな」肖像画家としてもなかなかの手腕であったことが分かる。
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また彼は、宮廷での馬上試合の装飾をデザインしている。これらは 1585年、ルドルフ 2世に献じられた馬上試合用のもの。「槍を持つ女」と「龍の仮面をかぶった男」である。このデザイン、ただの義務でやっているのではなく、画家自身が楽しんでいるようには見えないだろうか。
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展覧会には当時ハプスブルク宮廷に献呈された杯などの工芸品が並んでおり、そしてメインのコーナーでは、アルチンボルドの代表作「四季」と「四大元素」の 2つの 4連作が勢ぞろいしている。これらは額縁がシンプルなものから豪華なものまでいろいろあり、所有者もバラバラであることに気づかされる。以下のような具合だ。
「四季」の「春」はマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館、「夏」と「秋」はデンヴァー美術館、「冬」はウィーン美術史美術館。「四大元素」の「大気」と「火」はスイスの個人、「大地」はリヒテンシュタイン侯爵家、「水」はウィーン美術史美術館。これらが勢ぞろいするのは極めて貴重な機会であり、今後またあるのか否か分からないほどだ。以下、一気に画像を掲載する。どれを取っても、ずっと見ていても飽きない作品たちで、私は会場をグルグルと何度も回ってしまいました。
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これらの絵がなぜ面白いかと言えば、様々な構成要素がリアルでついつい見入ってしまうことに加え、全体として、描かれた人物の個性までも伝わってくるように思われるからだ。そしてこれら 2つのシリーズ、こうして並べてみると、右向きと左向きが交互になっていることが分かるが、テーマとして、「春」は暑くて湿っている「大気」と、「夏」は暑くて乾燥している「火」と、「秋」は冷たくて乾いている「大地」と、「冬」は冷たくて湿っている「水」と対応しているらしい。上の写真でいうと、1つめと 5つめ、2つめと 6つめ、3つめと 7つめ、4つめと 8つめということになり、これらをそのペアで左右に並べると、向かい合うこととなる。展覧会ではそのように展示されているのである。だがその面白さは、その場に身を置いてみないと分からない。未だ現地に行っていない方は、残る会期に慌てて上野に走る価値ありである。

さて、私は長年に亘る澁澤龍彦のファンであるが、昭和の時代に、正統派ではない西洋絵画を多く日本に紹介した彼の随筆にはしばしば、ルドルフ 2世がプラハに芸術家や科学者を集めたことに言及していて、その中にアルチンボルドの名も出て来る (因みに来年 1月から 3月にかけて、Bunkamura ザ・ミュージアムにて「ルドルフ 2世 驚異の世界展」が開かれるので、今から楽しみだ)。珍奇なものを喜ぶ精神には、もちろん博物学的な観点以外に退廃的なものもあるだろうが、人間の好奇心はそのような珍奇なものに反応する。今回の展覧会でも、そのような宮廷の雰囲気を感じられる展示物がある。今日ではあまり健全ではないかもしれないが、歴史を知るには興味深い資料である。これは 1642年の「怪物誌」という書籍から、多毛人して当時知られていたゴンザレス家についての記述。また、1580年以降に描かれたとされる「エンリコ・ゴンザレス、多毛のペドロ・ゴンザレスの息子」という油彩画もある。
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現実に目に見える世界、当たり前の世界でないものへの興味という意味で、アルチンボルドが人気を博した時代の感性が理解できる。それはまた、このような作品にも見て取ることができよう。1662年以前の「擬人化された風景」で、マテウス・メリアン (父) という画家に基づく、ヴェンセスラウス・ホラーという画家の作品。風景が実は人の顔になっているというだまし絵的な要素は、遥か後年のシュルレアリスム的感性に通じる。
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さてアルチンボルドは、上のような動植物のような有機体による連作以外の単発でも、面白い作品をいろいろと残している。これは 1574年の「ソムリエ (ウェイター)」。大阪新美術館建設準備室の所蔵になるものだ。ほっほぅ、大阪府はこれまた貴重な作品を手にしたものだ。これは、二度漬け禁止、ではなかった、二度と手に入らない逸品ではないだろうか。
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それからこれは、スウェーデン王室に伝わる「司書」。実在したハプスブルク家の図書館長を描いたとされるが、その仕上がりが若干雑であるとして、アルチンボルドの真筆ではないという説もあるらしい。
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まあ確かに、アルチンボルドの真作とされる以下の作品に見ることができる、人間としての実在感は大したもの。1566年の「法律家」である。ストックホルム国立美術館の所蔵。法学の知識を備えた実在の行政官をモデルにしたと言われる。うーん、鳥と魚からなる行政官か (笑)。
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そして最後に、アルチンボルドの底知れない遊び心を思わせる 2点の作品をご紹介しよう。もったいぶっても仕方ないのでここで述べてしまうと、いずれも上下さかさまにすると全く違う図像が現れてくるというもの。「庭師 / 野菜」と「コック / 肉」だ。特に私が萌えたのは、後者における人の指である。こんな人間への親近感あふれる表現は、ほかのアルチンボルドの作品にはないのではないか。
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このように、誰にでも楽しめる作品の数々に触れる機会は大変に貴重なものなのである。さてここからは展覧会の展示とは異なる作品の紹介なのであるが、このようなアルチンボルドのだまし絵の感覚は、日本人の感性にもかなり合ったようだ。鎖国していたはずの江戸時代の日本では、有名な幕末の絵師、歌川国芳 (1798 - 1861) のこのような作品には鳥肌が立つ。「みかけはこわいがとんだいいひとだ」。
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そしてこれは若干毛色が違うものの、似たような感性による作品。「東海道五十三次」で知られる初代安藤広重 (1797 - 1858) の手になる影絵「かけぼし尽くし」。なんなんだこの楽しさは (笑)。
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やはり日本人の感覚には、このような光と影の遊戯が合う面があるようだ。そんなわけで、会場に売っていたアルチンボルドの「水」を象ったフィギュアを購入。このフィギュアのよいところは、原作では横からしか見えなかった人物の顔を、正面から見ることができること。まぁ、だからなんだと言われてしまえばそれまでだが、なんだか楽しいではないか (笑)。早速我が家のフィギュアコーナーに仲間入りである。
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by yokohama7474 | 2017-09-10 21:52 | 美術・旅行