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関ヶ原 (原田眞人監督)

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日本人なら誰もが知る天下分け目の関ヶ原。あまりにも一本気で、狡猾な策略を欠いた石田三成と、目的をはっきりと据え、その目的に向けて策を弄した徳川家康の戦い・・・という単純な図式であったのかどうか、歴史的評価にはいろいろあるだろうが、大掛かりな戦であった割には 6時間という短時間で決着がつき、それが徳川の世の始まりとなったことは、確かであるだろう。この映画は、司馬遼太郎の小説を原作としたもので、その点においてフィクションの要素も含んでいて、特に何か最新の研究成果に基づく新たな歴史的真実の発見を促すものではないが、もちろん映画であるから、見る者に刺激を与えてくれればそれがいちばんである。その意味では、興味を引く要素と、残念な要素が入り混じった内容になっているというのが私の感想だ。

この映画を作ろうとする際にまず考えねばならないことは、どのような観客を想定するか、ということではないか。つまり、歴史に詳しくて、かつ司馬遼太郎の原作を読んでいる人なのか、あるいは、石田三成と徳川家康の名前は知っているが、例えば小早川秀秋の裏切りまでは知らない人なのか、さらには、日本史の授業で天下分け目の戦いとして習ったが、それ以上のイメージの全くない人なのか。このような何パターンかの観客のいずれにアピールすべきであるのか、その方針によって、内容がかなり変わってくると思う。つまり、実在の人物たちの関与は多岐に亘り、歴史的な背景も非常に複雑であって、それらの事情を事細かに描いていると、とても 1本の映画に収まりきらないということ。その一方で、ただ単に東軍と西軍が戦いましたでは映画にならず、歴史の歯車のようなものがきっちり描かれないと深みが出ないこと。それゆえ、このような映画の脚本を作るのはなかなかにリスクがある。そう思うと、司馬遼太郎の小説を原作にしたことの意味が見えてくる。ここでは飽くまで「司馬作品の映画化」という位置づけをはっきりさせることで、歴史ものとしての権威づけがなされ、一定数の観客動員が見込まれるだろう。その点は理解できるが、それでも私はこの作品の導入部にはどうも納得がいかない。そのシーンのロケ地は明らかに彦根の天寧寺であるのだが、現代の古老の語る昔話と、秀吉にその聡明さを見出された三成少年の出会いを、その地でオーバーラップさせる必要があっただろうか。これがその天寧寺で、私が昨年現地を訪れたときの写真。ちょうどこの写真の手前右下あたりの場所でストーリーは始まる。
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ここで忘れないうちに書いておくと、もしこの映画を見て、この天寧寺なり、三成ゆかりの佐和山城に興味を抱かれれば、その私の記事 (2016年 7月 23日) をご参照頂きたい。貴重な情報も多々含まれておりますよ。

ここでこの映画に対する不満を書いてしまうと、歴史の流れを現代 (あるいは原作小説の書かれた時代) にまで引き寄せることで、その時日本を二分するとまで思われた戦の迫真性が弱まってしまったように思う。つまり、この戦いは、日本が当時置かれた状況や、関係した武将たちの生きざまにこそ描くべきものがあるのであって、それを歴史の無常感に託してしまうと、やはり焦点がぼけてしまうと思うのだ。今でも劇場で上映されているクリストファー・ノーランの「ダンケルク」を思い出してみよう。あの映画が完璧とは言わないが、きっと戦場にいる兵士たちがその場で感じたであろう緊迫感や絶望感が、ひしひしと伝わって来たではないか。このような仮借ない描き方をしないと、歴史の重みを本当に感じることができない。そのようなこの映画への不満は何も冒頭だけではなく、各武将の描き方にも感じるところがあった。上述の通り、これだけ多くの登場人物を 2時間半ですべて描き切ることは極めて困難だが、例えばもう少し、誰と誰がどんな関係であったといった説明なり語りを時々加えるようなことがあった方が、スムーズな流れになり、ひいてはそれが観客の感情移入を呼んだものであろうと思う。それから、戦闘シーンの出来 (主要人物が傷ついたり命を落とす場面を含め) も、もう少し鮮やかにできなかったものか、という思いを禁じ得ない。

だがこの映画には何人かの役者が素晴らしい演技を披露しているので、その点だけでも見る価値はあろうと思う。まず圧巻は、豊臣秀吉を演じた滝藤賢一である。もともと無名塾の出身で、最近の映画 (私はテレビドラマには一切知識がないので語れないが) の何本かで忘れがたい演技を見せていたが、今回の鬼気迫る秀吉役は、彼としても新境地ではないか。どうやらこの名古屋弁も、本物のようだぎゃー。
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それから、もちろん徳川家康役の役所広司も素晴らしい。つい先日「三度目の殺人」で全く違うタイプの役を演じるのを見たばかりだが、いやそれにしても今回の役、単なるタヌキ親父の家康ではなく、目的のためには手段を選ばない異常なまでの冷酷さと、どこか憎めない人たらしの部分を併せ持つ、大変に複雑なもの。役所ならではの、一本筋の通った演技が見事。
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石田三成役の岡田准一はいつもの通りの熱演だし、それに加えて家臣 (最初は違うのだが) の島左近を演じた平岳大も、なかなかの迫力だ。
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それから、出番は少ないが、さすがの存在感を見せるのは、直江兼続役の松山ケンイチ。それに比べれば、まあ役柄の印象もあるのかもしれないが、小早川秀秋役の東出昌大は、ちょっと線が細いか。
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一方で、伊賀者の初芽を演じた有村架純は、主要登場人物ではもっともガッカリであった。精悍さが全くなく、くのいちにはどうしても見えないので、最後まで戸惑いを覚えながら見ることとなった。NHK 朝ドラで主役をこなしながら、この映画や、もうすぐ公開される「ナラタージュ」などの全く異なる映画に出演している点は、本当に頑張っていると思うのだが・・・。
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このように課題をあれこれ書いてはいるものの、想像力を持って鑑賞すれば、この戦いのリアリティを感じることができる箇所もあるので、全体の出来としてはまずまずであるとは言えると思う。ただ、冒頭のポスターにある「誰も知らない真実」にはやはり違和感がある。ネタバレは避けるが、三成の心のうちにその「真実」があったということであると理解した。その設定はきっと原作にあるものだと思うが、それが分かるいくつかのシーンで私は、申し訳ないがほとんど感情移入できなかった。ここでまた「ダンケルク」を例に引こうか。あの映画で描かれた厳しい戦争の真実は、この映画の設定からは、残念ながら感じられない。

ところで私は関ヶ原に実際に行ったことはないのだが、一度は訪れてみたいと思っている。もちろん歴史に思いを馳せたいということもあるが、関ヶ原ウォーランドというところにある、浅野祥雲という中部地区では有名な伝説の (?) 造形作家が作ったキッチュな人形群があるらしいので、それを見たいのだ。例えばこんな感じ。家康の前に、なぜに賽銭箱? (笑)
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それから、2015年に江戸東京博物館で見た「大関ヶ原展」も面白かった。この映画を見てから、展覧会の図録を引っ張り出してきてつらつら見ているが、大変興味深い。例えば、この映画にも何度か出て来る、家康が関ヶ原に持って行ったとされる巨大な金の扇子。久能山東照宮の所有で、長さ実に 220cm。後世の合戦図においては、家康の象徴とされているもの。
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加えてもうひとつ。私がブログでこの書物に触れるのはこれが三度目であるが、村山知義の小説「忍びの者」にも、関ヶ原のことが詳しく出て来る。今手元に持ってきて確認したが、全 5巻のうちの第 4巻の最後の方である。何度でも主張するが、この小説は滅法面白いので、司馬遼太郎もよいが、文化を語る人にはこの本も、是非是非お薦めです。
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そんなわけで、天下分け目の関ヶ原は、今も日本人の想像力を掻き立ててやまないのである。

by yokohama7474 | 2017-10-05 00:48 | 映画