川沿いのラプソディ


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水戸室内管弦楽団第 100回定期演奏会 (指揮 : ラデク・バボラーク / 小澤征爾) 2017年10月13日 水戸芸術館コンサートホールATM

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水戸に本拠地を置く水戸室内管弦楽団が、第 100回の定期演奏会という節目を迎えた。水戸室内管は、1990年に設立された室内オーケストラである。チェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチをソリストに招き、小澤征爾の指揮で第 1回演奏会を開いたのはその年の 4月。ちょうど私が社会人になったタイミングであるので、このオケの発展は、私自身が社会の荒波に揉まれて成長する (?) 過程とそのまま重なることもあり、今回の第 100回定期演奏会には是非足を運びたいと思ったものである。このオケのメンバーは、サイトウ・キネン・オーケストラのメンバーともかなりの部分重複していることや、水戸芸術館の初代館長、音楽評論家の吉田秀和 (1913 - 2012) が小澤の恩師であることもあり、設立当初から小澤との共演が多かったわけであるが、2013年に小澤が吉田の後を継いで水戸芸術館の館長に就任した際、このオケの総監督にも就任したという経緯がある。
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このブログでは過去何度か、小澤征爾という指揮者について語ってきている。昔から「世界のオザワ」などという、私に言わせれば音楽の本質に関係のない、実にくだらない称号をマスコミから捧げられる一方で、様々な毀誉褒貶を経てきた人であるし、私自身の小澤体験を思い出してみても、そのすべてが素晴らしいものばかりではない。だがそうは言っても、彼の音楽を聴いて雷に打たれたような強い感動を覚えたことも、過去 35年間に何度もある。誰が何と言おうと、私にとっては音楽史に残る偉大な指揮者のひとりであり、大病を克服して 82歳という年齢に至った彼の音楽を、一度でも多く聴きたいと思っているわけである。その小澤の実演を聴けるのは、今やほとんどが松本とこの水戸だけ、しかもコンサートの一部の指揮のみ、という事実はどうしようもないわけで、それでも彼の指揮を聴ける機会は、万難を排して確保する所存である。会場にはこのオケの歴史を示すポスターが所狭しと並んでいる。以下 2枚目のフィレンツェ公演は、途中で停電があったにもかかわらず、演奏を継続したという伝説的なもの。私の手元にはこの演奏会が NHK BS で放送された際に録画したヴィデオテープからダビングしたブルーレイディスクがある。
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さて、今回の演奏会、第 100回定期という記念すべきものであり、それを祝う曲目は、ベートーヴェンの交響曲第 9番ニ短調作品 125「合唱付」である。残念ながらこの破天荒な大作を全曲振り通す体力のない小澤は、今回、後半の第 3・4楽章のみを指揮する。そして前半 2楽章を指揮するのは、もともとベルリン・フィルのホルン首席であり、この水戸室内管やサイトウ・キネンでずっとホルンを吹いている、まさに現代のホルンの巨人、チェコ人のラデク・バボラークである。私も昨年の 8月 7日の記事で、彼の指揮する日本フィルの「エロイカ」その他を採り上げている。今年 41歳なので、指揮者としては未だ若手と言える。
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今回の演奏会、いろいろな意味で私にとっては前代未聞のものとなった。すなわち、以下のような点においてである。
1. ひとつの交響曲の前半と後半で指揮者の違う演奏会。これまでも小澤は、オペラの場合はほかの指揮者 (今回の演奏会では合唱指揮者を務める村上寿昭) と指揮を分け合うことはあったし、この水戸室内管でも、前半指揮者なし、あるいはナタリー・シュトゥッツマン指揮という例はあれども、交響曲の一部だけを指揮するのは初めてだろうし、きっと音楽史上でも珍しいことだろう。
2. それと関連して、前半に指揮を取った人が、後半はオケの一員として演奏に参加した。野球で、右投げ投手が左の代打をぶつけられたとき、左利きのピッチャーがワンポイントで出て、その時には外野を守り、その後マウンドに戻ることはあるが、今回のような例はほとんどないと思う (笑)。
3. 第九を演奏するのに、コントラバス 3本という衝撃の小編成!! しかも、ヴィオラとチェロはともに 4本ずつ。
4. 私にとってはこれが最大の驚きだったが、あの小澤が、なんと譜面をめくりながらの指揮である!!

音楽の内容についての私の感想をストレートに言ってしまうと、第九という曲本来の破天荒な表現力を最大限堪能するところまでは行かなかったものの、ひとえに小澤征爾という指揮者の存在によって、特別な機会になった、ということになろうか。前半を指揮したバボラークには大変申し訳ないが、今回演奏を聴くことのできた多くの人たちがそのように思ったのではないか。バボラークほどの驚異の才能なら、指揮でもなんでも簡単にできてしまうかと思うのだが、上述の、日フィルを指揮した「エロイカ」の感想を自分で読み返してみて、我ながら (笑) 納得した。彼の音楽には真面目な重量感があり、もちろんベートーヴェンとしてそれが一概に悪いとは言えないが、ちょっと遊びや面白みに欠くきらいがあると思うのだ。要するに、硬い。そのことを実感したのは、後半に小澤が登場し、第 3楽章が流れ始めたときである。ここでは、バボラークの剛直な音楽から一転して、なんともしなやかな音楽があり、水の流れのように進んで行く弦楽器の表現の透明感と、そこに湛えられた Emotion は、いかに感動的であったことか。改めて小澤のしなやかな音楽を聴いて、少し感傷的な気分になったことを率直に認めよう。これは記者会見での小澤。
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ちょっと遡って、今回の演奏会で第 2楽章が終わったときの情景を思い出してみよう。それまで、手すりのついた指揮台で、譜面台も置かずに暗譜で指揮していたバボラークが出番を終えると、指揮者交代を知っている聴衆は拍手を送った。だがバボラークは、曲の途中だからだろう、その拍手には反応せず、コンサートマスター (豊嶋泰嗣) にだけ会釈をして、そそくさと退場した。小澤用の椅子が指揮台に運び込まれ、指揮台自体が少し前に引き出された。補給用の水も置かれた。それらの作業と並行して、合唱を務める東京オペラシンガーズ (総勢 30名程度の小さな規模で、女声の方が若干多い) が入場して、ステージ上の後方に並んだ。椅子を置くスペースがないので、合唱団はずっと立ちっぱなしである。そして、思わぬことに、譜面台が運び込まれ、楽譜が置かれて、それから、舞台上手から 4人のソリストたち (三宅理恵、藤村実穂子、福井敬、マルクス・アイヒェ) が、下手からは小澤が登場した。あ、それから、終楽章のトルコ行進曲で打楽器を演奏する 3人の奏者も登場し、そして後半でホルンを吹くバボラークが、それまで吹いていた若い女性のホルン奏者と交代した。小澤は指揮台で精神集中し、そして始まった音楽は上述の通り清らかな感情の流れとなり、この名人オケが紡ぎ出す最上のクオリティの音が、人々の心に直接響いたのである。その第 3楽章終了時には小澤は給水を行い、少し休止を取ってから第 4楽章に入って行ったのだが、体の動きがかなり小さい。音楽が盛り上がる部分では懸命に椅子から立ち上がっての指揮であり、もちろんその音楽は感動的に立ち現れたが、演奏を聴きながら私の中では、ある情景が甦っていた。それは、もうかなり以前だが、ロリン・マゼールが大晦日にベートーヴェンの全 9曲を続けて演奏したときのこと。確か、それまでコントラバス 6本を基本に演奏して来たマゼールが、最後の第九に至って、なんと 10本のコントラバスを並べたのである!! これこそ、この曲が、作曲された当時からいかに破天荒な曲であったかを端的に示す例であり、現代ですら、その破天荒さにはなかなか演奏がついていかないのであるということを、その時実感したのだ。実は今回の演奏の開始部分から既に明らかであったが、弦楽器の編成が小さいと、音楽のダイナミックレンジ、つまり強弱の幅も小さくなってしまうのである。やはりこの曲には、ベートーヴェンの脳髄の中で鳴っていた壮大な響きが必要である。いかなる名人オーケストラでも、表現のパレットを制限されることは、やはりハンディであろう。

とはいえ、繰り返しだが、この演奏には最後まで感動的なものがあった。譜面を置いてはいるものの、ほとんど目をやることはないまま、それをめくりながら指揮をした小澤の中には、喧騒を超えた音楽の表現力がきっちりイメージされていたのだろう。それは、我々がこの指揮者の演奏を多く経験し、また彼を尊敬しているからこそ、上記のようなオケのハンディを超えて、聴衆に訴えかけるものであったのだと思う。そうであればこそ、途中で休憩を挟んでもよい、全曲を小澤の指揮で聴きたかった!!

今回の演奏も録音されていたので、これで水戸室内管とのベートーヴェンは、残すところは第 3番「英雄」と第 6番「田園」だけとなった。どちらも、第九ほどではないが 45分から 50分を要する大作であり、特に前者は、激しい高揚が必要な曲。また譜面を見ながらになるのか否か分からないが、今の小澤がどのように取り組むのか、楽しみにしたいと思う。そして、ベートヴェンが終わったその先も。
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by yokohama7474 | 2017-10-14 01:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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