川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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ヴァレリー・アファナシエフ ピアノ・リサイタル 2017年10月15日 紀尾井ホール

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もう随分昔のことになるが、どこかで読んだ文章が気になった。それは、現代音楽界における不思議のひとつとして、ヴァイオリンの巨匠ギドン・クレーメルの伴奏をよく行っているピアニストは、紛れもない天才なのに、なぜ活発なソロ活動をしないのか、というものであった。興味を持って調べてみると、そのピアニストは、見た目が何か怖いような印象で、ちょっとただならぬ雰囲気である。そうこうするうちにそのピアニストのソロ活動は活発になり、アルバムも出るようになった。私も彼の演奏するブラームスなどを録音で聴いて、確かにこれはすごいぞ、鬼才という呼び名にふさわしいぞ、と思ってはいたのだが、実演に接する機会がなく今日に至った。昨年の来日公演は別件によって聴くことができず、今回紀尾井ホールで開かれる 2回のリサイタルのうち、ひとつは行けないが、もうひとつは行ける。そんなことで、そのピアニスト、ロシア出身のヴァレリー・アファナシエフの実演に、今回初めて触れることとなったのである。これが若い頃のアファナシエフの録音のジャケット。
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このアファナシエフは 1947年生まれなので、今年 70歳。モスクワ音楽院で名ピアニスト、エミール・ギレリスに師事し、1972年にはエリーザベト王妃国際音楽祭で優勝している。その 2年後、同コンクールの開催国であるベルギーに亡命、現在でもブリュッセルを中心に活動している。初来日は 1983年なので、これまで聴くことを怠っていた私としては、前非を悔いて彼の音楽に傾聴する必要がある。今回のプログラムは以下の通り。なるほど、上のポスターにある通り、「テンペストとノクターン」である。
 ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ第 7番ニ長調作品 10-3
         ピアノ・ソナタ第 17番ニ短調作品 31-2「テンペスト」
 ショパン : 夜想曲 6曲 (第 1番変ロ長調作品 9-1、第 5番嬰ヘ長調作品 15-2、第 7番嬰ハ短調作品 27-1、第 8番変ニ長調作品 27-2、第 9番ロ長調作品 32-1、第 21番ハ短調 (遺作))

尚、会場で配布されたプログラムは白一色に、縦に文章が掲載されているユニークなもの。ちょっと高級な和食屋のメニューのようだと言えば、怒られてしまうだろうか (笑)。載っている文章の内容を含め、俗っぽさを排した作りである。
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一言で記せば、まさに鬼才ピアニストの面目躍如で、若干特殊性はあるものの、非常に心にドッシリと来る演奏であった。ちょっと奇妙なたとえを使うとするなら、明日世界が終わるとしても、つまり、一人の聴衆もいないとしても、ずっとこのように弾き続けるのではないかというような印象の音楽だ。彼は世界に向けて高らかに歌を歌うのではなく、何か見えないもの、あるいは自分の奥にある神秘的なものに向かって歌っているように思われる。それはまさに比類のない音楽であり、その純度は極めて高いがゆえに、もし彼が聴衆のために弾いていないとしても、聴く人の心を大きく揺さぶるようなものなのである。今回の演奏では、例えば「テンペスト」の冒頭は、ちょっと指慣らしにピアノをいじってみたような感じで始まり、休符になると、いつ果てるとも知れない沈黙が続く。音楽の流れは著しく悪いのだが、そこには我々がかつて経験したことのないような深淵が存在しており、耳の楽しみとしての音楽ではなく、生きることの意味を問う哲学的な行為としての音楽が聴かれたと思う。その一方で、一旦音楽が流れ出すと、10本の指はまるでバロックの多声音楽を弾くように自在に動き回り、その音色には純粋な美しさが常に伴っている。音量は概して大きく、よく響く。そもそも彼は、燕尾服などのいわゆる通常のコンサート用の衣装ではなく、全くの普段着のような黒い長そでシャツに、やはり黒っぽくて線も入っていないように見えるラフなスラックスで登場し、聴衆への挨拶もほとんどないまま、だらしなく見えるほどリラックスしたまま椅子に座って、ポロポロと弾き出すのである。その様子はいかにもつまらなそうで、時には曲間に額に手を当てたりして、普通ならコンサートマナーがなっていないとすら思われそうな演奏態度である (笑)。だが、今回紀尾井ホールに詰めかけたほぼ満員の聴衆は、誰一人として、彼のステージマナーなど気にしなかったろう。前半のベートーヴェンのみならず、後半のショパンでも、音の純度は守ったまま、優雅さは表現せず、ひたすら自己と向き合うような内省的な音楽を聴かせたのである。繰り返しだが、これは一般的な意味での模範的な演奏とは思えない。だが、まぎれもなくピアニストの個性が刻印された真実の音楽であると言えると思う。

全曲終了後、相変わらず不愛想に聴衆の拍手に応えた彼は、客席からの小さな花束に、子供のようなはにかんだ笑顔を見せた。そしてアンコールは 2曲。ショパンのマズルカ第 45番イ短調作品 67-4 と、マズルカ第 47番イ短調作品 68-2 であった。最初から最後まで、ひとつの弧を描くような演奏会であり、すべてはこの鬼才ピアニストの手によって、意気軒高になることなく淡々と進んで行った。いわばこの演奏会は彼の取り仕切る宗教行事のようなものであったと言ってもよいのではないか。

終演後にサイン会があったので参加した。購入した CD は、ショパンのノクターン集で、今回演奏された 6曲に 3曲を加えた、全 9曲からなるもの。1999年に日本で録音されている。演奏後ほんの数分で、ステージで着ていた衣装のままで姿を見せたアファナシエフは、長蛇の列をなしたファンに対して、意外と気さくな笑顔で丁寧に接していた。その様子を見て、まだまだ世界の終わりに際して一人でピアノに向かってもらう必要はないだろうと実感した (笑)。
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70代の音楽家には、技術ではない、何か圧倒的な存在感を期待したいものであるが、きっと彼は今後もますますその独自の世界を深めて行くことであろう。また次の実演を楽しみにしたい。そういえば、今回配布されたチラシに、来年 5月に佐渡裕指揮ウィーン・トーンキュンストラー管との共演で、ブラームスの 2番のコンチェルトを弾くという速報があった。なかなかに異色の顔ぶれであり、面白い演奏会になるのではないだろうか。

by yokohama7474 | 2017-10-16 00:40 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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