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茨城県桜川市 妙法寺 (舜義上人即身仏)、小山寺 (富山観音)、月山寺、雨引観音

これから私がご紹介するのは、茨城県桜川市にある古寺の数々である。桜川市をご存じであろうか。実のところ、私もその存在を知らなかった。つい先月、この地を実際に訪れるまでは。だが、行ってみて判ったことには、なんとも古い歴史と貴重な文化遺産を持つ土地であり、高速道路も近くを通っていて (常磐自動車道と北関東自動車道)、車で訪れるには大変便利。位置は以下の地図の赤丸の場所だが、水戸の西側、北は栃木県と接しており、南の方は筑波山である。
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もともと私がこの地域に興味を持ったのはほかでもない、今年の 7月に山形県で 6体の即身成仏を拝観したことがきっかけである。その旅行記はこのブログの過去の記事をご参照頂きたいが、同地訪問に際し、久しぶりに日本のミイラの本を書棚から引っ張り出してきて読んでいたところ、なんと、関東地方にも即身仏があるという。しかも江戸時代初期の古いもので、所在地は「茨城県西茨城郡岩瀬町」とあった。調べてみて、その場所は 2005年に 3町村が合併して、現在では桜川市という地名になっていることが分かった。茨城県といえば、ちょうど水戸室内管弦楽団の演奏会に出掛ける予定がある。そのついでにちょっと寄ってみるか・・・と思い立ったもの。私が地方に出掛ける時の歴史探訪には、山川出版の県別の歴史散歩という本が欠かせないが、今回も「茨城県の歴史散歩」を片手に、即身成仏のある妙法寺を含めて 4ヶ所の古寺を周ることとした。この日は金曜日と平日であるのに加え、あいにくの雨であり、私が家人とともに訪れた場所はいずれも閑散として人影のない状態ではあったが、それだけに心に残る、深い情緒を感じることができる小旅行となった。

まず最初が、その即身仏、舜義上人のおわします、妙法寺だ。寺でありながらこのように狛犬もいて、昔ながらの神仏習合を感じさせるが、宗派は天台宗である。
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事前に電話で拝観をお願いしてあり、お堂を開けて頂いて内部を拝観した。即身仏は本堂に入って向かって右手の回廊に安置されており、ガラス入りの厨子に入って、きれいな衣を身に着けておられる。ちょうど山形で拝観した即身成仏では、6年か 12年に一度、衣を換えているとのことだったので、こちらもそうかと思ってお訊きしてみると、そのような習慣はなく、現在の衣は昭和 30年代のものという。つまりこの寺の即身仏は、真言宗の湯殿山系のものとは全く違った経緯によって伝えられ、守られてきたということだ。この舜義上人のお姿は、その場で写真撮影ができないので、古い書物 (松本昭著「日本のミイラ仏」) から引用させて頂く。これは恐らく学術調査のときに撮影されたものであろう。
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このように、前かがみとなって口をカッと開けておられるので、正直なところ、少し怖いようにも見えるが (上記の書物では「まさに死の形相そのもの」と表現されている)、伝わっている上人のお人柄や、即身成仏となった経緯などを知ると、執念をもってこのようなお姿で現世に留まった上人の尊い志を理解することができる。但し、舜義上人に関する資料は非常に限られているらしく、手元にある数冊の本の中にも多少の異同があるが、ここでは上記の写真を借用した「日本のミイラ仏」に基づいて説明しよう。その本によると、この妙法寺に伝わる一巻の書が記しているところでは、上人は相模国三浦郡の出身で、同地の城主である三浦氏の一族として 1608年に生まれた。出家して鎌倉の名刹である宝戒寺の住職となり、時の天皇 (後西院天皇) から大僧都の宣下を賜る。69歳のときに弟子が住職をしていたこの妙法寺に隠居し、1686年に 78歳で没した。遺体は七日間の法要の後、石造阿弥陀仏の胎内に納めたという。それから時を経た 84年後の 1773年、当時の住職の夢枕に立った舜義上人が、「再びこの世に出て衆生を救済しよう」と告げたため、人々は石仏を開けて、ミイラ化した上人を取り出したのだという。お寺でもそのような話を聞いて、その石造阿弥陀仏なるものが今に至るも現存していることを知った。上に掲げた最初の門から本堂に至る途中にもうひとつの門があるが、その脇に、知らなければ素通りしてしまいそうな阿弥陀の石仏がある。
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実はこの石仏こそが、その中で舜義上人が即身成仏と化した石棺なのである。よく見ると阿弥陀仏の胸のところには上人の名前が刻まれており、その横には、そこが上人入定の場であることを示す石碑が立っている。
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見たところ、とても人ひとり入るスペースはないと思われるが、「日本のミイラ仏」に医師の所見として書いてあるところによると、このような狭い中に押し込められた際に、上人の首の骨が折れてしまい、上記のような前かがみで口を開いた姿勢になってしまったものだという。うーん。同書に掲載されている石棺阿弥陀仏の胎内の写真を見ると、やはりいかにも狭い。
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それにしても、江戸時代の初期に、自らのからだを未来に残して衆生を救済しようとしたこの舜義上人の決意たるや、凄まじいものがある。現存する日本のミイラとしては、その位置づけが特殊な奥州藤原氏のものを除けば、4つ目に古いものである (ちなみにそのうちの 1体は、既に見た山形の本明寺に残る本明海上人のもので、それ以外は、新潟と福島に存在する)。だが、ここで改めて注意したいのは、この舜義上人の即身仏は、関東に現存する唯一のものなのである。東北の寒冷地域ではなく、普通なら遺体が腐ってしまうような場所で、あえて地上で、この石仏の中でその身体を保持しようとした舜義上人、一体どのような破天荒な人であったのか。お寺の説明では、本当に民のことを考える人格者であり、その遺体は「きれいに残っている」とのこと。この言葉に私は感動した。このような後世の人たちの篤い信仰があってこそ、300年以上の長きに亘って人々を勇気づけているのだと思う。だがそれにしても、山形の湯殿山系のものとは全く異なるこの即身成仏、そのルーツはどこにあるのだろうか。これからも私は、日本に現存する即身成仏を訪ねる旅を続けたいと思う。それは、日本人の重要な一面を知る旅になることだろう。

その妙法寺を辞して私が向かったのは、富谷 (とみや) 観音の異名で知られる小山寺 (おやまじ)。その開基は実に、奈良時代の行基にまで遡るとされているらしい、大変な古刹である。ここでの見どころはなんと言っても、重要文化財に指定されている三重塔。1465年、室町時代の造立というから、関東でも指折りの古い建築であろう。訪れる人はおろか、寺の人の姿すら見当たらない境内で雨に煙るその姿は、実に神々しいものであった。
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次に向かったお寺は、その名も月山寺 (がっさんじ)。この近くには駅名になっている羽黒という地名もあり、いやでも出羽三山を思い起こさせるのであるが、その関係は充分に辿ることができなかった。今後の歴史探訪の課題にしたいものである。この月山寺は、このような整備された境内を持つ立派なお寺であることに驚かされる。
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この寺には様々な文化財が伝来しており、境内にある美術館で対面することができる。
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この美術館で私の目を大いに引いたのは、この仏像群だ。
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この、極めて素朴でありながら一種異様なまでの迫力を漲らせた仏像は、五大力菩薩像。桜川市内の吉祥院という寺に伝来したもので、その制作は胎内の墨書から、平安時代末期、1178年頃にまで遡るというから恐れ入る。五大力菩薩の彫像は全国的にも例が少なく、平安時代のものが揃って残っているのはここだけだという。その性質には鎮護国家の色合いが強く、平将門伝説に彩られた筑波のこの土地において、既に当時 200年以上前に成敗された朝敵将門の怨念を調伏するための造像である可能性があるようだ。いやしかし、それにしてもこんなに古くてかつ素朴な仏像は、ほかにちょっと例がないのではないか。つまり、平安時代の仏像として現存するものは、奈良・京都という上代の日本の中心地に存在するものがほとんどであり、まさかこんな関東の奥地でそれほど古い仏像が残っていようとは、幼時からの仏像マニアの私も知りませんでしたよ。倒れないように紐で留めてあるのが痛々しいが、900年以上を経て現代に伝えられた仏たちの強い生命力に打たれるのである。田舎作りではあるが、その彫り跡は鋭い。
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次に向かった先は、雨引 (あまびき) 観音。ここも創建は奈良時代と伝わる、大変な古刹なのである。聖武天皇と光明皇后が安産祈願したという話は本当かどうか知る由もないが、現在でも安産・子育てに霊験あらたかな寺として知られているらしい。
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境内に至る石段を登って行くと、なんと驚くべきことに、このような看板に出くわすことになる。えぇーっ、孔雀を境内に放し飼い???
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にわかには信じがたい思いで境内に到達し、数々の県指定文化財の建造物を見る。本堂は明暦年間、17世紀半ばのもので、鮮やかな透かし彫りが見事。もう少し時を経れば、国指定の重要文化財になることは間違いないだろう。多宝塔も実に堂々たるものだが、こちらは 200年ほど後の、19世紀半ばのもの。
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そうして私は目撃した。なんということ、確かに孔雀が数羽、本堂の軒下近辺にたむろっているのである!! こんな光景を見ることは滅多にないのではなかろうか。
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と思っていると、実はこの寺には孔雀だけではなく、鶏やアヒルや鴨など、様々な鳥類が境内で自由を享受しているのである。特に一羽の鶏は、堂の入り口に張られたテントの上にじっと鎮座して、あたかもあたりを睥睨しているかのようだ (笑)。
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本堂の中では時あたかも、奥さんが妊娠しているとおぼしい若者夫婦が祈祷を受けていた。このような関東の奥地で、未だ篤い信仰を集める古寺が存在することを知って、感動を禁じえようか。日本の古寺の情緒を知るには、何も奈良や京都だけではない。実は関東地方にも、汲めどもつきぬ歴史の蓄積が存在しているのである。また、今回ご紹介できなかった古寺が、この地域にほかにもいくつも存在するのである。もっとも私はこの後、水戸でコンサートを聴くまでの間、今度は海沿いまで足を延ばして、大洗水族館を楽しんだ。これは家人との交渉の産物であったのだが (今年の 7月以来我が家ではおなじみの、即身仏 vs 水族館)、まあ確かにこのようにのんびり泳ぐマンボウを見ていると、心がゆったりしましたわい。茨城県、恐るべし。
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by yokohama7474 | 2017-11-07 01:10 | 美術・旅行