前項でご紹介した、サントリーホールで 15時に開演したヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートを、17時20分を過ぎてからの終演と同時に抜け出して向かった先は NHK ホール。18時開演のこのコンサートを聴くためだ。週末であっても、六本木界隈から渋谷までは結構交通渋滞が発生することが多いことを知っている私としては、もとより時間的な余裕がないことは分かっていたのだが、タクシーの運ちゃんを叱咤激励、なんとか開演ギリギリに現地に到着。無事このコンサートに間に合ったのである。そのような無理をしてまで私が聴きたかったコンサートは、ポーランド出身のドイツの指揮者、マレク・ヤノフスキが久しぶりに NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期公演を指揮するというもの。ヤノフスキと言えば、東京・春・音楽祭でワーグナーの「ニーベルングの指環」4部作を 4年がかりで指揮して、東京でもその健在ぶりを示したのは記憶に新しいところ。私もこのブログの今年 4月 2日付の記事で、既に今回の演奏会を予告していた。N 響の定期には 3種類あり、それぞれ 2回ずつのコンサートが行われる。ということは、リハーサルも含めると、定期に登場する指揮者は多分東京に 1ヶ月ほど滞在する必要があるのではないか。世界の数々の人気指揮者を指揮台に招いている N 響のこと、たまには全 3プログラムを 1人の指揮者で賄うことは難しいであろう。今月は多分そのような例なのではないか。世界で引く手あまたであろう天才トゥガン・ソヒエフが 2回を担当するが、残る 1回を指揮するのが、マレク・ヤノフスキである。1939年生まれなので、今年 78歳になる。
ヤノフスキの N 響デビューは 1985年のことらしい。だが近年はとんとご無沙汰だったように思う。東京・夏・音楽祭でこのオケと素晴らしいワーグナーを達成したことがきっかけだろうか、久しぶりの定期登場には期待が高まる。実のところ私は、この指揮者の忠実な聴き手とは、お世辞にも言えなかったことを白状しよう。日本でも披露した超大作「ニーベルングの指環」全曲を、名門シュターツカペレ・ドレスデンを指揮してレコードデビューしたこの人は、しかし、その後の活動はベルリン・フィルやウィーン・フィルという超メジャーの楽団ではなく、もう少し渋いところでなされたのである。だがこの経歴によって現在のヤノフスキの芸術が磨かれてきたのだと、今となっては理解することができる。ところで、私の手元にあるヤノフスキと N 響の演奏の画像は、1998年10月のもの。既に 20年近く前になる。ただヤノフスキは、20年前もあまり変わりなく見える。
そんなヤノフスキが今回採り上げた曲目が面白い。
ヒンデミット : ウェーバーの主題による変奏曲
ヒンデミット : 木管楽器とハープと管弦楽のための協奏曲
ベートーヴェン : 交響曲第 3番変ホ長調作品55「英雄」
なるほど、今やドイツの巨匠として尊敬を集めるヤノフスキが今回採り上げるのは、確かにドイツもののみ。だが、前半のヒンデミットは、いわゆるドイツ物というよりも、現代音楽の走りのような存在であるゆえに、若干異色である。だが今回、ヤノフスキが舞台に登場し、譜面台も置かずに暗譜で振り出した「ウェーバーの主題による変奏曲」は、確かにドイツ物でも何でもなく、切れ味鋭い近代音楽であった。実際この曲の冒頭からヤノフスキと N 響が繰り出した鋭い響きは、普段の N 響からなかなか聴けないようなもの。この指揮者の振る音楽が、結構過激な鋭さを帯びていることは、新たな発見であった。実はこの曲には、あのフルトヴェングラーの録音が残っている。私も昔アナログレコードで聴いたが、残念ながら今すぐ手元には出て来ない。そこでフルトヴェングラーの演奏会記録と録音記録 (1984年に没後 30周年として発売されたレコード芸術の別冊による) を見てみると、彼は 1947年のザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとの演奏以来、生涯で 10回、この曲を指揮している。ドイツ・グラモフォンの録音に残っているのは、1947年 9月のベルリン・フィルとのライヴである。この曲の初演は 1944年、未だ戦時中にアルトゥーロ・ロジンスキ指揮のニューヨーク・フィルによってなされていることや、フルトヴェングラーを巡る、いわゆる「ヒンデミット事件」を考え合わせても、この曲の歴史的価値には大いに考えさせられるものがある。ところで、そのベルリン・フィルで、ヒンデミットのこの曲と、その一部の原曲であるウェーバーの劇付随音楽「トゥーランドット」を、同じ演奏会で指揮した人がいる。それは、ほかならぬ小澤征爾。1992年 11月のこと。せっかくなので、その時の小澤の勇姿をここに掲げておこう。
さて、寄り道はこのくらいにして、今回のヤノフスキと N 響の演奏会に戻ろう。2曲目に演奏されたのは、同じヒンデミットでも、遥かに演奏頻度が少ない、木管楽器とハープと管弦楽のための協奏曲。1949年の作である。実はヤノフスキも、この曲を指揮するのは今回が初めてであったという。道理で、この日のコンサートの中でこの曲だけは、譜面を見ての指揮であったわけである。それにしても、78歳で新たなレパートリーを、日本のオケとの共演で手掛けるとは、なんとも頭の下がることである。この協奏曲でソロを取ったのは N 響の首席たち。フルートの甲斐雅之、オーボエの茂木大輔、クラリネットの松本健司、ファゴットの宇賀神広宣、ハープの早川りさこの面々である。このうちハープの早川は、この曲の日本初演にも参加したらしい。この曲はそれほど面白いものとも思わないが、終楽章でクラリネットが延々とメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」の中の結婚行進曲を吹き続けるのが印象的。解説によると、この作品の初演日はヒンデミット夫妻の結婚 25周年の記念日であった由。件のヒンデミット、なかなか洒落たことをしますなぁ。あ、それから余談だが、上記の小澤指揮ベルリン・フィルの 1992年の演奏会では、メインの曲目はメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」であったというのも、面白い偶然だ。