実は、ここから先はさほど多くの写真を撮ったわけでもなく、逐一作品についての感想を述べるつもりはない。少し戻って、今回の展覧会のテーマを考えてみよう。キャッチフレーズは、「島と星座とガラパゴス」。「接続」と「孤立」をテーマに、世界のいまを考える催しであるとのこと。いわく、世界はグローバル化が進む一方で、紛争や難民・移民の問題、英国の EU 離脱、ポピュリズムの台頭などで大きく揺れている。この相反する価値観が複雑に絡み合う世界の状況を踏まえ、接続や孤立、想像力や創造力、独自性や多様性を示す「島」「星座」「ガラパゴス」というキーワードを手掛かりに、人間の勇気と想像力や創造力がどのような可能性を拓くかについて、開港の地・横浜から発信する、という趣旨である。上記の 3作品を見ただけでも、そのようなテーマについて考えるヒントは得られただろう。だが、ここで私はよくよく考えてみた。世界の諸相を知るためにはいかなる手段があって、日々その世界で生を営んでいる我々は、アートからどのように勇気をもらえるだろう。ひとつ気になるのは、展示されたアート作品には、「これこれの素材を使っています」「これは一見すると○○だけど、本当は△△です」「作者はこれこれこういう人です」という説明なしには理解不能のものも多い。これは何もこのイヴェントに限ったことではなく、現代アートにはその種のものが多いことは事実であると思う。だが、例えば難民のボートや救命胴衣を、アートとして見る必要は、本当にあるのだろうか。現実の厳しさや恐ろしさを人々に伝えるために、そのようなモノをかき集めることが、アーティストの想像力と創造力を発揮することになるのだろうか。端的に言えば私の疑問はそこである。その一方で、奇妙にとぼけた味わいの作品も多く、その場合には、厳しく恐ろしい現実世界を皮肉っているとも思われる。もう笑うしかない諦念ということだ。それはそれで面白いものもある。でも、それで我々が勇気づけられ、明日に向かって頑張って生きて行こうと思えるだろうか? もちろんここには、そもそもアートの定義とか、人それぞれにアートに求めるものの違いは関係してこよう。だが、どの人も目の前の現実に対処して生きていて、それぞれに世界とつながっている。本来人間の生活を豊かにするためのアートが、現代社会の真実を突きつけることがあってもよいが、多少抽象的でもよい、不断の鍛錬によるプロフェッショナルなものを見せてくれないと、やはり説得力を持たないのではないだろうか。私はここでそれほど大げさな芸術論を展開する意図はないが、そもそもの素朴な疑問として、現代においてアートはいかにあるべきか、その問題については、強い関心を持たないわけにはいかないのである。
それから、私が信奉するタイプの、プロフェッショナルな技術を持つアーティストの存在も、もちろんある。これは、木下晋の「生命 (いのち) の賛歌 In Praise of Life」。シンプルだが巨大な作品で、これが難病を患う人の手の写生であることを知らずとも、何やら心を打たれるのである。アイデアだけではなく、技術が重要であることの一例であろう。