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アウトレイジ最終章 (北野武監督)

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北野武の最新作である。「アウトレイジ」(2010年)、「アウトレイジ ビヨンド」(2012年) に続くシリーズ完結作。監督デビュー作の「その男、凶暴につき」(1989年) 以来、基本的には彼の映画は見る価値ありと思っているが、残念ながらこれまですべての作品を見ているわけではなく、手っ取り早いところ、実は「アウトレイジ ビヨンド」は見ておりません!! 初期から映画監督としての名声が高く、海外でも極めて高く評価されるようになってからは、一時期、今から思えば外国人にも受けやすい作風に転じたようなこともあったと私は考えているが、この作品を見ていると、もう好きなものを撮っていますという感じで、その方が本来の北野らしいように思う。だがこれは、ヴェネツィア国際映画祭の栄えあるクロージング上映作品であったのだ。このブログでは、「世界のキタノ」などという陳腐な言葉は絶対に使わないが、ただ彼の作品が世界中で愛されていることを素直に喜びたい。これがヴェネツィアの北野と、一貫して北野作品を製作してきたプロデューサーの森昌行。
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このアウトレイジ "Outrage" という言葉は、極悪行為とでも訳せばよいのだろうか。形容詞の "Outragerous" は、ビジネスの場でもそれなりによく使う言葉である。だからといってこの映画が、国際ビジネスの場の話題にふさわしいかと言えば、さて、それはちょっと。なにせ、登場人物のほぼ全員が「コノヤロウ」「バカヤロウ」という怒号を連発するのであるから、無理もあるまい (笑)。だがそれが北野の映画である。ヴァイオレンスの連続に潜む不思議な人間性を見逃さないようにしたい。主人公大友を演じるのは北野自身であり、気がつくと既に 70歳になっているこの、稀代の映画監督であり芸人であり、ついでに画家でもある人物が、相変わらず奇妙な (?) 演技を披露するのを見ることに、人はもう慣れたであろうか。実のところ私は、彼の演技が苦手である。誰か、いい役者が代わりに主役を務めてくれないか、と思うほどだ (笑)。こんなことを言うと、「ナンダト、コノヤロー!!」と、撃たれてしまうのだろうか。
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だが、やはりこの演技も北野映画の得難い魅力だ、ということも言えるだろう。この役があまりカッコよすぎると嫌味だし、かといって、あまりに優柔不断では迫力がない。何を考えているか分からず、キレると見境がない非常に不気味な男でありながら、義理のある親分には忠実で、自らの命の危険も顧みない。そんな人間像を実在感をもって描くのは存外難しいことだ。そう思うと、ここでの役者ビートたけしのやり方は (本人にほかのやり方ができるか否かは別にして)、それなりに説得力があるのである。それからここでは、有名無名の夥しい数の役者たちが出ているのだが、その割にストーリーにはクリアな動きがある。もちろん、2作目の「アウトレイジ ビヨンド」を見ていない私のような人間には判別できない人物や、登場人物間の複雑な人間関係などもあちこちにあるのだが、細部にこだわる必要はなく、大まか誰と誰が通じていて、誰が誰を裏切ろうとしているのかさえ押さえておけば、充分ストーリーを楽しめるのだ。実はここでは、韓国と日本で強大な存在であるフィクサーと、日本最大勢力の暴力団とが緊張関係に陥るという流れがあるのだが、今振り返ってみると、昔の東映ヤクザ映画のような、派手な対立によるドラマ性は、あまりないように思う。これだけの数の主要キャラクターについての細部をあまり描かずに、だが対立の構図をちゃんと観客に提示できるという点、北野による脚本・監督の手腕は、確かであるといえよう。この、左から塩見三省、西田敏行、大杉漣はみな、なにやら叫んでいるが (笑)、彼らの人間関係をしっかり認識することが重要である。
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ひとつ面白いと思ったのは、これだけ夥しい数の人々が殺される映画の中で、最後の力を振り絞って何かのメッセージを伝えるとか、見送る人が死に行く人に涙ながらに訴えるシーンが皆無であることだ。この映画で命を落とす人は、それはもう、あっけないほどあっさりとやられて行くのである。ちょっとは生き残ろうと努力しろよという感じ (笑)。そう言えば、1作目では、あの手この手でいかに相手を残酷に殺すかという手段の数々が描かれていたものだが、本作ではあまりそこには意外性はないように思う。大物の処刑にしても、「え? これだけ?」と思った人もいるだろう。例によってネタバレは避けるが、上の写真の 3人のうちのひとりです。そうなると、この映画においては、個々の人物の死 (それは、最終的には主人公も含めてということになるのだろう) に、それほど興味が払われていないということになるのではないだろうか。ひとつの典型的なシーンは、主人公大友と、その手下である市川 (大森南朋) とが、パーティ会場に殴り込んで、片っ端から敵を片付けるシーンではないか。このあとにくるシーンだ。
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映画のプログラムをパラパラ見てみると、そのシーンについては触れられているものの、特定の映画作家へのオマージュの言及は見受けられない。だが、映画好きにはこれは極めて明らか。そう、サム・ペキンパーである。ここで北野が、ある意味で荒唐無稽な設定において再現しようとしたのは、ペキンパーの「死のダンス」である。この「死のダンス」においては、もちろん個々の人間が死ぬ前に思いを語ることは許されない。そう思うと、この作品でどんどん死んで行く登場人物たちは、それぞれに「死のダンス」を踊っているのであろう。そのダンスは最後には・・・あ、ここでやめておこう。いやいや白竜さん、だから危ないって!!
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このように、私としては、大変に質の高い映画であると思うことは間違いないのだが、ここでひとつ保留をしておこう。どうもこの記事は、褒めているのか貶しているのか分からないような振れ幅がありますが (笑)、基本的には優れた点はよく理解できながら、細部における違和感が払拭されないということなのであります。大きな違和感は、もう実名で書いてしまうが、西田敏行と、それからピエール瀧の関西弁だ。この二人とも、既に予告編から明らかであったが、関西ヤクザにあるまじき関東風イントネーションで「ボケ」とか「ナンジャワレ」とか「ナメトンノカ」とか「ヤッタロウヤナイケー」とか、怒鳴っているのである。これはいけない。方言指導を怠ったのなら、それはやはり監督の責任ではないだろうか。特に西田ほどの名優なら、きっと指導があれば本物の関西弁を喋れたはずではないか。例えば、隣にいた岸部一徳の迫力ある本物の言葉を聞くだけで、かなり違ったはずだと思うのだが・・・。本当に惜しいことだ。ジロリ。
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繰り返しだが、これは多くの役者の出ている映画であり、その点での突っ込みどころはいろいろあるが、上で触れた人たち以外にも是非触れておきたいのはこの人、松重豊だ。正義感溢れる警察官を演じているが、その飄々としながらも、一挙手一投足から人生がにじみ出る演技 (?) は、その一度見たら妙に印象に焼き付く風貌とともに、最近の CM や映画で、一気に親しいものになった。1963年生まれで、蜷川幸雄のスタジオにいた経歴を持っているらしい。誰か、彼を主役に映画を撮ってもらえないものだろうか。
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さて、これからの北野映画、「コノヤロウ」「バカヤロウ」が、どのくらい聞かれるか。それが楽しみと言うには、私には良識がありすぎるが (?)、ともかくも北野武には、観客の期待を一方で満たしながら、他方では良い意味で裏切る芸術家であって欲しいと、願うのである。

by yokohama7474 | 2017-11-17 01:40 | 映画