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ピエタリ・インキネン指揮 日本フィル 2017年11月17日 サントリーホール

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今月から来月初旬にかけて、数々の一流オーケストラが海外から来日する東京の音楽界であるが、こういうときであるからこそ、日本のオケにも頑張ってもらいたい。そして、その頑張りを目の当たりにすることで、外来オケの水準にため息をついたり興奮するだけではない、充実の音楽体験ができようというものだ。そのような期待をもって出掛けたこの演奏会は、日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) とその首席指揮者である 37歳のフィンランド人、ピエタリ・インキネンによるもの。その意欲的な曲目は以下の通りである。
 ラウタヴァーラ : In the Beginning (日本初演)
 ブルックナー : 交響曲第 5番変ホ長調

今回の演奏会は途中休憩なしで行われた。それは、前半のラウタヴァーラの曲が 7分程度と短いこともあるが、もうひとつ、その自然への共感が、メインのブルックナーとも近似する要素があるからだろう。いや実に意欲的な試みだ。このインキネン、その華奢な外見によらず、かなり大胆な策略家と見える。
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さて、現代指揮界では、エサ=ペッカ・サロネンを代表として、フィンランド人の指揮者たちの活躍が目立つ。このブログでも何度かそのようなことに触れてきたが、このインキネンは未だ 30代で、これからまだまだ活躍の場が広がって行くべき人であり、そのような俊英の指揮を日フィルで聴ける喜びは大きい。だがフィンランド指揮者というと、ひとつ課題がある。それは、何かというとフィンランドの国民的作曲家であるシベリウスの作品を演奏することを求められることである。もちろんシベリウスの音楽は素晴らしいし、フィンランド人がそれを素晴らしく演奏することは事実である。だが、指揮者たるもの、自国の音楽だけ指揮してよいと思うわけもなく、自らが率いるオケとは、様々なレパートリーを演奏して行くべきである。その意味でこのインキネンと日フィルの関係は面白くて、首席客演指揮者時代からシベリウスを集中的に採り上げ、主要作品は既に演奏し終わってしまった。さてそうなるとインキネンとしては、「まず、求められる期待には応えたでしょう。あとは自分の好きなことをやりますよ」と言いたくもなるであろうし、実際最近は、ワーグナーの楽劇を含む後期ロマン派を集中して演奏している。そして、ブルックナーのシリーズもその一環であろう。パーヴォ・ヤルヴィと NHK 響、ジョナサン・ノットと東京響といったコンビもブルックナーをシリーズで手掛けているようだが、インキネンと日フィルには彼らなりの個性を聴いてみたいものだ。

だが、そのブルックナーに先立って演奏された曲が、なんとも気が利いている。現代フィンランドを代表する (そして、実は私は知らなかったのだが、昨年惜しくも亡くなった) エイノユハニ・ラウタヴァーラ (1928 - 2016) の作品。この人は、北欧らしいヒーリング的要素を持つ音楽を書いた人で、万人に愛される作風を持つ。アシュケナージはこの作曲家のファンだし、意外なところでは、サヴァリッシュもその曲を演奏していたものだ。かく言う私も大好きで、今手元の CD 棚を調べてみると、オンディーヌやフィンランディアといったレーベルから出ている彼の作品集を 5枚持っている。ただ、彼の珍しいファーストネームを今回初めて知って、これは覚えられないなと思っている (笑)。
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今回演奏された「In the Beginning」は、上に日本初演と書いたが、実はアジア初演。そもそも世界初演自体がつい最近で、それは今年の 9月 8日に、このインキネンの指揮するザールブリュッケン・カイザースラウテン放送フィル (まさにこの 9月にインキネンが首席指揮者に就任した) によってなされたばかり。プログラムには日フィル共同委嘱作品とあるので、インキネンが、自らが率いる 2つのオケを通して委嘱した作品であろうと思われる。作曲自体は 2015年とのことだが、いずれにせよラウタヴァーラ最晩年の作であって、作曲者自身も音として聴くことはできなかった。世界の創造のような弱音から始まり、緩急を交えて最強音に達したところで終わる曲だが、明らかに、この作曲家が生涯愛したフィンランドの自然の美しさが想定されているであろう。ここでの日フィルは、個々の楽器が実にニュアンス豊かに音の流れを表現していて、見事であった。

そしてメインのブルックナー 5番は、インキネンと日フィルの個性がはっきり出た演奏になった。まず編成は、弦はコントラバス 8本だが、管楽器はスコアの指定通り、木管は 2本ずつで、金管の補強もない。この曲には終楽章をはじめとして大音響が炸裂する箇所が多いが、インキネンの意図は、壮大な音宇宙を描き出すよりも、まさにラウタヴァーラの曲の精神と同じような、自然への賛美を表現することではなかったか。それを表すように、オーボエ、そしてフルートを中心とした木管の透明度は素晴らしく、例えば第 2楽章の後半でそのオーボエとフルートが掛け合う箇所や第 3楽章スケルツォの中間部など、本当に美しい瞬間であったと思う。もちろん弦楽器 (ヴァイオリンは左右対抗配置) も揺蕩う大河のように、最初から最後まで集中力を維持して、この曲の持ち味を美しく歌い上げた。上のチラシの宣伝にあるように、確かに「瑞々しくも懐かしい」ブルックナーになっていたと思う。だが、私個人としては、これも宣伝文句にあるように、「こんなブルックナーを聴きたかった・・・」とまで思ったかというと、その点は保留しておこう。この曲も (奇しくも前座のラウタヴァーラの曲と同じく) 作曲者が生前に音になったのを聴かなかった曲であるが、ブルックナーの頭の中には、当時の奏者の演奏能力を超えた、壮大な音の大伽藍が鳴っていたものと思う。その意味では、この美しい演奏は、どこかこの曲の本質とは異なる点があるのかもしれない。その点、やはり課題は金管ではないだろうか。大詰めの巨大なクライマックスでは立派に鳴っていた金管だったが、むしろそこに至るまでの、時には弱い音でニュアンス豊かに吹くべきところには、まだまだ改善の余地はあったように思われてならない。そのピースがぴったりはまる時、このような一種独特の情緒のある演奏は、より一層説得力が増すのではないだろうか。明確な個性を打ち出しつつあるインキネンと日フィルの演奏にはこれからも触れて行きたいし、大いに期待するものである。
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インキネンの日フィルの次の登場は来年 4月。マゼールが編曲した「指環」の抜粋をメインとしたワーグナー特集がどのような演奏になるか、今から楽しみである。

by yokohama7474 | 2017-11-19 00:04 | 音楽 (Live)