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トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK 交響楽団 2017年11月18日 NHK ホール

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このブログで過去何度か、その高い能力を称賛してきた、北オセチア出身の名指揮者、トゥガン・ソヒエフが NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台に戻ってきた。今年 40歳になる彼は、トゥールーズ・キャピトル管弦楽団とベルリン・ドイツ交響楽団という 2つのオケを率いるほか、現在ではモスクワのボリショイ劇場の音楽監督も兼任しているという多忙な身である。私は以前から、この指揮者を初めて実演で聴いたときから、絶対に大成すると確信したと声高にふれ回っているが (笑)、実際、そのような自分なりの予感が的中し、その指揮者の活躍が活発化することは嬉しいし、何よりも、東京で実際に聴けるのがありがたいではないか。今回彼は、11月の N 響定期 3プログラムのうち 2つを指揮し、残る 1つのプログラムは、既にこのブログでご紹介した通り、マレク・ヤノフスキが担当した。ソヒエフの 2つのプログラムはすべてプロコフィエフ作品で、この指揮者を聴くには最適と言ってもよいと思うが、特にこの日の曲目は、大変興味深い。
 プロコフィエフ (スタセヴィチ編) : オラトリオ「イワン雷帝」作品 116

通常 N 響定期では、チラシが作られることはなかったが、最近は時々あるようで、このコンサートも、上に掲げたような派手なチラシが作成されている。もちろん、それだけ注目のプログラムであるということだろう。この作品、ご存じの方も多いと思うが、あの映画史上の巨匠、セルゲイ・エイゼンシュテインが監督した映画「イワン雷帝」にプロフィエフがつけた音楽を編集してオラトリオとしたもの。曲としての知名度はそれなりにあろうが、実際に演奏されることは決して多くない。その理由の第一は、やはり作曲者自身の手によって編曲されたものではないということではないだろうか。その点が、同じプロコフィエフが、やはりエイゼンシュテインの映画のために書いた音楽を、こちらはカンタータとして編曲した「アレクサンドル・ネフスキー」とは異なると言える。だが、実際に聴いてみると、いかにもプロコフィエフらしい音楽でありながら、極めて平明で、大変に親しみやすい曲である。だが、曲について語る前に、ここはどうしてもエイゼンシュテインについて触れなくてはならない。1898年に現在のラトヴィアのリガに生まれ、1948年に没した、ソ連時代の巨匠映画監督である。このような、一目見たら忘れない、個性の強い顔立ちであった人。
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映画史をかじる人なら誰でも、彼の唱えたモンタージュ理論を知ることとなり、その代表的な例として、「戦艦ポチョムキン」(1925年) の中の有名な「オデッサの階段」のシーンを知ることとなる。ここでそこに深入りすることはしないが、私も映画好きのご多分に漏れず、学生時代に彼の作品の多く、つまりは最初の「戦艦ポチョムキン」から最後の「メキシコ万歳」までを見た。もちろん「イワン雷帝」も、完成した第 1部 (1944年)、第 2部 (1946年) のみならず、スターリン政権の圧力によって部分的に撮影されて頓挫した第 3部の断片まで見たことがある (因みにその機会は何かの講座だったかもしれず、講師は明確に思い出せないが、篠田正浩だったような気がしないでもない)。私の場合は、映画の文脈だけではなく、ロシア・アヴァンギャルドへの強い興味もあり、それらはいずれも非常に興味深いものであった。「戦艦ポチョムキン」はサイレントであるが、後からショスタコーヴィチ 5番などを録音した版でも見たし、弁士付きの上映も見た。それに対して「イワン雷帝」の場合は、あの弦楽器が目まぐるしく動く中、金管が奏する雷帝のテーマがしっかり録音されていて、「あ、プロコフィエフだ!!」と思ったものだ。これがそのエイゼンシュテインの「イワン雷帝」からのワンカット。
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この「イワン雷帝」をコンサートで演奏するとき、今回のようなアブラム・スタセヴィチ (1907 - 1971) の編曲による版以外にもいろいろな版があり、私などは、昔ロストロポーヴィチが録音した (そして新日本フィルでも指揮した) マイケル・ランケスター版で親しんだ方であるが、このスタセヴィチは 1940年代の映画音楽の録音を実際に指揮した経歴のある人らしく、彼の手になるオラトリオ「イワン雷帝」は、1961年、プロコフィエフ生誕 70周年 (没後 8年) の記念演奏会で初演されたもの。それゆえ、ある意味でオーセンティックな版とは言えるのかもしれないが、実はこの曲がもうひとつポピュラーにならない理由として挙げたいのは、語りつきのこの版においても、イワン雷帝が何者で、いかなる敵にどのように戦ったかのストーリーが、よく分からないからである!! 今回の演奏では語りを歌舞伎役者の片岡愛之助が務めたが、あえて歌舞伎風の雰囲気で語ったのはよいにせよ、やはりストーリー展開が不明であるのは同じ。なお、愛之助の公式ブログを見てみると、奥様はドラマの撮影が雨で流れたので、この日急遽 NHK ホールに来ていたらしい。ほぅ。私の席からは見えませんでしたよ (笑)。
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余談だが、エイゼンシュテインは日本文化に興味があったらしく、若い頃は日本語も学んでいたらしい。実は、1928年に史上初の歌舞伎の海外公演がソ連で行われた際、二代目 市川左團次 (1880 - 1940) と面会している。映画「イワン雷帝」にも歌舞伎の影響があると言われている。これがその左團次とエイゼンシュテインの写真。
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このように、作品としての課題は避けがたくあれこれありながら、だがこの日の演奏の素晴らしかったことは疑いがない。もちろんソヒエフの指揮が、いつものように音楽の大きな流れを作り出していて、きめ細かくまた呼吸よくオケの力を引き出していたことは、圧倒的と言ってもよかったであろう。この指揮者と N 響との相性はかなりよいように思う。そして、一方の功労者は、東京混声合唱団であろう。さすがに譜面を見ながらの歌唱であったが、ロシア語というなじみのない言語で、これだけの長丁場を乗り切るだけでも大変なのに、その力強い歌には、きっとソヒエフも満足したことだと思う。例えば後半のある曲では、合唱が徐々にクレッシェンドして行くところがあるのだが、その音量の絶妙なコントロールには大変感動した。それから、この曲には児童合唱も含まれていて、今回は東京少年少女合唱隊であったが、70分ほどのこの曲の最後 1/4 ほどの部分にしか出番がないにも関わらず、ハミングやロシア語の歌詞を美しく歌っていて (最後の方には、チャイコフスキーの大序曲「1812年」の冒頭に使われているロシア正教の聖歌「神よ汝の民を救い」のメロディが出て来る)、これもまた特筆もの。ともにウクライナ出身の 2人のソリスト、つまりメゾソプラノのスヴェトラーナ・シーロヴァとバリトンのアンドレイ・キマチは、出番は少ないが、これも安定した出来であった。このように、総じて、曲の弱点を補ってあまりある奏者たちの熱演に、会場は沸いたのである。このような演奏頻度の低い曲が、このような水準の演奏で聴けることは、本当に貴重なことであると思う。ソヒエフの才能はとどまるところを知らない。
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次の彼の来日は、来年 3月。また手兵トゥールーズ・キャピトル管弦楽団との演奏である。彼が得意とするロシア物とフランス物が並んでいて、これまた聴き物であり、早くも待ち遠しい思いに駆られてしまうのである。

by yokohama7474 | 2017-11-19 22:53 | 音楽 (Live)