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メシアン : 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年11月26日 サントリーホール

メシアン : 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年11月26日 サントリーホール _e0345320_00535640.jpg
これから私が語り始めるのは、フランスの名指揮者シルヴァン・カンブルランが、自ら常任指揮者を務める読売日本交響楽団 (通称「読響」) を指揮して行った、オリヴィエ・メシアン (1908 - 1992) の超大作オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」の全曲日本初演についてである。最初に言ってしまうと、ここで読響は間違いなく楽団史上屈指の大イヴェントを成功させたばかりか、日本のオーケストラ史上に残る大きな業績を打ち立てたのである。しかもそれが、名だたる世界の名オーケストラがひっきりなしにやってくる時期の東京でとなると、やはりその意義には最大限の敬意を表する必要がある。東京の音楽文化のレヴェルを、我々自身が再認識する素晴らしいきっかけとなった演奏会であった。

今回の演奏会は、サントリーホールで 11/19 (日) と、その一週間後の 11/26 (日) の 2回、そして、このプロジェクトを共同企画したびわ湖ホールで 11/23 (木・祝) にと、合計 3回開かれた。私が聴いたのはその最後のものであったが、通常の公演よりも高い価格設定であったにもかかわらず、東京公演は 2つとも完売で、このような珍しい曲目に対する東京の聴衆の好奇心がそれだけからも伺いしれて、実に興味深い。この日の演奏は、14時に開始して、35分の休憩を 2回挟んで、終了は 19時40分。実に 5時間半を超える大スペクタクルであった。ではまず、この曲について簡単に触れ、私自身の思い入れ (以前も書いたことがあり、繰り返しで恐縮なるも) についても少し語らせて頂く。これが 11/19 のサントリーホールでの演奏風景。
メシアン : 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年11月26日 サントリーホール _e0345320_21145715.jpg
メシアンはもちろん、フランス 20世紀を代表する真に偉大な作曲家であり、敬虔なカトリシズムに依拠し、しばしば鳥たちの声を題材として、神秘的な曲の数々を書いた人。このオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」は、12世紀から 13世紀にかけてイタリアのアッシジで活躍し、鳥の声を解したという聖人で、キリストと同じ箇所に傷 (聖痕 = スティグマ) を受けたという伝説のある聖フランチェスコを主人公とした、メシアン唯一のオペラである。1983年11月にパリ・オペラ座で世界初演されたのであるが、その時に指揮を取ったのが、ほかならぬ小澤征爾であった。当時そのことはかなりのニュースになって、この正味 4時間半を超える超大作を小澤が全曲暗譜で指揮したとか、そもそもメシアンは作曲の過程で小澤の音を常に念頭に置いていたとか、あるいは、宗教的な題材を扱うならなぜキリスト本人についての作品を書かないのかと質問を受けたメシアンが、「それは恐れ多い」と答えたとか、様々な情報があった。実は、その世界初演において小澤が指揮をする様子を映した鬼気迫る動画が、我が家のアーカイブのどこかにあるはずなので探してみたが、残念ながら見つけることができなかった。だがこの作品の世界初演は、明らかに偉大なる音楽史の 1ページであり、小澤という音楽家の記した歴史的な足取りであることは間違いない。その時のライヴ録音は、今や入手困難になっているようなので、ここで私が所有するセットの写真を掲載しておく。4枚組 CD が、写真下部にある灰色の紙ケースに入っている。
メシアン : 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年11月26日 サントリーホール _e0345320_21345884.jpg
その小澤はまた 1986年 3月に新日本フィルを指揮して、目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、この作品の一部 (全曲 8景のうち 3景) をオラトリオとして日本初演している。実はこのコンサート、私のこれまでのコンサート歴において未だに 5指に入る、まさに鳥肌ものの超名演であり、正直なところ、私が今でもクラシックコンサートに足繁く通うのは、この日の演奏会で音楽の素晴らしさを実感したから、と言っても過言ではないくらい、私にとっては重要な出来事であったのだ。カーテンコール時に、真っ赤に紅潮した作曲者メシアンが、ステージで小澤を抱擁しているところを、若い私も紅潮しながら呆然と見ていたことを、鮮明に覚えている。そのときの新聞記事から、メシアン、彼の夫人であるイヴォンヌ・ロリオ、そして小澤の写真。当日のプログラムと、サイン会もなかったのに、興奮した私が会場でメシアンにボールペンを渡してプログラムに無理矢理書いてもらったサイン。
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実は私は幸運にも、このとき以外にも 2回、この作品の実演に触れる機会があった。ひとつは 1999年11月マドリッドにて、アントニ・ヴィト指揮スペイン国立管弦楽団による抜粋版の演奏。もうひとつは 2008年 9月ロンドンのプロムスにて、インゴ・メッツマッハー指揮のハーグ・フィルで、このときは演奏会形式ながら全曲の演奏であった。そして今回も、演奏会形式ではあるがこの超大作が、カンブルランと読響によって全曲日本初演されるという歴史的な場に立ち会うことができたのである。今回のプログラムに、この演奏会に寄せる小澤征爾のコメントが載っていて、それは、「自分が敬愛する作曲家メシアン先生が唯一作曲したオペラの指揮を私に任せてくれたことを今でも懐かしく思い出します。今回、日本で全曲が演奏されると聞いて、とても嬉しいです」というシンプルなものだが、小澤らしくてよいではないか。

さて、今回はいつも以上に前置きが長いが (笑)、それはこの演奏会の意義を再確認しておきたかったからである。読響の常任指揮者を務めるカンブルランは、現代音楽も得意にしていて、このメシアンも、既にトゥーランガリラ交響曲や「彼方の閃光」などの大作を読響で指揮している。そして彼は、1992年にパリ・オペラ座で再演されて以来何度もこの作品を手掛けており、世界で最も多くこの作品を指揮した実績のある人なのである。
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そのことは、彼の指揮ぶりを見ていてよく分かった。この作品、上述の通りワーグナーの大作並の演奏時間を持つのであるが、実は内容は決してとっつきにくくもしんねりむっつりもしておらず、ワーグナーほどの重量感や冗長感もない。何度も何度も出て来る主人公聖フランチェスコのテーマや、炸裂しては沈黙するオーケストラ、百花繚乱の鳥の声、そして、ひたすら木琴類 (シロフォン、シロリンバ、マリンバ) が複雑なリズムで鳴りまくる箇所が、不思議な陶酔感を醸し出すのであるが、カンブルランは木琴類だけが鳴り渡る数分間でも、休むことなく強い集中力をもって指揮棒で空間を切り裂くという正確な指揮を続け、それはそれは圧巻である。よい意味での職人性を持つ彼の指揮は、過たず作品の本質を突き、ただひたすら核心に向かってひた進む。この作品で 3台も使われている電子楽器オンドマルトノは、ステージ奥のオルガン横、そして左右、ホールの真ん中あたりに位置しており、何度も何度も奇妙な音響を立ち昇らせるが、あたかもそれが何かの典礼のようにも聞こえてくる。そしてもちろん、大団円での想像を絶する大音響では、まるで音の勢いが爆風さながらにホール全体を揺らすような圧力を持ち、キリスト教徒ではない我々の前にも、あたかも神が顕現したかのようなヴィジョンを見せてくれた。まるで 4時間半が一連の壁画であるような演奏であったと言ってもよい。この作品は 3幕、8景でできていて、その内容は以下の通り。
 第 1幕
  第 1景 : 十字架
  第 2景 : 賛歌
  第 3景 : 重い皮膚病患者への接吻
 第 2幕
  第 4景 : 旅する天使
  第 5景 : 音楽を奏でる天使
  第 6景 : 鳥たちへの説教
 第 3幕
  第 7景 : 聖痕
  第 8景 : 死と再生

それぞれの場においては、聖フランチェスコの独白や弟子たちとの対話、また、重い皮膚病患者の接吻による治癒という奇跡や、旅人を装って弟子たちと会話する天使、そして、聖フランチェスコが聖痕を受ける場面と、最後に天に召される場面などが出てくる。つまり、物語として一貫性のあるものではなく、それぞれのシーンにおける神秘性や法悦性が曲の重点なのであり、オペラと言いながらも、序曲もなければ重唱やアリアもない。それゆえ、下手をすれば単調になる恐れのある作品だが、ひたすら強い集中力によって統率するカンブルランに、その手兵である読響が充分すぎるくらいの反応を示すことで、大変説得力のある演奏になったことを、とにかく喜びたい。それから、新国立劇場合唱団とびわ湖ホール声楽アンサンブルによる合唱も、過酷な長丁場の要所要所を素晴らしい内容でこなしており、最大限の敬意を表したい。歌手陣では、主役の聖フランチェスコを歌ったヴァンサン・ル・テクシエ (バリトン) は安定した出来であったし、天使役のエメーケ・バラート (ソプラノ) は、高音部の力強さがあればもっとよかったが、非常に美しい歌唱。それから、重い皮膚病を患う人を歌ったペーター・ブロンダー (テノール) は、その表現から「指環」のミーメを思わせたが、実際にバレンボイムの指揮でその役を歌った実績があるという。さらに、少ない出番ながら、兄弟エリアを歌ったジャン=ノエル・ブリアン (テノール) は張りのある美声で印象的だったし、兄弟ベルナルド役の妻屋秀和 (バス) も、日本を代表するバス歌手として貫禄充分であった。これはリハーサル風景。
メシアン : 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年11月26日 サントリーホール _e0345320_22502974.jpg
このような曲が演奏される 2回のコンサートが完売になる東京は、やはり本当に文化的な街である。我々は、今回の演奏の成功に惜しみない拍手を送るとともに、それを享受できる東京の文化的状況を誇りに思いたい。だが、最後にひとつだけ、気になることを書いてみよう。それは、聴衆の年齢層である。そもそも東京は、欧米のほかの大都市に比べて、クラシックのコンサートにやってくる聴衆の年齢層が若いという評価であったはずだ。それが今回、かなり年齢層が高いことに気がついた (私などは、もしかしたら平均年齢以下かもしれないと思われるほど・・・ちょっと誇張かな 笑)。これは若干奇異ではないか。しばらく前までなら、このような伝統的でない曲目のコンサートには、ちょっとユニークな服装をした若者も、少しは姿を見せていたように思う。全身黒づくめで血圧の低そうな女性とか、「オレのロック魂がメシアンの鳥たちと鳴きかわすぜ」とうそぶくロッカーとかが、本来会場にいるべきではなかったか。これからますます高齢化社会となり、コンサート会場で若者の姿を見ることが減って行くことになるのだろうか。それはクラシック音楽の将来にとっては、あまりよくないことだと思うのである。だからといって私に今すぐ何ができるわけでもないが、今回のような特別な曲の特別な演奏は、別に黒づくめやロッカーでなくてもよい、普通の若者にもっと聴いて欲しかった。31年前の私も、そんな若者であったわけで、若き日の感動が一生残るという意味では、それはかけがえのない経験であるはずなのだ。この記事を読まれる若い方々 (どのくらいおられるのか正直全く分からないが) には、是非この言葉を参考にして頂きたいものだと考えております。

by yokohama7474 | 2017-11-27 23:04 | 音楽 (Live)