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動くな、死ね、甦れ! (ヴィターリー・カネフスキー監督 / 英題 : Freeze, Die and Revive!)

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これは、1989年制作のロシア映画である。つまり、ソ連崩前夜の作品。実は私はつい去年まで、この映画の存在も知らなかったのだが、あるとき仕事で付き合いのある某お役所の人と話していて、私より 15歳ほども年下の彼が、かなりの映画マニアであることが分かり、仕事を離れた話で俄然盛り上がったのであるが、その時に彼が言及したのがこの映画であったのだ。ロシア映画といえば私もそれなりに思い入れがあり、もちろん孤高の天才アンドレイ・タルコフスキーや、これも唯一無二の存在であったセルゲイ・パラジャーノフや、アンドレイ・コンチャロフスキーとニキータ・ミハルコフの兄弟、アレクサンドル・ソクーロフ、あるいは過去に遡ってボリス・バルネットといった監督たちについてのイメージはそれぞれにあったのだが、カネフスキーという監督の名前、そして、命令形が 3つ続いた奇妙な題名の映画については、全く知識がなかったのである。それがつい数ヶ月前、小劇場 (渋谷のイメージフォーラムだった) で映画を見たときに、沢山置いてあるチラシのひとつに、この聞き覚えのある映画の題名を見出して、これは見なければと決意を固めたのである。私が見たのは、やはり渋谷の良心的小劇場であるユーロスペースであったのだが、今調べると、残念ながら現在ではこの映画の上映は既に終了している。今後はいかなる手段でこの特異な映画を見る機会があるのか分からないが、せめてこのブログでは、このような文化的に高いレヴェルの映画を東京で見ることができたことを記録しておきたいと思う。尚この映画、かつては DVD も出ていたようだが、現在では廃盤になっているようだ。

上記のチラシには、いくつかのこの映画に対する高い評価が記されているが、このブログで何度もその名を出している、フランス文学者で映画評論家で東京大学元総長の蓮實重彦の以下の言葉が、いかにもこの人らしく煽情的である (笑)。

QUOTE
「動くな、死ね、甦れ!」はかけねなしの傑作であり
これを見逃すことは生涯の損失につながるだろう
UNQUOTE

そこまで言われたら、やはり見ないわけにはいかない。そして、全裸の女性が踊る中でエンドタイトルもなく唐突に終わるこの映画について私が思ったことには、これは極めて特異な映画であり、これを見逃すと生涯の損失とまでは言わずとも、これを見ることで、映画という表現形態の持つ力を思い知ると言うことはできるだろう。だがこれはやはり一般向けの映画ではない。全編モノクロで、ストーリーはあるのだが、断片断片が奇妙に鮮烈な割に、全体を通したドラマ性は皆無で、何やら夢の世界のような感覚を覚えるのだ。その思いはまず、冒頭まもないシーンで、「とさぁ~のぉ~こおーちぃの~」という歌がはっきり聞こえることで喚起される。よく聴いてみるとこれは、「土佐の高知の」という日本語だ。そして耳にはいる「よさ~こい、よさこい」という歌詞。そう、これは高知県の民謡である、よさこい節なのである。一体なぜにロシア映画によさこい節なのか、全く何の説明もなく、我々の母国語で歌われるこの歌が、限りなく不気味に聞こえるのである。このよさこい節はその後何度も出てくることとなるが、画面の展開とは一切関係がなく、極めてシュールなのである。それから「月がぁ~出た出ーたー、月がぁ~出たぁ~」という歌、つまりは炭坑節も出てくるし、確かもう 1曲日本の民謡が使われていたと思う。いずれも、中年か初老の、素人とおぼしき男性が伴奏なしに歌うもので、写っている画面とは何の関係もないのである。そういえば、タルコフスキーの不朽の名作「惑星ソラリス」には、首都高の映像が不思議な感覚で使われていたが、ロシアの人たちにとって日本とは、神秘の国なのであろうか。

実はこの映画、1990年のカンヌ映画祭で上映され、世界に衝撃を与えたらしい。これが実質的なデビュー作となった当時 54歳の監督の名は、ヴィターリー・カネフスキー。
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彼はストリートチルドレン出身で、8年間に亘り無実の罪で投獄されていた経歴を持つ。この極めてユニークな映画を撮ったあと、その続編である「ひとりで生きる」(1991年) でカンヌの審査員賞を受賞、続いてそれらの作品の主人公たちの再会を描いたドキュメンタリー「ぼくら、20世紀の子供たち」(1993年) を撮って、2000年に「KTO Bolche」という日本未公開のドキュメンタリーを撮ったあと、映画界から消えてしまったらしい。この映画のプログラムには、2010年にサンクト・ペテルブルクで行われたカネフスキーのインタビューが掲載されているが、それによると彼が映画界を離れたのは、持ち込まれる様々な企画に満足できなかったからで、一方で自分の能力が足りないことを自覚し、映画を撮るのをやめて勉強することにしたという。なるほど、ではいつの日か、その勉強の成果を世に問う日が来るのであろうか。1935年生まれだから既に 82歳ということになるが、生きている限り次回作の可能性はあると信じたい。

この映画の主人公は少年と少女である。内容はカネフスキー自身の幼少期の記憶を辿るものだが、少年役のパーヴェル・ナザーロフは、撮影当時実際にストリートチルドレンであったらしい。少女役のディナードラ・ドルカーロワは、現在でも女優として活躍している由。
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上記の通り、この映画はストーリーを追うべき性質のものではなく、現実のものか夢の中のものか分からない幻想的な雰囲気の中、映像と音響のアマルガムをこそ味わうべきである。だが、その舞台設定は明らかに第二次世界大戦直後で、日本人捕虜が登場する (日本の民謡の使用はそれに由来するものだろう)。舞台となっている場所は、カネフスキー自身が幼少期を過ごした炭坑の街スーチャンで、ここには貧しいその街の人たちの暮らしと、その赤裸々な欲望や、暴走する少年の非行が次々と登場する。なるほど、見ていて楽しい映画ではないが、なんとも仮借ない人間の姿が描かれているのである。その一方、様々なトラブルに遭遇する主人公の少年ワレルカを、少女ガリーヤが救済するというお話で、そこには何か人間性を信じたくなる要素がある。
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調べてみるとこのスーチャンという街、ロシアといっても極東に存在し、中国語の地名で、蘇城という漢字であるようだ。現在の地名はパルチザンスクである。ここで私が勝手に想像するのは、この映画の題名に「甦れ」とあるのは、このスーチャン (蘇城) に因むものではないのか。つまり、様々な意味において、監督自身の少年時代の再現でもあり、再創造でもあるのではないか。プログラムに掲載されている監督の言葉を引用しよう。

QUOTE
私はこの映画で、自分の子供時代を甦らすため、現在という時の流れを止めた。止めることは死を意味する。そして、それをフィルムに起こすため、私はもう一度甦ったというわけだ。
UNQUOTE

なるほど、そのような極めて個人的な思いでできた映画であるわけだ。だが私は思う。自らの思いをこのようなかたちで再現できる人は幸せであり、また鑑賞者が、赤の他人であるはずの監督の幼少期の再現から、人間の真実を感じ取ることができることは、なんとも稀有なことである。それは、やはり映画表現の可能性を厳しく追求しているからであろうし、上で触れた日本の民謡の唐突な使用も、その実験精神の現れであろう。それから、この映画では登場人物のセリフが非常に大きく響き、明らかに役者の口とセリフが合っていない箇所も多い。これは、この映画がドキュメンタリーではなく、きっちりと計算されたフィクションであることを示しているのではないか。カネフスキーがこのあとで撮ったドキュメンタリー映画を見る機会があれば、そのあたりがもう少し見えてくるのかなと思った。今調べてみると、この 2本のドキュメンタリーの DVD は、中古でなら手に入るようだ。いずれ見てみたい。

by yokohama7474 | 2017-12-14 01:25 | 映画