なるほど、そのような極めて個人的な思いでできた映画であるわけだ。だが私は思う。自らの思いをこのようなかたちで再現できる人は幸せであり、また鑑賞者が、赤の他人であるはずの監督の幼少期の再現から、人間の真実を感じ取ることができることは、なんとも稀有なことである。それは、やはり映画表現の可能性を厳しく追求しているからであろうし、上で触れた日本の民謡の唐突な使用も、その実験精神の現れであろう。それから、この映画では登場人物のセリフが非常に大きく響き、明らかに役者の口とセリフが合っていない箇所も多い。これは、この映画がドキュメンタリーではなく、きっちりと計算されたフィクションであることを示しているのではないか。カネフスキーがこのあとで撮ったドキュメンタリー映画を見る機会があれば、そのあたりがもう少し見えてくるのかなと思った。今調べてみると、この 2本のドキュメンタリーの DVD は、中古でなら手に入るようだ。いずれ見てみたい。