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運慶 東京国立博物館

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年の終わり近くになって振り返ると、今年も様々な美術体験があり、東京 (まあ時には地方まで足を延ばすこともあるとはいえ) で触れることのできる文化の多様性には本当に瞠目すべきものがあると実感する。しかしながら、どうしてもコンサートの記事の即時性を重視すると、美術の記事はタイムリーにアップする時間的余裕がなく、気がつくと、既に終了してしまった展覧会の記事を、10本ほど書かないといけないというありさまなのである。また、秋にはヨーロッパに旅行もしたので、その記事も書く必要がある。できればそれらを今年中に済ませて、のんびりと年明けを過ごしたい。というわけで、久しぶりの美術の記事の第 1弾は、今年の東京での展覧会の中でも間違いなく最大級のイヴェントであった、これである。平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した、日本史上最も有名な仏師、運慶の作品を集めた貴重な展覧会。もうひとりの有名仏師、快慶の大展覧会も今年の春に奈良国立博物館で開かれ、私も 5月 8日の記事でそれを採り上げたが、多分数十年に一度という規模での快慶展と運慶展を、同じ年に両方見ることができたことは、私にとっては一生の宝である。

私がこの展覧会に出掛けたのは、旅行のあと数日休暇を取っていた、11月上旬の平日。会場の東京国立博物館は朝 9時30分開館であるが、私が 9時 45分頃に現地に到着すると、既にこのような長蛇の列であった。手前の噴水に男性の古い写真が見えるが、これは森鴎外。彼が東京帝室博物館の館長を務めていたとき、館長室はちょうどこのあたりの位置にあったことを示す表示である。ここ東博では、話題の展覧会のときにはこのような長い列になることは珍しくはないものの、平日の朝からこの列とは、鴎外さんもびっくりだろう (笑)。実際のところは、入場まで 50分待ちという表示にも関わらず、25分ほどの待ち時間で中に入ることができた。しかしながら、当然館内の混雑は大変なもの。私のように休暇を取ったとおぼしきサラリーマンは少数で、ほとんどはシニアや主婦、あるいはその両方を兼ねた (?) 方々。大盛況である。
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さて、これほどに有名な運慶であるが、果たしてその作品は何体現存しているのか。展覧会の図録の解説によると、諸説あるものの一般的には 31体とされていて、この展覧会には、そのうち 22体 (初期から晩年まで) が集められた。また、運慶登場前夜の奈良仏師の作品や、父康慶、息子湛慶らの周辺作品も多く展示されていたので、運慶に代表される鎌倉彫刻の流れを堪能することができる展覧会であった。と書いてから手元の図録で確認したところ、出品作のうち運慶作と明記されているのは、何度数えても 19体。上記の数字から 3体足りないのである。その 3体は、光得寺の大日如来坐像、真如苑真澄寺 (しんちょうじ) の大日如来坐像、そして東大寺の重源上人坐像であり、これらは異論もあるが運慶作を否定しない作品だと、解説にある。尚、本展の開催に合わせて組まれた芸術新潮 10月号の「オールアバウト運慶」という特集では、運慶の作品は 35体 + 2面と記されている。実際のところ、幼少の頃から仏像に親しんできた私としては、今回出品されている 運慶の 22体について、初対面のものは 1つもないばかりか、像によっては、これまでの人生で優に 10回以上対面しているものもある。だが、この種の展覧会のよいところは、最新の照明のもと、多くの像の周りを 360度じっくり見て回れることであり、第一級の彫刻をそのように体験できることは、本当に何にも代えがたい喜びであって、そのためなら少々の混雑も全く苦にならないのである。因みにこの展覧会、興福寺中金堂再建を記念して行われているが、来年落慶予定のその堂については、以前も興福寺を訪れたときに記事を書いているので (例えば 2016年10月 1日付の記事)、ここでは繰り返さない。

さて会場ではまず、運慶のごく初期の有名な作品がお出迎えしてくれる。奈良・柳生の円成寺にある国宝大日如来坐像。1176年、運慶 20代の作。これこそ私が何度も対面している仏像であるが、以前は本堂の中に安置されていたものが、現在では境内に比較的最近できた多宝塔のご本尊として収まっているので、ガラス越しに遠くから拝観するしかなく、もはやすぐ近くでお目にかかることができないのである。従って今回はその周囲を回って拝観できる、貴重な機会であった。張りのある若々しい表情は、天才仏師の高い技量を早くも示している。この像については、またあとで私の思い出を語ることとしたい。
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そして展覧会は、運慶登場前の奈良仏師の作品に移る。これは長岳寺の重要文化財、阿弥陀如来 (阿弥陀三尊像の中尊) である。1151年の作で、創作年代が明確な仏像としては、玉眼を使用した最古の例であることで知られる。この張りのある表情が、奈良仏師の系譜として、上記円成寺の大日如来像で運慶によって発揮される個性の源流になっていることは明らかだ。
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これは運慶の父、康慶の手になる重要文化財、静岡の瑞林寺にある地蔵菩薩坐像。この仏像とは初対面だが、所蔵する瑞林寺は、富士市にある黄檗宗寺院であるという。運慶の活動には明らかに東国武士との関係が見られるが、1177年作のこの作品、明らかな慶派の作風であり、素晴らしいものである。
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さて興福寺や東大寺は、1180年の平重衡 (清盛の五男) の焼き討ちによって多くの堂塔、仏像を失った。その復興事業が、これらの寺に今日にまで伝わる数多い慶派の優れた作品群を生んだとは、歴史の皮肉である。やはり運慶の父、康慶による法相六祖坐像が 6体とも興福寺に残っていて、運慶の最高レヴェルの作品にはわずかに及ばないものの、そこに表れた人間のリアリティには深く打たれるのである。因みに法相六祖とは、興福寺が薬師寺と並んでその総本山である奈良仏教の流派、法相宗 (ほっそうしゅう) の高僧 6人の肖像である。
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展覧会はここからいよいよ運慶の様々な作品の展示に入って行ったが、その素晴らしさをいちいち書いていてはきりがないので、何体か選んで、まとめてご紹介しよう。
・静岡、願成就院の毘沙門天立像 (国宝)
・神奈川、浄楽寺の阿弥陀三尊坐像 (重文)
・和歌山・金剛峯寺の八大童子立像から恵光童子 (左) と制多伽童子 (右) (国宝)
・奈良、興福寺北円堂の無著立像 (左) と世親立像 (右) (国宝)
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これらは極めて写実的で、まるで活けるがごとき肖像なのであるが、ある意味で日本人のフィギュア好きは、この時代の感性からつながるものがあると思う。ただ美麗と言うだけではなく、特に無著・世親像などは、人間存在の本質に迫るような、世界美術史上に誇りうるほどの超絶的な作品である。もちろんそんなことは以前からよく知っているつもりであったが、この展覧会で再度確認することができて、本当に感動したのである。もしこれらの作品をよくご存じなく、じっくり写真で見てみたいという方は、今ならまだ、この展覧会をきっかけに出版された何種類かの運慶作品の写真集が売られているはずなので、それらでまずは写真をご覧頂き、そして、是非実物を見て頂きたい。ここでは、少し毛色の変わった作品をあと 3点ご紹介する。まずは、上の方で書いた、運慶作の可能性があるが未だ諸説あるものが 2体。いずれも重要文化財で、小ぶりな大日如来坐像であるが、まずは栃木県の光得寺のもの。そして真如苑真澄寺のもの。私はいずれも今回が確か 3回目のご対面だが、後者は、私がニューヨーク在住であった 2008年、同地のクリスティーズのオークションにかけられて話題になったもの。宗教法人による購入ということで、その後拝観の機会がどのくらいあるか当時は心配であったが、結構な頻度でお目にかかることができて、本当に有難い。
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それからこれは、1216年、運慶最晩年の作と言われるやはり小品で、大威徳明王坐像。2006年の修理の際、像内納入品によって運慶作と判明した。神奈川県の光明寺に伝来したもので、現在は金沢文庫が管理している。私が以前その金沢文庫で初めて対面したときには、確か未だ文化財指定はなかったように記憶するが、現在では重要文化財である。多くの腕や、全部の足や、横の顔を欠く痛々しいお姿であるが、あたかも執念によって正面の顔が無傷で残っているように見え、またそのサイズの小ささを思わせない像全体の存在感を現在にまで伝えていることは、実に素晴らしいと思う。
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展覧会ではその他、運慶の息子たち (湛慶、康弁) の作品) や、慶派の流れを汲む彫刻作品の数々も展示されていて、私としてはその多くが既によく知っているものではあったが、やはりこれだけの数が集められることで、鎌倉時代の息吹に触れられたのが嬉しかった。そういえば、昨年 6月11日の記事でご紹介した、静嘉堂文庫美術館が所蔵する十二神将像のうち 7体と再会したのも楽しいことであった。実は今回は、東京国立博物館が所蔵する残り 5体との勢揃い。これらはもともと京都の浄瑠璃寺に伝来したもので、運慶作かと期待されたことは、上記の記事でご紹介した通り。まあこれは運慶作とはとても思われないが、現在は離れ離れになってはいても、一堂に会すれば 12体すべて揃っているところに意義があり、重要文化財に指定されている。展覧会の図録から、これら十二神将のワイガヤの様子 (?) をお見せしよう。
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さてこのように大変貴重な運慶展を、混雑の中でも堪能した私であったが、ここでひとつ、個人的な思い出を披露することをお許し願いたい。今回の展覧会の最初に展示されていた、円成寺の大日如来坐像についてである。子供の頃から仏像が好きという妙なガキであった私は、忘れもしない中学 2年生の夏休みに、とある方の紹介で、憧れの人に会ったことがある。それは、当時の奈良国立博物館の館長で、仏像研究の第一人者であった倉田文作先生である。よほどの古美術好きでも、私以上の世代の人でないとこの名前はご存じないかもしれないが、当時著作もあれこれあり、館長としての苦労を話を面白おかしく随筆に書かれたりしていた。そのとき母に連れられて面会した私が、そんな偉い先生に一体何を話したのか、ほとんど覚えていないのだが、ひとつだけ明確な記憶がある。私は、当時重要文化財であった円成寺の大日如来像が、その美的価値も歴史的価値も充分なのに、なぜ国宝にならないのか尋ねたのだ。倉田先生は、「それだけ国宝というものは価値が高いのですよ」と、生意気な小僧に丁寧に諭されたのだった。その 3年後、先生は 64歳で在任中に死去。私はといえば、「将来は文化財の修理を手掛ける」という当時の夢はその後あとかたもなく雲散霧消、普通のサラリーマンになったのだが、あるとき、それは今調べると 1993年のことだが、この円成寺の大日如来が、重要文化財から国宝に格上げになるというニュースを見た。そのとき私は、あれだけ偉い先生が穏やかな口調で語り掛けて下さった中 2の夏を、懐かしく思い出したのであった。だからこの仏像は私にとって、自らの直感を信じるべしということを教えてくれる、特別な存在なのである。面会したときに倉田先生は、「仏像のみかた<技法と表現>」という自著を私に下さり、そこにサインをして下さったのだ。未だすぐ手元にあるその本を持って来て、久しぶりにページをめくってみた。あの日もらったサインがこれだ。ここには「昭和 50年 8月30日」とあるのだが、実はこれは「昭和 55年」の誤り。そんなところにも、立派な学者さんの意外と人間的な面を感じることができて、私にとっては一生の宝なのである。私も、偉い先生の人間的なところだけは見習って、その後生きておりますよ (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-12-19 00:41 | 美術・旅行