川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

岡本神草の時代展 京都国立近代美術館

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今年も様々なジャンルの美術を堪能する 1年であったが、中でもこの展覧会は、ビビビと電流が流れるほど感動したものである。間違いなく今年の展覧会のベスト 3に入るものであろう。その展覧会とは、日本画家、岡本神草 (1894 - 1933) の回顧展である。
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こういう時代になると、全国の展覧会の情報はいくらでも手に入るのであるが、そうは言っても勤め人の身。東京とその近辺はともかく、地方で開催される展覧会まではなかなか注意が届かない。だが、よくしたもので、東京の美術館でも地方の展覧会のポスターやチラシを見ることができて、私がこの怪しい画家の展覧会が京都で開かれていることを知ったのは、東京の美術館であったのだ。これは多少無理してでも見に行かねば。そう思った。上記のチラシでも伺い知れるように、この画家がその 40年足らずの短い生涯の中でこの世界に残したものは、一度見たら忘れないほど強い情念の世界なのである。だが、実は私は、それまでこの画家を知らなかったわけでは決してない。それは、1999年に千葉市美術館で開かれた「甲斐庄楠音 (かいのしょう ただおと) と大正期の画家たち」という衝撃の展覧会を見ていたからだ。以前もこのブログで触れたことがあると記憶する。
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20世紀のどん詰まりに開かれたこの展覧会は、まさに日本美術の知られざる一面に初めて光を当てたものではなかったか。その後、日経新聞の日曜版で大正期の日本画壇が特集されたり、また最近では、東京美術から「あやしい美人画」という、まさにあやしい本も出ているのである。
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今久しぶりに「甲斐庄楠音と大正期の画家たち」展の図録を手元に持ってきてみると、今回の岡本神草展に展示されていた作品も多く掲載されている。つまり、この岡本神草展は、モダニズムの時代に日本に咲いたあだ花である特異な美人画について、もう一度私の濁った頭をクリアにするような展覧会であり、自分の中に本能的に残っている過去の衝撃の残滓にもう一度向かい合い、自分自身の文化生活や、時代による世界の動向にまで思いを馳せる機会になったのだ。京都まで弾丸往復をするだけの価値のある展覧会であり、既に期間は終了しているとはいえ、この文化ブログでご紹介することには大きな意義があると思う次第である。

さて、岡本は神戸に生まれ、京都で絵を学んだ人。展覧会は、彼が早い頃から持ち合わせていた素晴らしい技巧を実感させる作品群に始まる。これは 1911年頃、つまりは画家が 17歳の頃に描いた「手毬と追羽根」。何枚かの紙を貼り合わせてあるようだが、対象を冷静に観察して画面上に再構成する技術の高さには脱帽する。
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これも同じ頃の「菊」の一部。ここに後年の怪しい女性像の萌芽を見るというと、ちょっと言い過ぎかもしれないが (笑)、でもこの菊、ただの植物ではなく、今にも何か語り出しそうではないか。
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これもその頃の修業時代の作品、「虫籠と花」。うーん。空の虫籠と切り取られた花を、別々ではなく同じ画面に入れることで、何やらただならぬ気配が生まれ、見る者の気持ちにさざ波を立てるのである。
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そう思うと、筆による数々の写生の中には、この画家の優しい視線を感じられるものもある。例えばこの 1914年の「お貞子ちゃん写生」。もちろん貞子ちゃんとはホラー映画の主人公ではなく (笑)、このワンちゃんの名前であろう。私が特に面白いと思うのは、左右に小さく書かれた、立ったり座ったりのポーズである。犬を飼ったことのある人なら、「あるある」と言いたくなるリアリティである。天才画家の筆のすさびであろう。
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この頃は未だ美人画を手掛けてはおらず、日本画の技法を追求しているようである。この作品は、1915 - 17年の「牡丹」。雨に煙る風景であろうか。何やら怪しい情緒はここにもあって、この牡丹の佇まいは、一度見たら忘れないようなもの。特に花の下の葉が黒々としていることなど、誰も制御できない花の生命力を感じさせる。
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だが、岡本の作品が面白いのは、このモダニズム華やかなりし大正時代のモボ・モガの姿を洒脱に描いている点にもある。この 2点は、1915年の「海十題」から。モガの連れている犬はやんちゃ盛りと見えて微笑ましく、また、木枯し紋次郎 (古いなぁ 笑) のような男が通り過ぎる海辺の街も、過去を懐かしむ風景というより、海の青さそのものが印象的なのだ。
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これも同じ頃の「アダムとイヴ」。図録から撮影しているので、間に縦線が入っているが、もちろんオリジナルにはその線はない。これもモダニズムの作品であり、ゴーギャンの切実さとは似て非なるものがある。
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大正モダニズムについては私も大変興味があり、よく弥生美術館などにも通ったものだが、ひとつの典型例はやはり、竹久夢二であろう。これも 1915年頃の作品「行灯の前の女」であるが、もちろん夢二とは持ち味の異なる部分もあるものの、大正という時代の雰囲気をよく感じさせる。
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さて、静物や犬や風景を経て、気がつくと我々は岡本の美人画に辿り着いていた。ここから先、我々は、岡本に残された 20年余りの時間に生み出された、唯一無二の作品群に遭遇する。これらはいずれも、1917年の「春雨のつまびき」という作品の習作である。ここで段階を経るごとに徐々に怪しさを増して行く、三味線をつまびく女性の姿は、当時弱冠 23歳という画家の年齢を思うと、背筋が寒くなるような、鬼気迫るもの。これぞ、岡本神草の個性の誕生である。
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そして遂に現れるのは、1918年の異形の作品、「口紅」である。これは現在の京都市立芸術大学の卒業制作で、現在でも同学が所蔵する。
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この作品は、数種類ある本展のチラシ / ポスターのひとつに使われていて、イメージは既に明確であったし、また私は、上記の「甲斐庄楠音と大正期の画家たち」展で一度対面しているはずだが、それでも私はこの絵の実物を前にして、しばし動けないような、深い感動を味わった。ちょっと顔のアップを見てみよう。これは幽霊画でもなければ貞子でもない。ここで行灯の光のもと、紅を差している舞妓は、そのプロフェッショナルな技をこれからどのように発揮しようとしているのか。無心に準備をするうちに、意識せずとも人間の内部から出て来たデーモンのかたちでなくてなんだろう。
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展覧会には、この作品に至るまでのスケッチや草稿が展示されていて、最初はマンガタッチで全身の姿から入り、そして姿勢と衣の流れに入って行ったことが分かるが、その顔はごく普通で、完成作のような情念渦巻くデモーニッシュな雰囲気には、まだまだ遠いものがある。実物で圧倒的であるのは、顔もさることながら、その着物の柄の手の込んだことであるが、それは実際に色をつける段になって、画家の脳裏に閃いたものであろうか。24歳にしてここまで達してしまうと、この先の人生はつらかったのではないかと思われるし、もしこの作品の真価を冷静に考えれば、重要文化財に指定されてもおかしくないと思うのである。
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この展覧会を見る限り、結局この「口紅」が岡本の画業の頂点であったように思われるが、ほかにも、彼が命を削って描いたと思われる作品がある。それは、冒頭に掲げたチラシに「覚悟の裁断」とある作品で、題名は「拳を打てる三人の舞妓」。まずはその草稿 (1919 - 21年) から見てみよう。
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これは文字通り三人の舞妓を描いたものであるが、画家の言葉によると、「満飾せる女性の美、その神秘さ、ある宗教的な感じ」を表現しようとしたものであるという。舞妓たちの指の表現で試行錯誤を重ね、1919年にはこのようなところにまで辿り着いたが、未完のままとなってしまう。確かにこれは、「口紅」を経た岡本の作品としては、少し大人しいように思われる。
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そして翌 1920年には、デモーニッシュな雰囲気が加えられ、ここまで仕上げることとなる。だが、展覧会に出すには全体にまで筆を入れる時間がなくなってしまい、中央の舞妓と左右の舞妓の顔の部分だけを切り取って出展したという。確かに中央の舞妓の両手の表情には鬼気迫るものがある。強い表現を求めて命がけの試行錯誤をする画家の壮絶な姿を伺い知ることができるのである。
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上記の通り、その後の岡本の創作は、つかみかけた何かを懸命に手繰り寄せようとする努力の連続ではなかったかと思う。これは 1922年の「仮面を持てる女」。左側に思い切って余白を取った構図であり、般若の面を持った女の表情はここでも怪しいが、ちょっとポスター風の平易さに堕しているように思われて残念だ。
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これは 1923年の「骨牌を持てる半裸女」。モデリングには洋画風のイメージもあり、岡本としては新機軸を目指したものかもしれないが、それほど胸がざわつく作品でもないと思う。
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一方で、昭和の世に入り、美人画を描く岡本の確かな腕は重宝されたことだろう。これは 1933年、つまり彼の死の年に描かれた「追羽根」。美しいが、デモーニッシュな雰囲気は払拭されている。
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このように、若くして逝った天才画家の苦悩を感じさせる展覧会であるが、展示されている夥しいスケッチブックを見ていると、若き日の彼の奔放な発想と確かな技術がまざまざと見て取れる。これらは 1913 - 14年のもの。彦根屏風風の禿あり、夢二風 (実際に「夢二」とあるので、もしかすると夢二作品の模写?) の可愛らしい童話あり、子供向けと思しき挿絵の練習あり、この画家が持っていた悪魔性と表裏一体のユーモアが感じられて興味深い。さらに命があったなら、と夢想しても詮無いこと。せめて今日我々が見ることのできる彼の作品群を堪能したい。
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さて、この展覧会には、岡本神草自身の作品以外に、周辺画家の作品もあれこれ展示されていて、興味は尽きない。中には、上で何度か言及した展覧会の主人公で、岡本のライヴァルでもあった同い年の甲斐庄楠音 (1894 - 1978) の作品もいくつかある。1999年の展覧会図録の表紙になっていた、あるいは岩井志麻子のデビュー作「ぼっけえ、きょうてえ」の表紙でもあった「横櫛」もよいが、私がここでご紹介したい甲斐庄の作品はこれだ。1915年の「露の乾ぬ間」。神社の本殿とおぼしき場所で、その細くて白いからだをくねらせて三味線を弾く盲目の若い女性。その表情が穏やかであるだけ、鬼気迫るものがあるのである。
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その他の画家の中から、特に 2人をご紹介したい。ひとりは、岡本神草の師匠である菊池契月 (1879 - 1955)。この画家の名前になんとなく覚えがある気もしたが、その作品の精緻さを目の当たりにして、ここでも金縛り状態だ。以下は 1925年の「春風払絃」と、1931年の「朱唇」。岡本や甲斐庄のような新たな芸術を目指したものではなく、江戸時代風の作風であるが、実物を前にすると見事の一語に尽きると呟かせるようなものなのである。
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もうひとりは、やはり菊池契月の弟子であった、当時としては珍しい女流画家、梶原緋佐子 (1896 - 1988) である。彼女の作品には、独特の抒情性があるとともに、なんとも人間的なリアリティを感じることができて、感動する。これは 1919年の「唄へる女」。全身とアップを見て頂きたい。格子戸の前で顔を紅潮させ、一体いかなる歌を歌っているのであろうか。
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ここでご紹介した作品群によって、私と同じようにこの展覧会の無類の面白さを感じて頂ければ有難いのだが、やはり実物を見るとさらに感動が高まるだろう。実際この展覧会の展示作品の多くは、今回の会場であった京都国立近代美術館の所蔵になるものであり、12月10日 (日) の会期終了に伴い、この素晴らしい展覧会を東京で見ることはできなくなってしまった・・・と思いきや、図録を見てみると、なんという幸運!! 来年の 5月30日 (水) から 7月 8日 (日) まで、千葉市美術館でも開催されるのである!! 千葉市美術館といえば、上記の甲斐庄楠音の展覧会がかつて開かれた場所であり、私はつい最近も、これもまた滅法面白かった大正・昭和の日本画家、北野恒富の展覧会を見に行ったばかり。江戸から近世にかけての日本の画家を専門とするこの美術館の企画は本当に素晴らしいのだが、私としては、「なんだよ、せっかく京都まで見に行ったのに、首都圏でも開かれるのかよ」と文句を言うつもりは毛頭なく、また半年すればここでご紹介した異形の作品群にまた会えると思うと、今から胸が高まるのを抑えることができないのである。

by yokohama7474 | 2017-12-22 00:32 | 美術・旅行 | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2017-12-30 23:24 x
私もこの画家の、拳を打てる三人の舞妓の不思議な魅力は希有のものと思います。かつて美の巨人で目にして、京都国立近代美術館で実物を目にして、アルカイックな美しさに瞠目しました。一方で、この絵と実物の舞妓/芸妓どちらがさらに魅力的かと問われると、最近の私は実際にお酒を飲める相手としての舞妓/芸妓の方が格段に上と思うのも事実です。芸術の永遠性と刹那の美しさとの相克は面白いですね。
Commented by yokohama7474 at 2017-12-31 01:18
> 吉村さん
国宝展に行かれたことは存じ上げていましたが、やはりこの展覧会にも行かれたのですね。感動を共有できて嬉しいです。ただ私の場合は、舞妓 / 芸妓とお酒を飲むなどという豪華なふるまいをしたことがないので、コメントの後半部分には、どうにも反応できなくて困っております (笑)。是非今度お話しを聞かせて下さい。
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