広上淳一指揮 NHK 交響楽団 (ヴァイオリン : 五嶋龍) 2018年 1月13日 NHK ホール

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今年、2018年は、あの偉大なる作曲家、指揮者、教育者であったレナード・バーンスタインの生誕 100年の年である。私のバーンスタインへの熱い思いは過去にもこのブログで何度も触れてきているが、指揮者としての輝きはもちろん、残された多くの録音や映像で充分に楽しむことができるのであるが、近年の傾向として、作曲家バーンスタインに対する評価が上がってきているような気がする。かく申す私も、彼の作品を聴き返してみて、なるほどそんな音楽だったのかと思うことがあり、例えばこのブログで採り上げた「ミサ曲」や「ウェストサイド・ストーリー」などがそうである。この演奏会もバーンスタイン生誕 100年を記念するもの。とは言っても特別演奏会ではなく、定期演奏会である。今回NHK 交響楽団 (通称「N 響」) を指揮するのは広上淳一。
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現在は京都市交響楽団の常任指揮者として知られる彼であるが、その小柄な体をフルに動かしての熱演で、東京の聴衆にも強く支持されている。大晦日にも東京フィルを振った東急ジルヴェスターコンサートで、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後の 2曲でカウントダウンを行い、大いに客席を沸かせていた。その広上も今年はなんと還暦を迎えるという。思い返せば、アシュケナージがこの N 響にピアニストとして登場して協奏曲の夕べを開催した際に指揮者に指名したのがこの広上で、確か私は、そのときに彼の名を初めて知ったのだと思う (但しその実演には接していない)。このブログではおなじみの、「えっ、つい最近じゃないの?!」という決まり文句 (?) とともにここで明らかにしておくと、それは 1985年のこと。その前年にアムステルダムで開かれたキリル・コンドラシン指揮者コンクールでの優勝という話題をひっさげての登場であった。ただ、今回 N 響定期でバーンスタインを記念する演奏会を指揮するほど、広上がこの大指揮者と近かったという認識はないのだが、実は上記のコンクール優勝後、アムステルダムで研鑚を積んでいた 1980年代半ばにバーンスタンがコンセルトヘボウ管に客演した際、アシスタントを務めたのだという。それは知らなかったが、確かにバーンスタインとコンセルトヘボウは、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」や、2回目のマーラー全集における 9番、あるいはシューベルトの「未完成」「ザ・グレイト」などで素晴らしい成果を残しており、なるほど若き日の広上にはそれは大きな刺激になったことだろう。
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さて今回の曲目は以下の通り。
 バーンスタイン : スラヴァ! (政治的序曲)
 バーンスタイン : セレナード (プラトンの「饗宴」による) (ヴァイオリン : 五嶋龍)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 5番ニ短調作品47

なるほど、バーンスタインの自作 2つに、後半は彼が終生愛してやまなかった交響曲から成る、興味深いコンサートである。まず最初の「スラヴァ!」であるが、これはバーンスタインの盟友でもあった稀代の名チェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの愛称。彼が旧ソ連から米国に亡命し、1977年、ワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督に就任した際のお祝いで書かれた曲。イスラエル・フィルを指揮した自作自演の録音も残っている。
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これは 5分弱の賑やかな曲で、まさに広上の持ち味にぴったりだ。実は 70年代の米ソ間には多大な緊張があったはずだが、社会的意識の強い芸術家同士の交流では、政治も洒落のめす対象であったのだろう。皮肉の効いた面白い曲を、溌剌と面白く聴かせてもらった。尚、この曲のテーマはバーンスタインのほかの作品、つまりは「ペンシルヴァニア街1600番地」から採られているらしい。私はこの作品を、ケント・ナガノとロンドン響の演奏でロンドンで実演を聴いたこともあり、CD も持っているが、そうとは全く気づきませんでした。

次に演奏されたのは、実質的にはヴァイオリン協奏曲である「セレナード」。1954年の作で、今回ソロを弾いたのは、人気者の五嶋龍であった。現在 29歳だが、子供の頃から活動しているので、キャリアは既に長い。
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そういえばこの曲は、1986年、彼の姉である五嶋みどりが未だ 15歳にもならない頃、タングルウッド音楽祭において、作曲者の指揮のもとで演奏した際に弦が切れたのに、慌てず騒がずオケの奏者と楽器を交換して最後まで弾き終えたという逸話で有名である。この逸話は、米国では教科書にも載っていると聞いたことがある。余談ながら、実は今回初めて私は、このときの生々しい映像 (後年の本人へのインタビューつき) を YouTube で見ることができることを知った。弦は一度ならず二度切れ、最初はバーンスタインも指揮を停めるが、二度目はその必要もないくらい落ち着いて対応し、客席がどよめいているのが記録されている。ご興味のある向きは、「五嶋みどり タングルウッドの奇跡」で検索されたい。さてそれも今は昔の話。天才少年から本物の天才に脱皮しつつある弟の龍にしてみれば、姉の有名な逸話と自分の演奏は、全く無関係であろう。体でリズムを取り、オケに視線を向けて一体感を醸成しながら、切れのよいヴァイオリンを聴かせた彼も、やはり只者ではない。私はこの曲は、アイザック・スターン、ギドン・クレーメルがそれぞれ独奏した新旧の作曲者自作自演盤で親しんできたが、生で聴くのは初めてであり、実に不覚にも、管楽器なしの編成であることに今回初めて気づいたという体たらく。打楽器が多いので、すっかり幻惑されていましたよ。プラトンの「饗宴」に登場する賢人たちの名前が各楽章につけられているが、あまりそれを気にせずとも楽しめる曲である。作曲家バーンスタインの才気は、ここでも充分に感じられるので、このような演奏を通じて、彼の作品は今後一層ポピュラーになって行くのではないだろうか。

さて、後半のショスタコーヴィチ 5番であるが、これは、バーンスタインが深い思い入れを持っていた曲。晩年には指揮することはなかったようだが、1979年の東京文化会館でのニューヨーク・フィルとのライヴ盤は凄まじい名演として知られている。その映像 (前座で演奏されたシューマン 1番とともに) を収めた市販のビデオテープも、今や貴重なもの。写真で一部お目にかける。
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それから私の手元には、同じバーンスタインとニューヨーク・フィルの 1959年の旧録音のアナログ盤がある。これはライヴ録音ではないが、その年にソ連ツアーを行ったバーンスタインとニューヨーク・フィルのかの地での大成功を記念して、このようなレコードが米国で発売されたものであろう。ジャケットの写真はそのツアーでのもので、作曲者もバーンスタインの横で嬉しそうだ。当時の冷戦状態を思うと、これがいかに大きなイヴェントであったかが分かる。もっとも、当時西側からはほかにも演奏家が結構ソ連を訪れてはいて、オーマンディとフィラデルフィア管、ミュンシュとボストン響、カラヤンとベルリン・フィルなどの同地でのライヴ録音も残されているが、ここではこれ以上深入りはやめておこう。
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このようにバーンスタインと因縁の深いこのショスタコーヴィチ 5番を、今回、広上と N 響はしっかりと強い音で演奏した。この曲全体の意味は、依然として謎めいたものではあるが (プログラムの解説によると、最近の説では、「カルメン」の引用によって、作曲者が当時恋い焦がれていた女性が暗示されているという)、それはそれとして、ここで鳴る様々にドラマチックな音の流れは、やはりこの作曲家の最高傑作の名に恥じないものであると、改めて認識する。広上の身上は、常に曲の劇性を生のまま抉り出すような情熱であり、それは今回も全開であったが、その一方で、当然のことながら、各パートの輪郭の描き方や、主役の楽器の交代などには、優れて職人的な手腕を見せる。端的な例が第 2楽章冒頭の低弦で、これはちょっとびっくりするほど思い切ったもので、迫力充分であった。第 3楽章と第 4楽章の間にもきっちり休止を取って、ただ勢い任せに第 4楽章を始めるのではなく、じっくりと腰を据え、力を解き放っていた。このように素晴らしい演奏であったとは思うのだが、但し、じっくり聴いて行くと、この曲の深層にある絶望的な深い屈折には少し届かない、ごくわずかなもどかしさを感じてしまったのも事実。平明で、誰でも感動できる音楽こそが彼の指揮の最大の長所であることを思うと、言い様のないほどの暗い闇を広上に求めるのは、場違いなのかもしれない。全体として素晴らしい表現力であったからこそ、些細な点が気になったともいえるかもしれない。

以前書いたことがあるが、昨今の東京のメジャーオケでは、日本人指揮者が定期演奏会を振るのはなかなかに狭き門である。還暦を迎えるというマエストロ広上には、ますます意欲的な活躍を期待したい。

by yokohama7474 | 2018-01-14 08:50 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

Commented by usomototsuta at 2018-03-13 00:25 x
映画に続いて今頃すみません。昨日「クラシック音楽館」で見ました。バーンスタインの逸話、五嶋みどりのエピソード興味深かったです。また広上さんはいつ見ても独特というか、お洒落や洗練とは随分離れたなりふり構わぬ指揮が良いですね。昨年の日本フィルin大分で「田園」他を聴きました。また広上さんとパーヴォさんの、師バーンスタインについての対談も聞き応えありました。広上さんはショスタコーヴィチの音楽を(あの時代あの国で)いつも何かに対する「怯え(だったかな?)が見え隠れしている」というニュアンスで話してたのが成る程でした。確かに彼の曲は(交響曲半分しか聴いてませんが)妙に落ち着きや安らぎが無いように感じます(笑)。
Commented by yokohama7474 at 2018-03-13 00:38
> usomototsutaさん
そうですね、ちょうど放送していましたね。私自身はその番組を録画したものの、未だ見ておりませんが。ショスタコーヴィチの交響曲は、当時の政治情勢や作曲家の置かれた環境を知らないと、なかなか理解しがたいという点では、ベートーヴェンやマーラーの交響曲は違うと思います。確かにあの時代のソ連という特殊性はありますが、その一方で、一旦背景を理解してしまうと、聴き手が自由にその曲を楽しむのがよいのではないかと思っております。最後の交響曲、第 15番の終結部の謎めいた安らぎ (?) は、それゆえに大変神秘的です。

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