川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

澁澤龍彦 ドラコニアの地平 世田谷文学館

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澁澤龍彦 (1928 - 1987) は、少なくとも私の世代で、ヨーロッパの芸術で、時に幻想的、高踏的、あるいは退廃的なものに興味のある人であれば、誰しもが多くを教えられたであろう、稀有なる文学者であった。本職は一応フランス文学者と言うべきなのであろうが、ヨーロッパのあらゆる幻想的、高踏的、退廃的な芸術を日本に紹介した功績は不朽のものであるし、その膨大なエッセイにおけるペダンティックな語り口と、マルキ・ド・サドやジャン・コクトーの翻訳、そしてまた小説においても、その特異な才能を高らかに天下に知らしめた人である。今と違ってインターネットのない時代、彼の著作でしか知ることのできない画家の名前や歴史的な事象、あるいは興味深い場所は数知れず、私は学生の頃に何冊もそのような澁澤の本をむさぼり読んだものである。当時私の周りには、このサングラスを真似ている先輩もいたものだ。
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ここで紹介するのは、昨年没後 30年を迎えた澁澤の業績を紹介する、世田谷文学館で開かれた展覧会。多くの生原稿や澁澤の所有していた様々なオブジェや美術品等が所せましと並んでいて、長年の澁澤ファンにとっては、まさにたまらない内容であった。これは、親しい友人であった三島由紀夫と語らう澁澤。1970年 5月の撮影というから、三島が自決する半年前の写真で、彼らが語っているのは稲垣足穂について。雰囲気も題材も、いかにも昭和の時代のあだ花であるが、今となっては、激しく怪しい耽美性において、この 2人が日本の文芸に果たした役割には絶大なものがあると、改めて実感するのである。
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さてこれは、澁澤のトレードマークであったサングラスをあしらった、展覧会の図録の最初のページ。展覧会の副題は「ドラコニアの地平」だが、この「ドラコニア」とは小惑星群の名前であるが、ここでは「龍彦の領土」という意味の自らの命名で、いわば澁澤の作り出した特異な世界を表す表現である。もちろん、「龍 = ドラゴン」との関連もあるだろう。
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そうそう、展覧会の内容もさることながら、会場であった世田谷文学館について簡単にご紹介しよう。京王線の芦花公園駅からほど近いところにある、その名も芦花公園という公園の中にあり、主として世田谷区ゆかりの文学者についての資料を収集・展示している。実は私も昨年の晩秋にこの澁澤展を見るために初めてここを訪れたのだが、なんとも気持ちのよい場所であったので、そのときの写真をまずお目にかけよう。
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この公園に名前を残している「芦花」とはもちろん、明治の小説家、徳冨蘆花のこと。今でも彼の旧宅が公園内に残されていて、建物同士を結ぶ長い廊下を含め、内部を見学することができる。
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私も蘆花について名前以上に何を知っているわけでもないのだが、兄のジャーナリスト徳冨蘇峰と並んで有名な文筆家である。兄・蘇峰の旧宅の一部は、我が家から遠からぬ大田区の山王という場所に保存されていて、いつの日にかこのブログで、以前回ったことのある馬込あたりの文士たちの暮らした跡をご紹介する記事を書きたいので、またその時に、この兄弟の業績について考えてみたい。さて、世田谷文学館の入り口には、このブログでも昨年展覧会をご紹介した洋画家、絹谷幸二の大きな作品が展示されている。1995年作の「愛するものたちへ・希望」。
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さて、このおよそ澁澤ワールドとはほど遠い健全な作品 (笑) から、澁澤展における展示物、またはそのイメージの紹介に移ろう。まず、これまでにも様々なメディアに紹介されてきた、彼の書斎の写真。私の記憶が正しければ、いつか見たやはり澁澤に関する展覧会では、実物大の写真で再現されていたような気がする。あれはいつだったかなぁ。ここに見えている人形は、言うまでもなく四谷シモンの手になるもの。
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また、無機的な鉱物や貝殻が好きであった彼は、戸棚にこのようなものも飾っていたらしい。
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興味深かったのは、ジャン・コクトーから澁澤にあてた手紙。コクトー作品の数々を翻訳して日本に紹介した澁澤への謝意を表明したものであろう。宛先には "Tasso Shibusawa" とあるが、この「タッソ」とは、澁澤の名前「タツオ」と 16世紀イタリアの詩人タッソー (音楽ファンにとっては、リストの交響詩でも知られる名前であろう) とをかけたもの。澁澤が自身をそう名乗ったということのようである。
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澁澤と言えば、その耽美性や衒学性とともに、意外とお気楽なユーモアが彼の個性をなしている。これは、彼がマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」を翻訳し、わいせつ罪で訴えられた、いわゆる「サド裁判事件」に関して、自身で語った原稿。思えば日本の文学者の伝統は、その巧まざるユーモアにあると言うこともできるのではないか。
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彼はまたヨーロッパ各地を旅して、興味深い場所をあれこれ訪れている。展覧会では、念入りに作成された彼自身による旅の記録を見ることができた。例えばイタリアのボマルツォ庭園など、澁澤が紹介したということで大いに興味を引く場所であり、いつか実際に足を運ぶのが私の夢のひとつなのである。
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さてここで私は、この展覧会を振り返って内容を紹介するのに、通常の美術展とは異なる難易度を感じ始めている。それは、展示物の写真をあれこれ載せても、澁澤を好きな人には何かイメージが伝わるにせよ、そうでない人に対してはあまり意味がないような気がするからだ。そういう方には一言。澁澤を読んで下さい。彼の文章を少しキザと思われるのはやむないが、だが、ちょっとほかにないような素晴らしく文化的な内容が山盛りであり、今でも様々な著作が簡単に手に入る。もちろん古本なら、こんな昭和な雰囲気を味わいことができて、それはそれでまた味わい深いのだが。
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そうそう、ひとつ興味深かったのは、澁澤が暗黒舞踏家、土方巽の葬儀で読み上げた弔辞である。生原稿と、そこから起こした全文の活字が展示されているだけではなく、葬儀の際に読まれた実際の弔辞の録音が流れていた。
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土方と澁澤の交流関係はよく知られているが、1986年 1月に 57歳で亡くなった土方を追悼する澁澤の言葉は、時にユーモアもありながら、悲痛なもの。意外なことには、その弔辞の中で、あまり澁澤と接点があったとも思われない寺山修司の死に言及し、「まさに死屍累々であります」という発言がある。寺山の死は 1983年だからその時よりも 3年前ではあるが、澁澤の目から見ると、土方と共通する土俗的な精神を持った日本の芸術家の死ということで、何か連鎖的なものを感じたのかもしれない。痛々しいのはその細く高い声で、途中で咳払いし、「最近喉の調子が悪いのです」と謝罪するのである。周知の通り、澁澤は咽頭癌で声を失い、結局その病でこの世を去るのだが、調べてみると、癌の発見は、この弔辞を読んでからわずか 8ヶ月後の 1986年 9月。まさにこの土方の葬儀の際には、彼の喉は既に、癌に侵されていたわけである。土方の死から 1年半ほどしか、彼はこの世に留まることができなかった。奇しくも土方と澁澤は同じ 1928年の生まれ。昭和を駆け抜けた文化人たちである。展覧会には、その澁澤が声を失ってから家族や友人と行った筆談のあとも多く展示されていたが、これが面白い。
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入院中に見舞いに来た友人が辞する際に、ベッドから起き上がってエレベーターまで送ろうとした澁澤に、その友人が無理しなくてよいと言ったことに対し、「それだけのダンディズムがまだ残ってる」と書いてみせたという。いかにも澁澤らしいではないか。

さて、澁澤の著作についてあれこれ語るとなると、それはなかなか大ごとなのでやめよう。ただここで、あと 3つばかりのエピソードを語りたい。ひとつは澁澤の住居について。上で写真を掲載した彼の書斎やオブジェは、彼が晩年まで住んでいた北鎌倉の自宅での写真である。ここは一般公開されていないはずだが、生前の書斎をそのまま残してあると聞いたことがある (龍子未亡人が今でもおられるはず)。いつか保存・公開される日を待ちたい。上に、その書斎を実物大の写真で再現した展示を見た記憶があると書いたが、どうにも気になったので、例によって書庫をガサゴソ漁り、みつけて来たのがこの本だ。ここには、篠山紀信の手になる澁澤の書斎の写真がいろいろ載っていて興味深い。今でも中古で簡単に手に入るので、ご興味おありの向きにはお薦めしておこう。
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ところでこれはどう見ても展覧会の図録で、私はそれに出掛けたはずだが、どこにもその展覧会への言及がない。そして調べてみると、インターネット時代のありがたさ、1994年に西武百貨店池袋店の 12F、ロフトフォーラムで開かれたものと簡単に判明した。なるほど、そう言えばそんな記憶が甦ってくるのであった。

次に 2つめのエピソード。実は私は、澁澤がこの北鎌倉の家に移る前に住んでいたという家に、行ったことがあるのだ!! もちろんそれは澁澤が退去してからずっと後のことで、多分今から 20年くらい前 (上記の西武百貨店での展覧会の数年後だったか)。会社の先輩が何かのツテがあって、ある日曜日に、随分と古い空き家の木造家屋を見せてもらうことができたというだけだ。場所はやはり鎌倉で、何か小川のすぐそばだったと思う。そのことも随分長く忘れていたのだが、今回の展覧会に、その家に住んだ頃のことを書いた生原稿があったので、急にそれを思い出したというわけだ。その家には別に何か痕跡があるわけでは全くなかったが、敬愛する澁澤の旧居というだけで、感動したことは覚えている。今はどうなっているのだろう。

最後のエピソード。澁澤が日本に紹介したアーティストは沢山いて、例えばレオノール・フィニーとかゾンネンシュターンなどがそうだが、中でも人形作家ハンス・ベルメールの怪しい作品群は、本当に澁澤好みのものである。実はこの展覧会が開かれていた前後にも、場所は全然異なるが、渋谷の Bunkamura のギャラリーで、澁澤ゆかりの作家 (四谷シモンや金子國義ら) の作品の展示即売会をやっていたのだが、かれこれもう 10年以上前だろうか、その Bunkamura で同様のイヴェントが開かれたことがあった。そのときに私は、ハンス・ベルメールのリトグラフ作品を購入したのであった。昨年の澁澤没後 30年を記念して、ここで我が家秘蔵のベルメール作品をご披露しよう。1969年作の「青い瞳」という作品。秘蔵している理由は、保管ということもあるが、何より、飾っていてあまり気持ちよい絵ではないからだ (笑)。
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そんなことで、とても澁澤文学の全貌には迫れなかったが、彼の偉大なる足跡の片鱗くらいはご紹介できたかと思う。最近でも人気が衰える気配のない澁澤の膨大な著作は、時に公序良俗に反しながら (?)、人々の感性を刺激してやまないのである。そして私は世田谷文学館をあとにして、晩秋の空気の中、芦花公園を散歩しつつ、今度は書斎のほこりくささを忘れて、ひなたぼっことしゃれこんだのである。
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by yokohama7474 | 2018-01-19 00:55 | 美術・旅行 | Comments(0)
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