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秋山和慶指揮 東京ニューシティ管弦楽団 (ピアノ : 花房晴美) 2018年 1月27日 東京芸術劇場

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東京にはフル編成のプロのオーケストラが 9つもあって、それは間違いなしに世界一なのであるが、ただその中で、歴史や活動規模の観点から、メジャーな楽団とみなされるものは 7つ。このブログではその 7つのオケの演奏についてはあれこれ書き記しているのだが、残りの 2楽団について書く機会が少ないのは残念だ。東京の音楽文化を語るなら、そこまで含めて語るのでないといけない。そこで今回は、その「残りの 2楽団」のひとつ、東京ニューシティ管弦楽団の演奏会について書いてみたい。この演奏会の開演時刻であった 14時には、サントリーホールでは小林研一郎指揮の日本フィルが、ブルックナーの 7番をメインとした演奏会を行っていたのだが、私はそれを選ばず、この演奏会を選んだのであった。実はそのコバケンの演奏会、前日の同じプログラムによるコンサートのチケットを持っていたのだが、出張のためにあきらめざるを得ず、家人に託した経緯があったのである。私がこの東京ニューシティ管の演奏会を選んだ理由は 2つ。ひとつは、このブログで何度も敬意を表してきたマエストロ秋山和慶の指揮であること。もうひとつは、随分長く実演を聴いていないピアノスト、花房晴美がソリストを務めることである。さて、まずは秋山である。
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このブログではもう散々この指揮者のことを称賛してきているのであるが、ここで改めて賛辞を捧げよう。彼が長らく手塩にかけ、数々の意欲的なプログラムを採り上げた東京交響楽団は、今や英国の名指揮者ジョナサン・ノットを音楽監督に頂いている。そして、ある時期には世界の名だたるオーケストラの数々を振っていた秋山は、最近ではあまり海外に出掛けている様子はないように思う。国内で数々の地方オケのシェフを務め、学生オケを指導し、そして東京においては、この東京ニューシティ管にまで客演する。つまりは彼の活動によって、東京のみならず日本全国のオーケストラ音楽の質が向上しているということだ。実際、私が以前この東京ニューシティ管の演奏を聴いたのは唯一、この秋山の指揮によるもので、それは 2016年 3月21日の記事として採り上げた。既に 76歳になった秋山だが、その確かな手腕は、東京の音楽界になくてはならないものなのである。そして今回のソリストは、日本を代表するピアニストのひとり、花房晴美。
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女性の年を語ってはならないという風潮は未だにあるものの、社会システムにおいてここまで男女同権が進んだ現代においては、女性の年も貴重な情報と割り切って書いてしまおう。彼女は 1952年生まれ。つまり、既に 65歳ということになるから驚きだ。今回の演奏会は、上に掲げたチラシからも明らかな通り、彼女の日本デビュー 40周年を記念するものでもある。ここでわざわざ「日本デビュー」とあるからには、ほかの場所で既にデビューしてから日本楽壇に登場したものであろうか。もしそうであれば、デビューの地はパリであったのかもしれない。なぜなら彼女はフランスで頭角を現した人であるからだ。実は私にはひとつの思い出があって、まさに 40年ほど前、中学生のときに彼女のピアノを聴いた記憶があって、そのことはこのブログでも書いたことがある。そのときのプログラムは今手元で探しても見つからないので、きっとそうだったと記憶している伴奏のモーシェ・アツモンと東京都交響楽団の演奏記録を、ネットと手元の書物で調べてみたが、あろうことか、それらしい演奏会が見当たらない。これは私にとっては結構ショッキングな出来事。だがまあ、それは事実であるので、首をひねっても仕方あるまい。一方、こちらの記憶は間違いないと自信があるのは、花房晴美の名を明確に意識したのは、1980年の角川映画「野獣死すべし」におけるショパンのピアノ協奏曲第 1番の演奏であった。それも今となっては 38年前。つまりは彼女の日本デビューからそれほど経っていない頃の演奏であったわけだ。

既に前置きが長くなってしまっているが、今回の曲目は以下の通り。
 ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
 ラヴェル : ピアノ協奏曲ト長調 (ピアノ : 花房晴美)
 チャイコスフキー : 交響曲第 1番ト短調作品13「冬の日の幻想」

せっかく花房の日本デビュー 40周年ということなので、ラヴェルのコンチェルトから書いてしまうと、さすがフランスものを得意とする彼女のこと、大変に洒脱な演奏を繰り広げた。この曲にはジャズのイディオムが使われているが、一方で第 2楽章では冒頭から延々とピアノ・ソロによる透明感溢れる美しい音楽が聴かれる。洒脱でありながら透明な抒情を出すのは容易なことではないが、苦労して弾いている様子が見えてしまうと興ざめだ。今回の花房の演奏、その第 2楽章のソロでは、よくありがちな過度の感傷には陥っておらず、むしろ力強いとすら言えそうなタッチを聴くことができ、またそこには華麗さへの指向も感じられて、これは一家言あるなと思った次第である。ただ、全体を通して、均一な粒立ちはあまり感じることができず、大柄に響き過ぎる箇所もあったような気がする。それゆえ、アンコールで演奏されたドビュッシーの前奏曲集第 2巻の「花火」の方が、より華麗な音楽である分、適性を感じさせたものである。それもこれも、40年の演奏歴による演奏家の個性であると思う。因みにこれが、上記の 1980年の映画「野獣死すべし」における花房。お変わりありませんね。80年代風ではあるものの (笑)。
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さて、最初の「牧神」と後半の「冬の日の幻想」は、いずれも大変安心して聴くことのできる出来であった。前者におけるフルートやオーボエのソロは称賛に価し、また、後者における劇的な部分や抒情的な部分の多彩な表現は大変楽しめるものであったのである。もちろん、最高の意味における職人性を持つ秋山の指揮が楽員に霊感を与えたものだろうとは思うが、それにしても、本当にこれだけきっちりした演奏ができるこのオケの実力も侮れないものである。つまりは東京のオケの水準はそれだけ高いということだろう。「冬の日の幻想」はチャイコスフキーが初めて書いたシンフォニーであり、彼の交響曲としては唯一、ニックネームを作曲者自身がつけている。ここには若きチャイコフスキーが既に、その後も続いていくことになる紛れもない個性を持った作曲家であったことが示されているが、特に第 2楽章のロシア的抒情は素晴らしい聴き物であり、私は大好きなのである。ロシア民謡風のテーマが盛り上がる箇所が聴きどころであるが、チェロの合奏がその旋律を纏綿と歌い、その少しあとには、ホルンの合奏が (あまり例のないことに) 同じテーマを朗々と歌うのであるが、いずれも惚れ惚れとする出来であり、胸が熱くなるのを抑えることができなかった。あえて課題を挙げるとすると、ちょっときっちりし過ぎかなということか。さらに音楽が練れてくれば、もっといい感じに崩れてきて、そこにはさらなる音楽の深淵があるものだと思う。だがいずれにせよ、名匠秋山の指揮のもと、東京ニューシティ管が達成した成果は素晴らしいものであったと思う。聴衆はあまり多くない演奏会であったが、やはり東京の音楽界の水準を知るには、このような演奏会に足を運ぶ必要があるなと再認識した次第。

by yokohama7474 | 2018-01-27 23:33 | 音楽 (Live)