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京都 その 1 太秦 (広隆寺、東映映画村、蚕の社)、嵐山 (天龍寺、大河内山荘、常寂光寺、二尊院、祇王寺、滝口寺)

年明け、1月 2日から家人とともに京都に 2泊し、数々の寺社を訪問した。そこでこれから 3回に亘ってその旅行記を書くこととした。このブログでは既に何度も古社寺の訪問記を書いてきたが、実際私にとっては、京都も奈良も、子供の頃から勝手知ったる場所である。だが、もちろん懐の深いこれらの街においては、未だ訪れたことのない場所も数々存在し、何度訪れても充分ということはない。今回も、何度も訪れたことのある場所と、初めて訪れた場所が様々に入り混じっており、大変に充実した旅行となったので、概要をこれから書いて行きたいと思う。ただ、2つの点にご留意されたい。まずひとつめは、ここでご紹介するのは推奨ルートでも何でもなく、かなりハードな観光魂が必要であるものだということ。旅先では全身目玉となってなんでも見てやろうという覚悟のない人には、このようなコースはお薦めしない (笑)。もうひとつは、3回の記事で使用する写真の質がそれぞれに異なること。つまり、今回の記事の対象となる初日は、いつものカメラなのであるが、実は、昨年のベルギー旅行の際に空をきれいに撮りたいと思って、青を強調した設定にしたままであった。そしてそのカメラは、その日の夜、ホテルの部屋で充電中に誤って落としてしまい、レンズが割れてお釈迦になってしまった。なので、2日目はスマホで撮影することとなった。だがその日の夕刻に京都で新たなカメラを購入、従来よりもハイスペックなそのカメラを 3日目には使用した。それぞれの写真の質の違いも、私にとってはよき旅の思い出なのである。

さて、東京から朝移動で京都駅についた我々は、駅のコインロッカーに荷物を預け、街に繰り出した。初日の行き先は、家人の希望により、嵐山と決定。私は結構旅先でレンタカーをするのであるが、初日は徒歩中心にしようと決めた。人気の観光スポットである嵐山は、人も多いであろうし、そもそも徒歩圏内に沢山の見どころが集まっているからである。そんなわけで、早速京都駅から地下鉄で移動。太秦天神川駅まで行ってから、路面電車である嵐電嵐山線に乗り換えた。さて、京都にあまりなじみのない方は、「太秦」とか「嵐電」の読み方が分からないかもしれない。それぞれ「うずまさ」「らんでん」と読む。特に前者は、土地にまつわる古い歴史が関係しているので、あとでそのことに触れよう。これが情緒ある嵐電。私が子供の頃は、京福電鉄嵐山線という名称であったが、会社はそのままのようだが、江ノ電との提携を行っているせいであろうか、嵐電の名で営業を行っている。リラックマとも提携?
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さて、京都の中心部から西に向けて走る嵐電に乗るのなら、どうしても素通りできかねる場所がある。それは、ほかでもない太秦 (うずまさ) である。この地には、聖徳太子から仏像を譲り受けた秦河勝 (はたのかわかつ) が 603年に建立したという日本屈指の名刹である広隆寺があるのだ。私にとっては、今から 42年前に亡父に連れられて初めて訪問してから、もう何度訪れたか分からないほどなじみの寺である。
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京都には庭を愛でる禅寺が圧倒的に多いが、この広隆寺はなんといっても仏像の名品に出会う寺である。数々の寺宝の中でも、最も有名なのはこの仏さまである。
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日本に優れた仏像数々あれど、この弥勒菩薩半跏像はその中でもひときわ有名なもの。国宝指定第一号でもあり、切手でもおなじみだ。全身像は以下の通り。この角度から見るのが最も美しいと私は思う。
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この仏像の美しさについてはいろんなところで様々な言説が存在しているので、ここで私が改めて何かを加える必要はないだろう。朝鮮半島からの渡来品であるか、あるいは渡来人によって日本で制作されたものであるかの論争は決着していないし、また、上記の通り聖徳太子が秦河勝に与えた由緒ある仏像がこれであるのか否か、未だに不明であると理解している。材質がほかに例のないアカマツであることや、ソウルの韓国中央博物館所蔵の弥勒菩薩像とそっくりであることから、いずれにせよ 7世紀時点での半島からの仏教文化流入の、素晴らしい成果であることは間違いないだろう。ご参考まで、これがソウルにある弥勒菩薩像。私も実物を見に行って感激した。
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広隆寺の宝物館は霊宝殿という名称であるが、そこにはこの有名な弥勒菩薩以外にも、数々の素晴らしい仏像が安置されていて圧巻だ。「泣き弥勒」のあだ名のあるもう一体の国宝弥勒如来半跏像も味わい深いが、私が好きなのは、不空羂索観音である。もちろん国宝だ。
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この仏像は、私が初めてこの寺を訪れた頃には、やはり今は霊宝殿に安置されている国宝千手観音像とともに、講堂に安置されていた。その講堂自体は重要文化財で、本尊の国宝阿弥陀如来、重要文化財の地蔵菩薩や虚空蔵菩薩は金網越しに外から拝むことができるが、どうも隔靴掻痒の感を禁じ得ない。一言で言うと、この見方しかできないことは、大変にもったいないのだ。以前は中に入ることができて、大変感動的であったので、現状はなんとも惜しい気がいつもしてならないのだが、保存の関係で致し方ないのだろうか。さて、仏像の話はきりがないので話題を換えると、今回ちょうど広隆寺では特別な行事を行っていた。それは「釿 (ちょうな) 始め」というもの。
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ちょうなとは建築で使う手斧のこと。このちょうな始めは、ここ広隆寺で中世から続く伝統行事で、大工さんたちが 1年の安全を祈って毎年 1月 2日に行われる行事らしい。寺なのに神主さんが登場し (その神仏混淆が古来の姿なのだろう)、大工さんたちが木遣りを歌っていた。その後実際に、ちょうなを使う儀式も行われたようだ。なるほどそういえば、聖徳太子は職人の神様でもある京都における聖徳太子信仰の中心であるこの広隆寺で、このような古式ゆかしい行事が続いているとは興味深い。
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さて、この寺を開いた渡来人秦河勝は、ネストリウス派キリスト教 (景教) を信仰するユダヤ人であったという説がある。これは、私も以前随分いろいろな本を読んだ「日ユ同祖論」(日本人の祖先がユダヤ人であるという説) とも絡んでいるが、学術的には、まあ当たり前といえば当たり前だが、定説にはなっていないようだ。だが、このようなスケールの大きい古代の東西交流の伝説には、何か人々の心に訴える神秘性があると思うのだ。例えば、ここ広隆寺には「牛祭り」という奇妙な祭りが伝わっていて、ここには「摩多羅 (またら) 神」なる謎の神が牛に乗って登場する。私は実際に見たことはないのだが、以前ある雑誌でこの祭りの取材記事が載っていて、この「またら」とはミトラ神 (古代ギリシャにそのルーツを持ち、ゾロアスター教でも信仰された太陽神) ではないかとあった。真偽のほどは分からず、謎ばかりではあるが、このような祭りの情景は確かに日本的ではなく、歴史の深い闇を思わせて、実に神秘的だ。
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実はこの牛祭りが行われるのは、もともと広隆寺の一部であったが、神仏分離後は小さな社となっている大酒 (おおさけ) 神社。我が家はお酒をきらいと言えば嘘になるので、これは奇遇とばかり、通りがかりに、今年 1年 おいしいお酒を飲めるようにお祈りしてきました (笑)。もっとも、大酒とは近年の呼び名で、もともとは「大避」神社で、災厄を避けるという意味であったらしいので、神様も「おいおい、酒のことはオレの担当じゃないよ」とおっしゃるかもしれないなぁ。
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それから、このあたりに残るユダヤ教 / キリスト教的 (?) な不思議な遺物と言えば、なんと言ってもこれだろう。
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これは、蚕の社というところにある三柱の鳥居である。この神社の名称は、秦氏が古代日本に養蚕をもたらしたことに因むものであろうが、正式名称は、木嶋坐天照御魂神社 (このしまにますあまてるみたまじんじゃ) で、その歴史は、実は秦氏よりもさらに古いようである。だがこの地に定着した秦氏はこの神社を信仰したことは間違いないだろう。この三柱鳥居、日本にふたつとない珍しい形態をしており、モノの本にはよく、キリスト教の三位一体を表すなどと書いてある。もちろん真偽のほどは明らかではなく、いつ作られたものであるかも判然としないようだ。ただ、300年ほど前の享保年間に修理された記録があることから、それ以前のものであることは確実であるらしい。この太秦という地ならではの、遠い古代の東西文化交流の名残りに想像力の翼を働かせることのできる、興味深い遺物である。

さて、そこから趣向を変えて、多くの人にとってはよりポピュラーな場所に行くことにした。それは、太秦東映映画村。時代劇のロケでおなじみの、江戸時代の街を再現したセットを、テーマパークとして一般に公開しているものだ。実は、過去 42年に亘る私と太秦とのつきあいであるが、この場所は未だ訪れたことがない。なので今回、ちょっと見てみることとした。広隆寺の裏手を少し歩いて左に曲がると、ほどなくこのような門が見えてくる。但し、入り口はもう少し先である。
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中に入ると、このようなセットが立ち並び、そこを歩くだけで、タイムトリップのようで実に楽しい。
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これはスタジオで、実際に映画撮影をする場合の演出を、ガラス越しに見学することができる。実はこれ、男女 1人ずつの俳優と監督役、そしてスタッフによる寸劇になっていて、音声がマイクを通して観客に聞こえてくる仕組。コミカルな内容で、これは大変におかしく、私などは何度も、屈託なくガハハと声を上げて笑ってしまいました。実に楽しかったですよ。
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ちょうど、おいらん道中というイヴェントがあったので、遊郭のセットの前で見学した。周防ゆうという女優さんだそうだ。なかなかリアルである。
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ほぼ敷地内を一周して、最初に外から見えた大きな門の内側あたりのベンチで休んでいると、あっ、あれはなんだ。
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これは忍者姿の人形が、空中に渡された線の上を、からだを這わせてゆっくり前進しているもの。途中まで進むと一旦停まり、今度は後ろに下がり始めて、また門の中に戻って行く。人形ながら涙ぐましい努力で (?) 動いているのに、見ている人はほとんどおらず、かわいそうなので、まじまじと見つめ、何枚も写真を撮ってしまいました (笑)。いつ果てるともなく続く徒労の姿が、妙にリアル。頑張れ忍者人形!!
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また、この「映画の泉」はなかなかに立派な女神像を持つ。
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このように太秦探訪を終えると、今度はまた嵐電に乗って、本来の目的地である嵐山に向かった。嵐山と言えば、やはり渡月橋。周辺はかなりの混雑だが、この橋はいつ見ても風情がある。この時代に欄干が木でできているし、その姿はまるで平安朝の時代から残っているかのようにすら見える古風なもの。
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それから、お寺でいうと、この地で最初に訪れるべきは、なんと言っても天龍寺。もともと離宮のあった場所を、足利尊氏が 1345年に後醍醐天皇の菩提を弔うために、名僧夢窓疎石を開山として迎えて寺院としたもので、現在では世界遺産に登録されている。
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そのように室町幕府との近い関係があったせいもあり、京都五山の一位としての高い寺格を持つ禅寺である。ここは紅葉の名所としても知られているが、なにしろ夢窓疎石の手になる池泉回遊式庭園が実に素晴らしく、いかに大勢の観光客で賑わっていても、それを鷹揚に迎え入れるだけの広い度量を持つ庭であると、いつも思うのである。
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京都の庭にはいくつかのパターンがあって、例えば有名な竜安寺石庭のような切り詰めた緊張感も素晴らしいが、このように実際に歩いて回れる池泉回遊式の場合には、時々刻々変わり行く庭の姿を敏感に感じることができ、今この瞬間、世界の中にある自分という意識を実感ことができる。例えば上の写真では、池は全く穏やかであり、水の色はそれほどきれいではないのに、実に美しく木々や岩々を映していて、明鏡止水という言葉を思わせる。だが、一旦風がゆるやかにでもそよぎ出すと、こんな情景になる。
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自分がそこに立っている間、ある一瞬のその前の一瞬、あるいはその後の一瞬は、すべて異なる時間なのだという感覚を持つことで、時間の有限性や、時々刻々と変わり行く世界の様相に、はっと気づくことになるのである。現代美術のインスタレーションに多い、この作品はこれこれを表現しているという長い能書きに比べ、何も語らない庭に込められた古来の日本人の感性には、本当に深いものがあると実感する。音こそ聞こえないものの、実に雄弁なのである。

さて天龍寺を辞して、竹林の道に入って歩いて行く。ここは比較的最近整備されたものではないかと思うが、その人通りの賑やかなこと。しかも、聞こえてくるのは近隣の中国・韓国の言葉だけでなく、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語と実に多彩。途中にある野宮神社は源氏物語ゆかりということもあってか、小さな本殿にお参りするにも長蛇の列であった。
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なお、人力車が結構通っていて、特別に人力車だけが走れる道もある。これはこれで、乗ってみればまた情緒があることだろう。
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そして辿り着いた次の目的地は、大河内山荘である。ここも私はこれまで訪れたことがなく、今回楽しみにしていた場所。
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これは、往年の映画スター、大河内傅次郎 (1898 - 1962) の旧宅で、広大な敷地に整備された庭園が公開されている。大河内はもちろん昭和の大スターであるが、この庭園は実に驚きの広さと美しさを持ち、個人でそれを可能にした財力には舌を巻く。園内には英語表記もあるが、ちゃんとした文章にした方がよいとも思う (笑)。
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大河内は敬虔な仏教徒であったらしく、1931年にこの小さな持仏堂を建て、撮影の合間にはここで念仏、瞑想にふけったという。それがこの山荘の庭園造営の出発点になったという。
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そしてこの大乗閣がメインの建物。内部には入れないが、伝統的な書院建築とは異なる独特のかたちをしていて興味深い。この建物と、上で見た持仏堂、それに中門と、茶室である滴水庵が、登録有形文化財である。
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園内の一角に、回廊形式の大河内に関する資料館があり、レトロな丹下左膳のポスターや遺品などを見ることができ、これも興味深い。昭和の大スターが残したこの文化遺産は、この古い嵐山の地にあって、寺院のそれとは異なる独自の価値を持つものだと思う。
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さて、このあたりで既に歩き疲れており、ちょっときつかったが、ここは嵐山。とにかく歩くしかない。ということで、自分たちを鼓舞して、それからもうひと踏ん張りし、あと 4軒の寺院を回ることができた。まず、小倉山常寂光寺。まさにこの地に因んだ名を持つ小倉百人一首の選者、藤原定家の山荘の跡地に 1596年に建立された。関ヶ原の合戦で有名な小早川秀秋が堂塔を寄進しており、多宝塔は重要文化財である。
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続いては、二尊院。ここも山号は小倉山で、釈迦と阿弥陀の二尊を本尊とするのでこの名がある。段差が小さく幅の広い石段に、独特の情緒がある。
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この寺はまた、西行が庵を営んだ場所であり、法然直筆、弟子の親鸞の連署がある「七ヶ條制戒」という重要文化財の文書 (1270年) が展示されている。以下は親鸞の直筆部分。
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最後に、祇王寺と滝口寺という隣り合った 2軒を訪問。
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祇王寺は、平清盛の寵愛を受けた白拍子 (その名の舞の踊り子のことを指すが、実際には遊女であったのだろう)、祇王が清盛に捨てられた哀しみのあまり、母 (刀自)、妹 (祇女) とともにここで出家した寺と言われている。明治時代には一度廃寺になってしまったほど小さい寺であるが、祇王の逸話のせいか、どこか物寂しい情緒があって心に残る。小さな堂内には、鎌倉時代の祇王、祇女の彫像に加え、清盛、刀自、そしてやはり清盛の寵愛を受けた白拍子である仏御前 (いわば祇王のライヴァルだが、やはり清盛に捨てられ、ここで出家したらしい) の彫像が並ぶ。また、境内には祇王、祇女と刀自の墓もある。平家物語の無常観が、この小さな場所に留まっている。
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一方の滝口寺も、やはり平家物語ゆかりの場所。もともとは三宝寺と言ったが、ここも明治時代に一旦廃寺となり、その後復興した際に滝口寺という名前になったらしい。建礼門院のおつきの女官であった横笛に、内裏の警護役の武官であった滝口入道が恋をし、父にいさめられて出家をするという悲恋の話で、高山樗牛が小説を書いている。この横笛については、奈良の法華寺に、滝口入道からの恋文を固めて作ったという、なんとも悲しげな像があるので昔から知っているが、この滝口入道との恋物語は、私はよく知らない。一度高山樗牛を読んでみるのもいいかもしれない。この滝口寺、現在お堂を修復中で、あまりじっくり見るべきものはないが、やはり遠い昔の恋物語という情緒を味わうべき場所であろう。それから、新田義貞の首塚というものがある。彼の次男である新田義興 (多摩川を渡るときに敵の策略で死亡) を祀る新田神社にほど近い場所に住んでいる我々としては、これも何かのご縁と、しっかりお祈りを捧げてきましたよ。
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そうしてまた徒歩で嵐山駅まで帰ってきたのだが、既に日没も近い。再び前を通ることとなった天龍寺の入り口の石柱が、既にシルエットとなっており、寺名を読み取ることすら難しい。こうして京都第 1日目は、多少の疲労を伴う大きな充実感とともに暮れて行ったのであった。
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by yokohama7474 | 2018-02-04 03:43 | 美術・旅行