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京都 その 2 東寺、西山 (願徳寺、勝持寺、乙訓寺、光明寺、十輪寺、善峯寺)、平等院、橋寺、伏見稲荷

年明け早々の京都観光 2日目、2018年 1月 3日の記事である。京都の冬は底冷えがして本当に寒いのであるが、この日は朝は雨で、それはあまり激しくならずにほぼあがったのであるが、時折思い出したように雪が舞う寒い日であった。前日は太秦から嵐山を散策した我々は、2日目の目的地は、直前まで全く計画していなかった。だが、未だ正月 3ヶ日の中である。金閣・銀閣や清水寺のように混雑が明らかなところは候補にならない。しばし思案した挙句、ひとつの大胆な案を思いついた。それは、最初にあまり観光客が多くなくて、私自身もそれほどなじみのない、だが見どころはそれなりにあるエリアを見る。それからかなりの距離を移動して、次なる目的地に向かう。前回の記事に書いた通り、こんなコースは一般にはお薦めしないが (笑)、まあ京都観光のひとつの例としてご紹介したいと思う。それには車が必須ということで、京都駅近くで車を借りたが、ちょっと待て。せっかく京都駅近くから動き始めるのだから、そこからほど近い大好きなお寺に行かない手はないだろう。そう思い立って最初に向かったのは、東寺 (教王護国寺) である。世界遺産に含まれる古刹である。一般の方は、新幹線から見えるこの塔のある寺といえば、お分かりになるだろうか。
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日本に真言密教を伝えた弘法大師空海 (774 - 835) が、嵯峨天皇より土地を下賜されて開いたのがこの寺であり、今日に至るも空海に関連する多くの寺宝を伝える特別な場所。仏像好きにとっては、ここの講堂にある諸仏、すなわち、五如来、五菩薩、五明王と梵天、帝釈天に四天王はまさに必見の仏像群である。これら諸仏は、空海自身の構想による立体曼荼羅を構成していて、ただただ圧巻だ。全 21体のうち 15体が創建当初のもので、すべて国宝。特に異様な形態の五大明王の迫力と、梵天・帝釈天の清新な表現は、対照的でありながら、いずれも日本美のひとつの極致と言ってもよい。
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東寺ではこの講堂 (重要文化財) に加え、金堂 (国宝) も常時拝観でき、そこの薬師三尊も立派である。そして今回、上に写真を掲げた国宝・五重塔の初層を特別公開していた。私は過去に 2度ほど見た記憶があるが、やはり貴重な機会である。そもそもこの五重塔、建立は 1644年、徳川家光の寄進によるもので、建物自体はさほど古いものではないが、総高 55mと、現存する日本で最も高い木造五重塔である点に意味がある。京都駅から近くに聳えたっているため、上記の通り新幹線からよく見えることもあって、京都の象徴、あるいは日本の古寺の象徴と言っても過言ではない存在なのである。塔の内部は撮影禁止であったが、開けられた扉の内側にこのようにうっすらと仏の線刻がなされているのを間近に見ることができて、大変興味深かった。
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この講堂・金堂・五重塔エリアが有料エリアなのであるが、そこから大師堂に向かう途中、食堂 (これは「しょくどう」ではなく「じきどう」と読む) の向かいに小さな堂があるのが目に止まった。これは夜叉神堂で、中にはこのような、破損した鬼神の像が祀られている。
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ああ、思い出した。いつぞやこの東寺の宝物館 (春と秋のみ公開される) で、2体の夜叉神と称する像を見た記憶がある。これはそのうちの 1体に違いない。明らかに相当古い作品 (恐らくは平安時代の作ではないか) であるが、保存状態が悪いせいだろう、文化財指定はない。もともと南大門の左右に安置されていたが、旅人が拝まずに通ると罰を与えたとのことで、別の門に移され、桃山時代以降はこの小さなお堂に祀られているという。今まで何十回となく足を運んでいる東寺であるが、こんなお堂があったとは気づかなかった。私は、極上の美にも当然魅かれるのだが、必ずしも美的には最上でなくとも、このような一種の鬼気迫るパワーを持って現世にその姿をとどめている彫像に、何か特別な存在感を感じるのである。それに免じて夜叉神さん、これまで気づかなかったご無礼をお許し下さい。さて、もうひとつの国宝建造物である大師堂は現在修復中。ここには国宝の弘法大師像があって、そちらは別の場所に移されているが、もうひとつ、大師が日夜信仰していたという、やはり国宝の不動明王像がある。そちらは絶対秘仏で、お堂の修理中も、このように閉ざされた厨子の中におられる。
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尚、この絶対秘仏、写真だけは知られているのだが、これはやはり日本のごく初期の不動明王の造形である講堂のそれに比べても、秘めたる憤怒が、より強い迫力を感じさせる大傑作である。いつの日にか実物に対面させて頂ける日が来ることを祈っております。
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それから東寺にはもう一か所見どころがあって、それは、観智院という塔頭である。真言密教の学問所であったらしく、数々の貴重な文書を所蔵するほか、1605年建立の客殿は国宝に指定されている。興味深いのは、宮本武蔵筆になる鷲の図、それから、唐から請来された異国的な五大虚空蔵菩薩像 (それぞれ別々の動物に乗っている) である。
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さて、このようにこの日の前哨戦 (?)、東寺観光を終えて、一路向かった先は京都市西部、西山と呼ばれる地域である。そう、これこそが、上で述べた、「あまり観光客が多くなくて、私自身もそれほどなじみのない、だが見どころはそれなりにあるエリア」なのである。私がこの地域を選んだのは、20数年ぶりに再会したいと切望した一体の国宝の仏像があるからだ。
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眉目秀麗な尊顔や全体のプロポーションに加え、微細な表現を示す衣の渦を持つこの美しいお姿には、仏像になんのイメージがない人が見ても、必ずや心を動かされるであろう。平安時代前期、いわゆる貞観 (じょうがん) 期を代表する作品のひとつで、私が若い頃は、このように呼ばれていた。「花の寺・勝持寺 (宝菩提院) 菩薩半跏像」。「花の寺」と「勝持寺」が同じ寺を指していることは分かるが、このカッコ書きでついている「宝菩提院」との関係はよく分からなかったし、名称もただの「菩薩」では、観音菩薩の一種なのか、それ以外の菩薩であるのか判然としなかった。それが今、この仏像の標準的な表記は以下の通りである。「願徳寺 如意輪観音半跏像」。今回久しぶりの対面を果たし、その美しさには言葉もないが、数奇な運命を辿った仏さまであることを再度実感することにもなった。この願徳寺にはこのような看板があって、見たところ比較的新しいもの。「菩薩」ではなく「観音」と表記してあるし、そして、わざわざ庭はないと断っているにも若干奇異なのである。
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実際に境内は極めて狭く、この仏像 (と、重要文化財の薬師瑠璃光如来像) を収めた収蔵庫だけがそこにあると言ってもよいくらいである。ちょうど雪がちらついていて、本当に寒い日であった。
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この仏像の由来はどうやらよく分かっていないらしい。名称も、学術的には菩薩としか判明せず、如意輪観音は寺伝によるもの。また、寺の名称は、「宝菩提院 願徳寺」である。この寺は昭和に入って荒廃し、この素晴らしいご本尊は、隣接する勝持寺 (別名「花の寺」) に 1962年に移された。その後本堂や庫裏の再建がなされ、1996年にご本尊は勝持寺からこちらに帰ってきたという経緯なのである。だから私が以前こちらを訪れたときには、願徳寺または宝菩提院というお寺を訪れた記憶はなく、もっぱら、花の寺 = 勝持寺を訪れたものと記憶しているのだ。日本を代表する仏像のひとつであるこの菩薩像には、そのような数奇な運命があった。だが、いかなる経緯であれ、これだけ美しい仏さまは、多くの人々が必死に守ったものであると思う。今日我々がこの奇跡的な美仏と対峙できるのは、命を賭けてこの像を守った人たちがいたおかげなのである。では、この仏さまを以前管理していた花の寺・勝持寺は今どうなっているのだろう。この願徳寺のすぐ奥にその寺はある。
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実は私の記憶の中に、以前ここに菩薩半跏像を拝観に来たときの光景がこびりついている。その日も冬で、やはり雪が舞う大変寒かった日であったのだが、ちょっとした高台からの景色を見ながら、ほかに観光客もいないその場所を支配する静けさに、逆に耳を傾けたことをよく覚えている。京都の冬には、あたかも空気の底に沈黙が張り付いているように思われるときがあって、その場に身を置くと、その沈黙に耳を澄ませている自分に気づく。そう、沈黙に耳を澄ます。その経験を持ったとき、これこそが日本人の美意識のひとつのかたちなのであろうと思ったものだ。例えば武満徹の音楽には、そのような感性の存在を感じることができるし、彼の著作に「音、沈黙と測りあえるほどに」というものがあるのを思い出したのである。
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そう、記憶の底にあるそのような景色は、願徳寺の狭い境内にはなく、この勝持寺にあったのだ。やはり私が以前菩薩像に会ったのは、1996年に願徳寺に戻る前であったのだ。ただ、この勝持寺には今でも見るべきものが沢山ある。瑠璃光殿という名前の宝物館には、本尊の薬師如来像やその胎内仏、金剛力士像が重要文化財であるし、十二神将像も立派なものだ。これがご本尊の薬師如来坐像。薬壺から薬をつまみ出す珍しいお姿であり、これはこれで、なかなか美しい鎌倉仏だ。
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そしてこの寺はまた、鳥羽上皇に仕えていた北面の武士、土佐藤兵衛義清が出家した寺でもある。彼は出家後、西行と名乗った。寺には西行桜もあれば、西行が剃髪の際に鏡代わりに使ったと言われる「鏡石」もある。
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やはり歴史の物語に彩られた場所で、空気の底に張り付く沈黙に耳を澄ませることで、遠く過ぎ去った時の彼方に思いを馳せるのは、特別な経験だ。但し、この勝持寺の本堂の中、本尊の厨子が空になっているのを見て淋しい気になったのは事実。かつてはそこに、本尊薬師如来が収まり、同じ堂内にはその後願徳寺に移った菩薩半跏像がおわしたはず。このような時の移り変わりは、1000年以上の時を乗り越えてきた寺にとっては些細なことかもしれないが、有限の生を生きる人間の営みの儚さを感じざるを得ない。

さて、この 2寺のあと、この西山の地で、4軒のお寺を回ることとした。いずれも私にとっては今回が初めての訪問だ。まずは乙訓寺 (おとくにでら)。
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このあたりの現在の地名は長岡京市。長岡京は、桓武天皇が平城京から遷都した先で、平安京に移るまでの 10年間 (784年から 794年) という短い間の都であった。かなりの規模の都であったようだが、何分にもその跡地には何もないので、往時を偲ぶことは難しいのではないか。だが、この地域には由緒正しい古刹がいくつもあって、この乙訓寺もそのひとつ。但し現在は、あまり見るものは多くない。そんな中、毘沙門堂に祀られているこの毘沙門天像は平安時代の作品で、小ぶりながら重要文化財に指定された優品だ。
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次に訪れたのは光明寺。ここはかなり規模の大きな寺である。
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それもそのはず。法然が 1175年に初めて説教をした場所であり、またその遺骸を荼毘に付したという、浄土宗にとっては神聖な土地なのである。寺名の光明寺とは、法然の石棺が光を放ったという伝説によっているという。しかも、私は今回初めて知ったのだが、平家物語で有名な熊谷直実 (我が子を思い出しての葛藤の末、平清盛の甥、若い敦盛の首を取った武将) が出家して法然の弟子となり、蓮生と名乗ってこの地に寺を開いたといういわれであるらしい。広い境内は非常に気持ちがよく、私たちが訪れたときはほとんど人の姿もなくて、これは穴場かと思ったが、紅葉の季節には観光客でごった返すようだ。世の中そうそう甘くない (笑)。
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それから、十輪寺へ。ここにも歴史上の有名人物の伝説がある。それはあの平安時代の歌人、在原業平 (825 - 880) である。彼は晩年ここに隠棲し、塩焼きの風流を楽しんだという。
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このお寺、上の写真のように門を閉ざしていて、拝観客はベルを鳴らした上で、横手の小さな扉から中に入るようになっている。境内でも撮影禁止その他、厳しいご指導に従うことが求められている。ええっと、曲線をうまく使ったこの本堂のかたちが珍しかったので写真に撮りましたが、まさかご指導に違反していませんよね (笑)。
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境内の裏山に業平の墓、及び復元された塩竃がある。さすがに古い時代のことで、どこまで史実であるかはなかなか明確に判明しないだろうが、あの美男で鳴らした業平が、都の外れで隠棲していたとは面白い。なんでも、思い人であった藤原高子 (こうし、清和天皇の女御) が近くの大原野神社に詣でた際に、ここから煙を上げて思いを託したという。ロマンティックではありますな。
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そうそう、この十輪寺、JR の「そうだ、京都、行こう」のポスターのひとつでも使われたことがある。こんな見事な桜が咲くのですな。その名も、なりひら桜というそうだ。
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そして、西山で最後に訪れたのは、善峯寺 (よしみねでら)。この寺の名前は以前から知っていて、それは西国三十三か所の第二十番札所だからであるが、現地を訪れるのは今回は初めて。さすが西国の札所、駐車場も大きいし、それなりに賑わっている。
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ここも堂内で見るものはさほどあるわけではないが、重要文化財の多宝塔は見事だし、天然記念物に指定されている全長 37m の「遊龍の松」があったり、桂昌院 (5代将軍綱吉の生母) お手植えの桜があったりする。
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さて、このように西山観光を一通り終えて、既に午後も遅めの時刻に入っている。残りの時間をいかに有効活用しようか。ここで私のいたずら心が動き出した。ひそかに実行を試みたいと思っていた案がある。その案を採用し、そして向かった先は・・・なんと、平等院だ!! 京都の地理に詳しい方なら、こんな無謀な案には呆れてしまうことだろう。なぜなら、西山は京都の中心部から見れば文字通り西側。それに対して平等院のある宇治は、かなり南の方である。西山から宇治に向かうなんて、時間がかかりすぎるだろう。いや、そんなことはないのだ。京都縦貫自動車道という高速をひとっ走りすれば。地図をまじまじと見て、これは行けると私は確信した。なぜならば、平等院も世界遺産。もちろん多くの観光客でごった返しているはずだが、既に閉館時刻も近づいてきていて、今から行けば駐車場も空いているだろう。・・・その思惑はぴたりとはまり、恐らく昼間は満員であったであろう駐車場にも少し空きがあり、スムーズに平等院に到着した。もちろん私にとっては幼少期からなじみの場所だが、最近はかなりご無沙汰で、境内が整備されて新たに宝物館ができた頃から行ったことがない。今調べてみると、新たな宝物館、鳳翔館は 2001年の開館。実に 17年間は足を運んでいなかったことになる。懐かしい平等院であったが、ただひとつ、残念であったことは、鳳凰堂の中には入れなかったこと。以前は無制限に入ることができたが、今は人数制限を設けて、その日の予定人員に達すると受付を終了してしまう。これは残念だが致し方ない。全体として、一種のテーマパーク風になってしまったような印象は否めないが、それは誰でも楽しめる場所になったということであり、改めて思うには、ここはやはり奇跡の場所なのである。雲がかかったり晴れ間が出たりして、さながら天からの照明による演出のようだ。こんなに美しい建物が 1000年近く前にでき、それが今日まで残ったことは、本当に奇跡なのである。
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この鳳凰は、今では複製に取り換えられ、オリジナルは鳳翔館に展示されているが、この金色の姿は本当に美しい。ただ、私の隣の親子連れが、「ほらほら見て、しゃちほこだよ!!」と叫んでいたのはいかがなものかと思った (笑)。うーん、いかに誰でも楽しめる場所になったとはいえ、鳳凰堂という名前のいわれくらいは、どこかで説明を見て欲しかったものである。
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さて、そのモダンに生まれ変わった宝物館、鳳翔館では、やはりその鳳凰や、日本三名鐘のひとつである創建期の梵鐘、そしてなんといっても、雲中供養菩薩のうち半数ほどを間近でじっくり見ることができるのが嬉しい。
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さて、貪欲な私は、まだもう 1軒、出掛ける時間があると判断した。通常ならば、平等院と黄檗山萬福寺がセットになる宇治観光であるが、ちょっと萬福寺を見ている時間はない。であれば、宇治川のほとりにある橋寺放生院 (はしでらほうしょういん) にしよう。ここは昔、宇治橋を管理していた寺で、7世紀に作られた、日本最古の石碑のひとつ、重要文化財の宇治橋断碑がある。宇治は古代より、近江と飛鳥を結ぶ重要な場所であり、それゆえ宇治橋の重要性も高かったのであろう。だが、久しぶりに行ってみると、宇治橋断碑は冬の間は拝観できないのであった。
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さあ、これでいよいよ日暮れが近づいてきた。普通の人なら、ここで観光打ち切りであろう。だが私はちょっと違っていて、最初からの目論見がまだ残っていた。つまり、宇治からどのみち京都中心部に戻るに際して、通りかかる場所があり、そこならば、寺院のように 16時半や 17時に拝観時間が終了することはないのだ。そして、たまたま家人がその場所に興味を持っている。その場所とは、伏見稲荷である。全国でも有数の初詣スポットだが、さすがに 1月 3日の日暮れ時ともなると、そろそろ人も減ってきている頃だろう。そう思って現地に辿り着くと、車は近くまで入ることはできず、数百 m は徒歩となったが、特に混乱はない。しかも、道を歩くときに常に面白いものを探している私の目に、小さなお堂が見えてきた。覗いてみると、こんなお地蔵様が。
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このお堂は摂取院というお寺らしく、これは安産にご利益ありとされる、通称「腹帯地蔵尊」。仏像好きの私はピンと来て、このふくよかなご尊顔を拝しながら、これは結構古いものだろうと思ったら、案の定、そこに置いてあったパンフレットによると、従来は江戸時代の作かと思われていたところ、最近の調査で、平安時代末期のものと判明したとある。このような思わぬ出会いは嬉しいもの。また伏見稲荷に詣でることがあれば、必ず再会したい地蔵さまである。

さて、最終目的地である伏見稲荷に到着。やはりまだまだ大変な人である。正月にこのような賑やかな神社に出掛けるのは、込み具合の程度問題ではあるが、何かウキウキするような気がするものだ。
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本殿でちょっと奮発して多めの賽銭を投げ入れようとしたところ、手元が狂って、あろうことか、巨大な賽銭箱のヘリに当たって、跳ね返ってしまった (笑)。うーん、今年も金運はダメか・・・。まあでも、このくらいの規模の神社になると、賽銭箱の下に布が敷き詰めてあって、私と同じように賽銭箱に嫌われた人々の浄財も、追って集められ、神様に奉納されるであろう。ドンマイドンマイ。そして、境内奥に進み、最近外国人にも大人気スポットになっている千本鳥居へ。
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このように延々と鳥居が続いていて圧巻なのであるが、それぞれの鳥居の裏には寄進者名が記されている。気になって最初の鳥居の裏を見ると、この会社でした。なるほど (笑)。
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さぁ、それから、様々な国の言語を耳にしながら、一通り回ってきたのだが、最初は大きいサイズであった鳥居は、少し進むと小型のものに変わり、かなり狭い中を通り抜けることになる。寄進の年月を見ると、意外と最近のものもあり、また、立っている順番が寄進の順番と一致していないので、さて、どのように維持管理しているのであろうか。
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と、以上が今回の京都旅行の 2日目のレポートである。本当に京都には未だ知らないことが数々あって、何度行っても発見があるのである。実は今回、宇治に行ったときに、何十年の記憶のゴミの奥底から、何かが聞こえるような気がした。そして私はその声が非常に気になっていたのだが、この旅行のあと立ち寄った実家で、何の気なしに昔買った寺の本を見ていて、突然思い出したことがあった。それは、少年の頃、平等院や橋寺放生院を訪れたあと、多分バスに乗って向かった場所。古い本でその名称を思い出した私は、早速ネットでその場所について調べてみると、意外なことが判明した。これらは、いずれその地を訪れた際に (平等院鳳凰堂の内部も拝観しないといけないし、萬福寺も再訪しなければいけないし、あるいは伏見にも、若冲が晩年を過ごした石峰寺もあるし) 記事を書くこととしたい。人の記憶はあてにならないものだが、時に、点と点が思わぬ具合で線になることもある。そういう経験は、歴史的な場所を何度も訪れることで、より深くなって行くものと思うので、私は歴史探訪の旅をやめられないのである。

by yokohama7474 | 2018-02-04 23:54 | 美術・旅行