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京都 その 3 無鄰菴、南禅寺 (金地院、本坊、南禅院、天授庵)

年初の京都旅行 3日目、2018年 1月 4日についての記事である。この日は午後には京都を離れる必要があり、半日のみの観光となった。さて、京都駅からそれほど遠くない場所で、半日を過ごすとすると、どこがよいだろう。前の記事にも書いたが、大混雑の人気寺院は避けたい。かと言って、見ごたえのない寺をいくつも巡るのも気が進まない。そんな私の脳裏に浮かんだひとつの寺院がある。それは、東山に位置する南禅寺。京都五山の上位、別格という寺格を持つ、京都有数の禅寺である。ここなら広すぎず、また塔頭もいくつかあって、半日観光にはもってこいだろう。そう思って京都駅から地下鉄に乗り、東山駅で降りて岡崎公園の横を通っていると、またまた閃いた。そうそう、南禅寺に着く前にもう 1軒、素晴らしいところがあるではないか。このように塀を巡らせた場所。
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これは、長州出身の明治の元勲、陸軍大臣山縣有朋 (1838 - 1924) の別荘で、無鄰菴 (むりんあん) と呼ばれる場所。1894年から 1896年にかけて造営されたもので、現在では国の名勝に指定されている。
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私はここを訪れるのは 2度目であるが、激動の時代を生きた山縣の心を鎮めるように作られているのだろうか、なんとも穏やかな気分になる素晴らしい場所なので、再訪したいと思ったもの。入り口を入るとすぐ、このような庭の眺めが目に入る。この近代の庭園が禅寺の庭と異なるのは、その地面のフラットさと、芝生の場所でも人為をあまり感じさせない自然な佇まいである。
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上に見える通り、ここではあたかも自然の小川のような水の流れがあって心地よいが、実はそれは琵琶湖疎水の水を引いたもの。この庭園に刺激を受けて、この界隈には様々な別荘が立ち並ぶこととなった。これらの別荘はこの無鄰菴以外は一般に公開されていないのであまり知られていないようだが、私は以前 NHK BS で放送していた特集を見たことがある。京都という古の都が、首都としての地位を東京に移したあとで、この地に新たに造営された建築・庭園群であり、近世の権力者たちに守られてきた寺院とは異なる、近代富裕層が持つ生命力と、所有主の心情までが感じられる場所であると思う。この無鄰菴の庭を散策することで、そのような近代の清新さを実感できて清々しい。敷地内には日本家屋の母屋に加え、洋館が建っている。1898年にできたもので、これが入り口。蔵のようである。
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2階に上がると、洋室にこのような逞しい松の壁画があって、その和洋折衷ぶりが、明治という時代を思わせる。この壁画は江戸時代初期の狩野派の絵師によるものとのことだから、どこかから移してきたものだろう。この部屋で 1903年 4月30日、山縣に伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の 4人によって、日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれたとのこと。歴史的な場所なのだ。
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天井画も見事であり、別の部屋では山縣の遺品も見ることができる。
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今年は明治維新 150周年。明治という時代について再度考えてみる機会が多そうであるが、私も最近そのあたりについて書かれたユニークな本を読んだので、その感想は追って記事にするが、いずれにせよ、日本がドラマティックに動いていたその当時、元老のひとりたる山縣が、このように情緒豊かな別荘を持っていたとは、思えば豊かな時代であったものだ。

さて、それからメインの南禅寺に向かった。
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参道を歩き、南禅寺の境内に入る前に右手を見ると、そこには塔頭の金地院 (こんちいん)。まずここから拝観してみよう。
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ここには小堀遠州の手になる八窓席という茶室や、長谷川等伯の「猿猴捉月図」などの重要文化財があるが、日に何度かの時間を区切っての特別公開であり、今回は時間が合わずに断念。境内と庭園の散策だけとした。
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ここに意外なものがある。この唐門である。これは明智門という。つまりは明智光秀に因むものであろう。むむ。この金地院には、「黒衣の宰相」などと呼ばれ、江戸時代初期に大きな権力を持って幕藩体制の基礎を築くのに貢献のあった僧、あの崇伝がいたことは歴史の常識。つまりは徳川家とかなり近い関係の寺である。そこに明智光秀を記念するような門があるとは、やはり、本能寺の変の黒幕は徳川家康であったという説を裏付けるものか??? 歴史の綾を思わせる、怪しい光と影の饗宴。
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・・・と思ったら、実はこの門は明治時代に大徳寺から移転されたもの。徳川が光秀を偲んで建てさせたものではなく、光秀自身が母の菩提のために建立したものという。ちょっと話を面白くしすぎましたな (笑)。気を取り直して進んで行くと、ここでも明らかに徳川幕府との近さを思わせる建造物がある。それは東照宮。言うまでもなく、徳川家康をご神体として祀る社殿である。
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崇伝が家康の遺言によって、その髪と念持仏を祀るために 1628年に建立したもので、重要文化財。華美なものではなく、その黒い色合いはむしろ地味だが、掛仏や透かし彫りの彫刻は手が込んでいる。もちろん葵の紋も見える。この古色は、私には好ましいものと見えた。
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さて、この寺は方丈も重要文化財であるが、その前に広がる枯山水の庭園は、鶴亀の庭と呼ばれ、あの小堀遠州によって 1632年に造営されたもの。遠州の手になる庭園と言われるものは数多くあるが、これは唯一文献によってそれが確実視されるもので、特別名勝に指定されている。非常にすっきりとした庭で、心が清らかになるようだ。
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さてそれでは、金地院を辞して、南禅寺の境内に入って行こう。眼前に聳える巨大な門は、1628年建立の三門 (重要文化財)。もちろん、歌舞伎の中で石川五右衛門が昇って「絶景かな絶景かな」という言葉を発する、あの門である。実際にこの三門には昇ることができ、その絶景を誰でも楽しむことができる。
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この三門の前には、非常に大きな石灯籠があって、目に付く。この灯籠は高さ 6mと日本有数。調べてみると寄進者は、佐久間勝之という武将。彼は関ヶ原の戦いや大坂夏の陣で活躍し、信濃長沼藩の初代藩主になった人であるとのこと。面白いことに、この南禅寺以外にも、上野東照宮や熱田神宮にも巨大灯籠を寄進しているらしい。
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禅寺において講堂の役割を果たす法堂 (はっとう) は、明治時代に再建されたもので、古くはないが、非常に立派な建物。天井には鳴き龍がある。
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本坊から入り、国宝に指定された大方丈・小方丈 (狩野派の手になる障壁画は、保存のために順次複製に入れ替え中)、虎の子渡しのその庭園を見て、さらにはその奥に回廊でつながる比較的新しい箇所を歩くことができ、最高の寺格を持つ南禅寺の落ち着いた佇まいを満喫することができる。
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また、南禅寺境内の情景のひとつとして有名なものは、これである。
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このローマの水道橋を模した施設は、水路閣と呼ばれ、首都機能を失った明治時代の京都で設計・建設された、琵琶湖から水を引く、いわゆる琵琶湖疎水の遺構である。古寺の境内をこのレンガ作りの建造物が通っているのは一見ミスマッチだが、実はその場に身を置いてみると、かなり情緒を感じることができて、私は好きである。この水路閣を通り抜けると、そこには南禅院という塔頭がある。実はこの場所は、南禅寺のルーツなのである。もともと亀山上皇 (1249 - 1305) の離宮であった。境内にはその亀山天皇/上皇の分骨所もあって、堅く扉は閉ざされ、宮内庁管轄となっている。ここの庭は、洗練された禅寺のそれとは趣きが異なり、かなりワイルド。この日もかなり寒かったが、このように決して華やかでない場所を冬に訪れても、そこは京都。風情は抜群なのである。
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そして最後に訪れたのは、やはり南禅寺の塔頭で、天授庵。ここには、南禅寺開山、大明国師無関普門を祀っている。現在の建物は細川幽斎の寄進になるもので、幽斎の墓もここにある。また、32面に及ぶ本堂の襖絵は長谷川等伯の手になる重要文化財だが、残念ながら非公開。ここでも池の水は冷たそうで、静かな水面の下で鯉たちが動きを停めているのが、興味深かった。生き物はこうしてじっと春を待つ。そして春は必ずまた、巡りくるのである。
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このように無鄰菴から南禅寺とその塔頭を巡り歩くと、さすがに空腹を覚えた。寒いこともあり、これは昼食は南禅寺名物の湯豆腐だろうと思い、何軒か湯豆腐屋を覗いてみたが、いずれも満席。ここは潔く京都駅に向かうこととした。帰りがけに見えたこれは、南禅寺の門前を通っている蹴上インクライン。
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琵琶湖疎水の用途のひとつは舟の輸送であったが、落差の大きい場所では、台車に舟を乗せて鉄道で動かした。この線路はそのためのもの。これは 1940年頃の写真である。
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このインクラインは戦後利用が減り、1948年に運行停止。一旦は線路も廃棄されたものの、産業遺産として残すためにその後復元され、1977年に完成した。京都は古い街で、幾星霜の間に様々なことが起こったが、その一方、現代に至るも大都会でもある。このような近代の産業遺産は、上記の水路閣もそうだが、既にそのような古都京都の中の、ひとつの情緒ある風景になっている。歴史とは、常に流れて行くものであり、今日も、明日になれば既に歴史。その明日も、明後日になればやはり歴史。その歴史の流れの中で、変わるもの、変わらないもの、様々であるが、ここ京都にやって来ると、その変わるものと変わらないものとの共存に、いつも心打たれるのである。ただ、今度はもうちょっと暖かくなってから、散策することとしたい (笑)。以上で年初の 3日間の京都滞在のレポートは終了である。

by yokohama7474 | 2018-02-06 00:50 | 美術・旅行