川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
by Crop Stock
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> 吉村さん 音楽の楽..
by yokohama7474 at 22:03
> マッキーさん 貴重..
by yokohama7474 at 22:01
今晩は、イワン雷帝聴きに..
by 吉村 at 18:43
あなたがザンデルリンクと..
by マッキー at 07:11
> katoさん コメ..
by yokohama7474 at 22:28
昨日、NHKで演奏を聞い..
by kato at 09:06
> カギコメさん いつ..
by yokohama7474 at 23:11
> Dear M. L...
by yokohama7474 at 23:08
yokohama747-..
by M. L. Liu at 13:02
> 吉村さん ご賛同あ..
by yokohama7474 at 23:33
メモ帳

没後 70年 北野恒富展 千葉市美術館

e0345320_23023747.jpg
これは、昨年の 11月から 12月にかけての約 1ヶ月半、千葉市美術館で開かれた展覧会である。千葉の前には大阪と島根を巡回しているが、千葉が最後で、既に今日では見ることができない。このブログでは過去にも同様のケースが結構あって、せっかく記事を読んで頂く方の中には、終わった展覧会の記事なんて意味がないよとお怒りの向きもあるかもしれない。それについては一言もないのであるが、ただ、その展覧会の内容が興味深いものである場合には、展覧会というよりもその画家の画業について紹介するようなことになり、長い目で見れば、それはそれで意味のないことではないとも思うのである。この記事も、願わくばこの画家についてのより深い理解につながればよいと思う次第。というわけで、今回の主人公は日本画家、北野恒富 (きたの つねとみ 1880 - 1947)。昨年が没後 70年であったわけだ。
e0345320_23173916.jpg
私も今回彼の作品をまとめて鑑賞して、その画業の全体像に初めてイメージができたのであるが、いくつかの作品には見覚えがある。上のポスターにある通り、「画壇の悪魔派」と呼ばれた画家とのことで、その怪しい表現にはなかなかに期待できるものがありそうだ。実は昨年 12月22日の記事で、京都で見た岡本神草 (1894 - 1933) の展覧会について書いたが、その記事の最後の方に、この北野の展覧会を最近見たと私は書いた。北野は岡本より 14年早く生まれ、そして奇しくも 14年長く生きたので、ちょうど岡本の生涯をすっぽりと包む時期に生きた人であるが、やはり大正時代の怪しい美人画を描いたという点では、岡本と共通する画風もあると言ってもよいだろう。だが、岡本が結局、画家としての本当の高みに昇り詰める前に生涯を終えてしまったように思えるのに対して、この北野は、モダニズムの時代から戦争に入って行く日本の空気を、その作品に刻み付けるという業績を果たした人であると言ってもよいように思う。

北野は金沢に生まれたが、17歳で画家を志して大阪に出て、大阪画壇の中心として活躍した人である。大阪は戦前までは文化的には東京を凌ぐほどの勢いとオリジナリティーを誇っていた都市だけに、どのような作品を描いたのか、見て行くのが楽しみだ。これは 1907年頃の作「燕子花」。浮世絵風でもありながら、早くもモダニズムの萌芽を感じられるように思われる。
e0345320_23374746.jpg
これも同じ頃の「六歌仙」。ここには漫画的と言えるタッチが見られて面白い。奥でこちらを向いているのは僧正遍照であろうか。その顔の描き方は全く写実的ではなく、その成分は下 1/3 に集まっている。また、彼以外の 5人は、これまたありえないくらい、左の方にごちゃっと連なって描かれている (笑)。
e0345320_22052470.jpg
上に書いた通り、北野の生きた時代は、モダニズムから戦争に入って行くという、様々な意味で激動の時代であったのだが、彼の活動分野は伝統的な日本画だけでなく、あとで見るように、ポスターや新聞の挿絵、単行本の装丁にも及んでいる。この「浴後」(1912年作、京都市美術館) という作品は、アールヌーヴォー的な雰囲気を持ち、洋画を思わせる筆致である。実は女性のポーズはかなりしどけないのだが、陰湿なものを感じさせない仕上がりだ。この画家のメンタリティとテクニックは、双方ともこの時代においてかなりユニークかつ高度なものであったのではないだろうか。
e0345320_22113012.jpg
さて次は、この画家が悪魔派と呼ばれたことを思い出させるものである。1913年頃作の「道行」(福武太郎コレクション)。
e0345320_22195874.jpg
細部を見てみると、向かって右の方には、まさに男女の道行の様子が描かれ、左の方には二羽の烏が向かい合っており、そして奥にもう一羽、シルエットの烏が見える。
この作品の題材は、いかにも大阪らしい、近松の「心中天の網島」であるらしいが、既に一足早く死の国に足を踏み入れたような無表情の男女 (遊女小春と紙屋治兵衛) と対照的に、くわっと口を開け、翼を広げた烏の生命力が返って不気味である。地の金に黒を混ぜてあるらしく、華麗さを抑えて耽美的な恋人たちの心情をよく表現している。あ、それから、私が以前岡本神草展の記事でお薦めした「あやしい美人画」という本をお持ちの方は、表紙に出ている 3人の女性像のうち左端がこの女性であることにお気づきになるであろう。
e0345320_22282928.jpg
e0345320_22284046.jpg
なお、この「道行」は、文展 (文部省美術展覧会、今の日展の前身) という官立の公募展覧会に落選したらしい。大正時代初期の日本において、このまさにあやしい男女を公衆の面前にさらすことには、日本政府の許可が出なかったということであろう。北野はその落選に不満を抱き、日本美術院の再興 (岡倉天心の遺志を継ぐ動き) に参画した。これはその際に描かれた「鏡の前」(1915年作、滋賀県立近代美術館)。芸妓のはっきりした顔立ちの近代性と、着物にあしわられた仏教的な飛天の図柄が対照的で、北野の冴えた感覚をよく伝えている。
e0345320_22392125.jpg
これは 1914年作の「願いの糸」(木下美術館)。七夕の情景であるようだ。恋の願いだろうか、繊細な指先で針に糸を通す若い女性の姿だが、おしろいに顔の表情の細部を塗りつぶされているにも関わらず、その一心不乱さが、いやみなく伝わってくる。左に描かれた桶にも何やら葉が浮かんでいたり、着物が反射しているようでもあって、細やかな描写が素晴らしい。
e0345320_22475556.jpg
これは 1917年作の「風」(広島県立美術館)。その名の通り、さっと吹き過ぎる風を、一人の女性の姿勢を通して描いているが、黒い頭巾をかぶって髪を見せていない女性の、だが白いふくらはぎがはだけてしまっている様子がなまめかしいが、その表現は決して下劣ではない。上方一流の品格を感じると言ってもよいように思う。それにしても、しばし見とれてしまうような、実に見事な作品だ。
e0345320_22502922.jpg
これは大正前期の「仙人」(耕三寺博物館)。水墨画であり、上で見てきた美人画の数々とはちょっと趣きが違っていて、衣の線などぐいっと力強く引かれている。だが、髪留めに置かれた青に注目しよう。白と黒と青の組み合わせは、上の「風」で使われた色に近いものがあることに気づく (「風」にはそこに、帯の控えめな赤が加わるが)。
e0345320_23031660.jpg
これは、展覧会のポスターにも使われていた「墨染」(大正後期作)。歌舞伎「積恋雪関扉 (つもるこいゆきのせきのと)」に登場する桜の精霊を描いているらしい。咲き誇る満開の桜ではなく、垂れ下がるしだれ桜の枝の先に、首をうなだれて登場した異界の者であるが、よく見るとここでも、ほとんどモノトーンの中に青い髪留めが印象的だ。
e0345320_23112801.jpg
かと思うとやはり、上で見た「鏡の前」のような赤と黒の対比も、北野の作品のひとつのパターンなのであろう。これは大正後期作の「舞妓」。髪の黒といい、髪飾りや襟の鮮やかな赤といい、目立つ部分をベタッと塗っているのに対して、衣のひだや指先には繊細な表情があり、全体のバランスは大変美しい。
e0345320_23173983.jpg
これは少し悪魔性が前面に出た感のある「淀君」(1920年頃作、大阪新美術館建設準備室)。醍醐の花見における淀君を描いているが、桜の花びらがスローモーションのように舞い落ちる静謐な画調の中で、よく見ると右手がかなり大きくて長い。
e0345320_23214174.jpg
突飛な連想だが、これはポーランド、クラクフにあるチャストリスキ美術館が所蔵するダ・ヴィンチの「白貂 (しろてん) を抱く貴婦人」に似ていないだろうか。この作品、ダ・ヴィンチの完成作としてはさほど知名度は高くないかもしれないが、私は、日本にやってきたときに実物を見て、大変感動したのを鮮烈に覚えている。もちろん、ここで北野の作品との共通点や相違点を考えることにあまり意味はないかもしれないが、優れた画家の資質のひとつに、構図上の必然性があれば、写実性から離れることも厭わない、という点を挙げてもよいのではないかと思うので、あえてここで触れた次第。

北野の作品に戻ると、これは 1920年作のやはり同じ「淀君」(耕三寺博物館)。今度は栄光の絶頂での醍醐の花見ではなく、大坂城落城の壮絶な情景である。上の作品と、同じようなポーズを取り、同じような方向を向いていて、同じような桐のご紋入りの着物を着ているが、顔はやつれ、目はうつろで、迫りくる炎の中、まさに壮絶な最期を遂げようとするシーンである。ただ、右腕のインパクトは、花見の作品に比べるとおとなしくなっている。これも全体の中でのバランスであろう。
e0345320_23324030.jpg
北野恒富の作品は、このように悪魔的な感覚をたたえたものでも、決して下品にならないことが美点であろうが、逆に、美しい画面から、ちょっと不思議な感覚を覚えるものもある。例えばこの「蓮池 (朝)」(1927年作、耕三寺博物館)。いわゆる二曲一双、つまりはふたつに分かれて、それぞれが真ん中で折れ曲がる形態だが、洋髪・和服の 2人の女性たちが、巨大な蓮の花が浮かんだ池を舟に乗って進みながら、それぞれ別の方向を見ている。そこに会話はなく、なんとも奇異に映る。特に後ろ姿の青い着物の女性は、この世の者ではないかのようだ。
e0345320_23321366.jpg
e0345320_23511181.jpg
後ろ姿の女性といえば、この作品は別の意味で、大変情緒がある。1928年作の「宵宮の雨」(大阪市立美術館)。祭りに出掛ける準備の途中で雨に降られ、残念そうに外を見やる少女と、姐さんたち。よく見ると少女は爪先立ちであり、本当に残念がる気持ちが巧みに表現されているのである。
e0345320_23542508.jpg
北野のよいところは、このような情緒と、いやみにならないユーモアの、ほどよいバランスであろう。これは大正末期から昭和初期の作、「奴」。類似の作品が結構残っているらしいが、ささっと筆を走らせて軽妙に描いたヤッコさんの姿は、見る者の笑いを誘う。
e0345320_23575816.jpg
さてこの展覧会では、上の作品以外にも、昭和に入ってからの北野の大作をいくつか見ることができるが、私の印象では、その頃になると、大正期の悪魔性は若干影を潜めて、柔らかい情緒が感じられるものが増えたように思う。戦争に入って行く荒んだ時代の雰囲気とは対照的だ。これは 1936年作の「いとさんこいさん」(京都市美術館)。もちろん、近代の上流関西弁で、お嬢さん、それから末娘を意味するこれらの言葉は、現代の我々にとっても、谷崎潤一郎の「細雪」によっておなじみであり、この作品の世界感が「細雪」と共通することは、これまでも指摘されてきた由。そう言えば谷崎は、戦争が激しくなる時代にこの優雅で人間的な作品を書き綴り、戦後に完成させている。若き日の作品の悪魔性といい、このような戦争への距離といい、北野と谷崎には、共通する部分がありはしまいか。それにしてもこれは、見ていて心が安らぐ絵ではないか。
e0345320_00061079.jpg

e0345320_00132642.jpg

e0345320_00141020.jpg

実際北野は、谷崎作品の新聞連載 (「乱菊物語」) や、単行本 (「蘆刈」) への挿絵を手掛けている。北野は谷崎よりも 6歳上で、ふたりは同世代である。彼らの間に親交があったのか否か知らなかったが、調べてみると、なんとなんと北野は、のちに谷崎のミューズとなり生涯の伴侶となる松子が若い頃、絵を教えていたという。その松子が最初の結婚をした相手、繊維問屋の根津清太郎は、実は北野のパトロンであったらしく、つまりは北野が根津と松子の間を取り持ったということのようだ。その後、松子が根津と離婚し、谷崎と同居を始めたのは 1934年。なるほど。そうすると、上に掲げた北野の「いとさんこいさん」は、比喩ではなく実際に、「細雪」の着想と同じところに根があるのだろう。実は谷崎は松子との結婚に先立つ 1932年、「盲目物語」において、北野の「茶々殿」という作品を口絵に使用することを強く希望し、叶えられたという。この「茶々殿」、モデルは松子であるそうだ。つまり北野にとっては絵の生徒である。実に面白い、谷崎と北野の関係であったのだ。
e0345320_00370080.jpg
谷崎について語り出すと止まらなくなってしまうので、このあたりで北野作品に戻り、この記事を〆ることとしよう。若い頃から悪魔性とともに巧まぬユーモアのセンスを持っていた北野はまた、上記のような挿絵や、ポスターなどでも大いに活躍した。これは 1917 - 18年頃の「新浮世絵美人合」から「三月 口紅」。江戸時代の浮世絵に倣ったシリーズもので、各月を題材とした 12枚もののうちの 1枚。ここにはやはり、浮世絵師ではなく、モダニストの北野の顔が見える。
e0345320_00385446.jpg
そしてこれらは、かなり気合の入った本格的なポスター。1913年のサクラビールと、1916年のたかしまや飯田呉服店である。後者は見てそのまま、現在の高島屋であるが、前者は調べてみると、サッポロビールの前身であるようだ。このような芸術家を起用する企業には、財力もあれば先見性もあって、企業の息も長いということだろうか (笑)。
e0345320_00475790.jpg
e0345320_00485969.jpg
それから最後に、やはり高島屋のポスターの原画 (1929年作) をご紹介しよう。なんとこれ、左の乳房を露出していて、ビックリするのである。未だ日中戦争は始まっておらず、大正モダニズムの雰囲気が色濃く残っていたという時代背景によるのであろうか。原画なのでここにはないが、実際のポスターには与謝野晶子の「香くはしき近代の詩の面影を装ひとせん明眸のため」という歌があしらわれていたらしい。この「明眸 (めいぼう)」とは、澄んだ瞳のこと。つまり晶子の歌は、たとえ 1枚の着物だけの状態であっても、かぐわしい近代の詩の面影を身に纏えば、それによって新たな世界が見えてくる、と言いたかったのだろう。なんとも美的であり、メッセージ性に富んだポスターであったのか。
e0345320_00520902.jpg
このように、時代の空気を作り出し、また時代の要請を自らの創作活動に取り組んだ、北野恒富というほとんど未知の画家の、ユニークな画業を辿ることのできる貴重な展覧会であった。今度彼の大規模な回顧展が開かれるのはいつのことかは分からないが、せめて上でご紹介したような画家の特性さえイメージにあれば、また何かの機会に、この画家の作品と思わぬ遭遇があるかもしれない。時代と芸術がともに進んでいた幸福な時代へのノスタルジーも、そこにはついて回るかもしれないが・・・。

by yokohama7474 | 2018-02-14 01:04 | 美術・旅行 | Comments(0)
<< クレメラータ・バルティカ (ヴ... 小林研一郎指揮 フィルハーモニ... >>


最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧