川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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嘘を愛する女 (中江和仁監督)

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この映画の予告編は、かなり頻繁に劇場にかかっていた。もちろん、今を時めく高橋一生と、今や日本を代表する女優のひとりに成長した長澤まさみの共演であるし、実話に基づく物語ということであったので、人生において起こりうる奇妙な出来事のリアリティという点で、なかなか興味を引くものであった。予告編で明らかになったストーリーは、ある日街中で気分が悪くなった女性を、男性が助ける。それが縁でその二人は同棲を始める。ところがある日男性は失踪し、警察が男の免許証を持ってやってきて、女性に対して、同棲相手が住所以外の情報を偽造していたことが分かる。そして女性は、自分が愛した男の素性を求めて、旅に出る・・・というもの。見終わってみるとこの予告編、全編のそれなりに要領のよい要約になっていることが分かる。だが、だがである。予告編で見ることのできる映像には、間を抜いている部分があって、本来ならつながっていない場面が、あたかもつながっているような作りになっていることがある。ネタバレにならない範囲で言うと、この映画には、恋愛もの、サスペンス、そして実は、ホラーの要素まで入っている。なので予告編は、本編のダイジェストと言える要素は確実にありながら、本編のエッセンスとは違う内容を示唆している。正直なところ、私には、わざわざそんなことをする理由が分からない。観客をミスリードすることで、何か新しい価値がこの映画に生まれるならよいのだが、どうもそんな気がしない。・・・という私の不満表明を神妙に聞いて頂いて、ありがとうございます (笑)。
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だが、ここでの高橋一生の演技は、称賛を捧げるに値しよう。特に後半の、感情が漲るシーンでの迫真の演技は、さすがのものがある。彼は 1980年生まれだから既に 37歳。決して若くはない。私にとっては、「シン・ゴジラ」で彼の演技を見たときに、その低い美声が印象に残った役者なのであるが、経歴を調べてみると、1990年に子役としてデビューを果たしているので、既に長いキャリアを持っているわけである。なんとあのタランティーノの「キル・ビル」にもチョイ役で出ていたようだ。なるほど、あまり目立たないが着実な活動をしてきたおかげで今があるということなのであろう。これが子役のときの写真。
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映像で見ると彼は大変な長身に見えるが、実は 175cmと、さほどでもない。そのあたりからも、演技自体や美声の前に、役者としての見栄えのよさが、まずは彼の武器になっていることが分かる。実は私にはひとつの大きな誤解があり、そのことを巡って、彼の大ファンである家人と議論になったことがある。それは、東急系列の 109シネマズで映画をご覧になる方にはおなじみの、東急の CM である。あ、一応私の住んでいる場所も、多摩川沿いということで東急沿線なので、その CM には多少の思い入れがある (まぁ、二子玉川のような高級なところではないが。笑)。その CM には若い夫婦と幼いお嬢さんが出てきて、奥さんの方は一瞬顔が映るのだが、旦那の方はどういうわけか、はっきり映るシーンがない。だが私は、そのスタイルや声の質、髪形からも、これは高橋一生に違いないと何度も主張し、その説に同意しない家人との間で、いつ果てるともしれない (?) 論争を続けていた。だがその論争にも、ついに終止符が打たれる日が来たのである。それは、昨年の大みそかに、広上淳一指揮の東京フィルが、東急 Bunkamura オーチャードホールで行ったカウントダウン・コンサートの中継番組である。その番組の CM の中に、普段はスクリーンでしか見たことのないその CM が含まれていたので、ここぞとばかりに録画を再生し、家人と 2人で画像を停めて、テレビに顔をつけるようにして男性を観察した。実は高橋一生には鼻に傷の跡があるらしいのだが、その CM の男性の顔が少し見えるカットをチェックしても、そのような傷の跡は見当たらない。それゆえ、家族内の口論は、家人の勝利宣言によって終わったのである。うーん、本当にそっくりな人もいるものだ (笑)。

一方の長澤まさみ。若い頃に比べると、ちょっと線が太くなってきている点は若干残念であるが、大変な活躍ぶりであるし、ここでも頑張ってはいると思う。特に、以前「散歩する侵略者」の記事でも書いたが、常に怒ったり不平不満を言っている女性を演じることが多いようで、今回もその要素はある。そして、愛する人の過去の真実に迫るために奔走する姿にも、けなげさがあって、それはよいと思う。ただその一方で、ここで彼女の演じているバリバリのキャリアウーマンという設定にリアリティがあるかと問われれば、申し訳ないが全然ないとしか言いようがない。これは脚本や演出にも当然原因はあると思うが、この役の意外な複雑さを彼女が演じきっているようには、どうも思えないのである。その点が残念であった。
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それにひきかえ、探偵役の吉田綱太郎はさすがである。その飄々とした人間的な態度の裏にあるプロフェッショナリズム、そしてまた、個人生活におけるナイーブさなど、うまく演じていて、彼の存在によって映画全体が引き締まっていることは確かであろう。監督の言によると、韓国映画「殺人の追憶」におけるソン・ガンホのイメージであるらしい。これは私も大好きな映画だが、うーん、どうでしょう。この映画の設定との差異は非常に大きいと思う。
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ここでまた、私が本作に感じた不満に戻ると、まず、男性の心の痛みを、もう少し出す手段はなかったかということ。あるいは、このカップルの幸せな様子を示すために、なにか具体的なエピソードを入れることができなかっただろうか。それから、私にとって決定的であったのは、ラストシーン。以前「三度目の殺人」の記事でも似たようなことを書いたが、「結末は観客ひとりひとりが考えて下さい」という制作態度には、私は賛成しかねる。余韻のある終わり方ではあっても、ストーリーの切実さを活かすことにはなっていないと思うのである。

この脚本、事実に基づくものだとは既に予告編から明らかにされているが、プログラムに掲載されている監督インタビューによると、辻仁成のエッセイで採り上げられていたエピソードにヒントを得、その事実を調べて判明したことがベースになっているとのこと。つまり、実際に自らの存在を偽り、偽名を使って暮らしていた男が亡くなり、内縁の妻がその遺品の中から、男が書いていた長い小説を見つけたということがあったらしい。但し、この映画のように、2011年の東日本大震災の頃の話ではなく、もっと以前 (1980年代か 90年代?) の話であるようだ。ともあれ、実話に基づいているか否かは、この際あまり重要な要素ではないだろう。もともとこの脚本は、「TSUTAYA CREATOR'S PROGRAM (TCP) FILM 2015」というコンテストで、474本のシナリオの中からグランプリを受賞したものらしい。そしてここで共同脚本も手掛けている本作の監督、中江和仁は、もともと CM の演出をしていた人で、メジャーな長編としては、本作がデビューのようである。上ではちょっと厳しいことを書いているが、いろいろ工夫が見られることは確かなので、今後の作品には注目したい。
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そんなことで、私としてはあれこれ課題を感じる作品ではあったが、ひとつの発見はあった。それは、高橋一生は、上記の東急の CM でもそうだが、妙に似た人が世の中に存在する、あるいはそのような設定がなされる俳優なのだなということ。本作をご覧になれば、私の言っていることの意味がお分かり頂けようが、それにしても、東急の CM は、役者の顔をはっきり映さないという、なんとも人の悪い作りであって、何やら依然として謎めいているような気がするのである。本当に似た人なのだろうか・・・。

by yokohama7474 | 2018-02-16 00:41 | 映画 | Comments(2)
Commented by 杜のノブユキ at 2018-02-16 07:52 x
前半、ヒロインにまったく感情移入できず、それでも、いや、その分?後半の調査行の中で組み上げられていく種明かしに身を委ねて見終わった感じでした。海街diaryの役どころとダブったかな。DAIGOと川栄がいい味を出していました。うちの主人も一生くんファンです👋
Commented by yokohama7474 at 2018-02-17 00:52
> 杜のノブユキさん
確かに、前半と後半で、違う作りになっていたとも言えるかもしれません。私としては、「こ、これは『呪怨』か?!」と思われる後半の家の中のシーンで、2階から妙なものがガサゴソ降りて来ないので、ちょっとがっかりだったかも (笑)。
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