川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
by Crop Stock
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> エマスケさん コメ..
by yokohama7474 at 22:38
こんにちは。 ローマ歌..
by エマスケ at 12:19
> desire_san..
by yokohama7474 at 00:29
こんにちは、 私も『ミ..
by desire_san at 15:25
> usomototsu..
by yokohama7474 at 00:24
こんにちは。毎年2月に欠..
by usomototsuta at 12:04
> カギコメさん コメ..
by yokohama7474 at 00:11
> カギコメさん コメ..
by yokohama7474 at 15:59
> 吉村さん やはりそ..
by yokohama7474 at 23:16
怪獣、恐竜が好きな私はこ..
by 吉村 at 21:20
メモ帳

ユーリ・テミルカーノフ指揮 読売日本交響楽団 (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー) 2018年 2月16日 サントリーホール

e0345320_23130755.jpg
ロシアの巨匠、ユーリ・テミルカーノフが指揮する読売日本交響楽団 (通称「読響」) の 2演目めを聴く。現在読響の名誉指揮者を務めるテミルカーノフは、今年 80歳という高齢でありながら、依然として精力的な活動を行っていて、今回も、3つのプログラムで 7回のコンサートを開くのであるが、先に 2/11 (日) のコンサートをご紹介した、ラフマニノフ 2番をメインとしたプログラムは、東京と横浜で計 3回演奏された。そして、2/20 (火) 以降に演奏される、ドヴォルザークの「新世界より」をメインとしたプログラムは、東京・大阪・福岡でやはり計 3回の演奏。それらにひきかえ今回のプログラムは、ただ 1回だけの演奏なので、大変貴重なのである。私がこのコンサートは必聴だと思ったのは、何よりもその素晴らしい曲目。
 チャイコフスキー : 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」作品32
 ラフマニノフ : パガニーニの主題による狂詩曲作品43 (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー)
 ラヴェル : 組曲「クープランの墓」
 レスピーギ : 交響詩「ローマの松」

ロシアとラテンの、色彩豊かなプログラムである。いずれの曲も、私が日常生活の中で時々無意識に口ずさむことがあることを知って、読響のスタッフが組んで下さったものだろうか (笑)。様々なクラシック音楽のコンサートがあるが、これほど隙のないものも少ないだろうと思う。何がどうすごいのか、イメージのない方もおられようから、以下簡単に曲の概要と感想を記したい。
e0345320_01121800.jpg
テミルカーノフの芸風については、これまでに採り上げたこのブログでの記事で明らかなように、ある場合には途方もない大音響による、いわゆる爆演を展開することもあれば、またある場合には、叙情的なメロディを心行くまで歌い抜く、温かくヒューマンな音楽を紡ぎ出すこともある。奇をてらったことは何もしないが、指揮台で眼鏡をかけ、スコアを見ながら指揮棒なしで音楽を導く彼の姿には、筋金入りの職人の要素がある。愛想笑いをするでもなく、淡々とした表情で舞台に登場するが、一旦指揮台に立つと、その動作は機敏であり、オケを自在に操る手腕には誰もが驚嘆する。そのような指揮者なのである。

最初の曲、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、ダンテの「神曲」に登場する逸話に基づく、20分強の曲である。チャイコフスキーの管弦楽曲はいずれも名曲揃いであるが、その中でも最もドラマティクな曲がこれであろう。冒頭の不気味な音楽では、詩人ヴェルギリウスの先導のもとにダンテが下って行く地獄の風景が目に見えるようだ。そして嵐が吹き荒れ、絶望の叫びが沸き起こり、渦を巻く。その後恋人たちを表す陶酔感溢れるロマンティックなメロディは纏綿として流れ、戻ってくる嵐と、交互に人々の耳を翻弄。そして最後は、地獄の風に吹き上げられ、主人公の女性リミニは中空に消えて行く。この激情と情緒の交錯こそ、テミルカーノフにふさわしい。特に、弦楽器の強い表現力には驚くべきものがあり、嵐や激情から、愛に満ちた深い歌まで、実に多彩。金管の迫力も申し分なく、楽員たちの指揮者への尊敬がそのまま音となって迸るような、圧倒的な凄演であった。これは、ウィリアム・ブレイクの「神曲」の挿絵から、フランチェスカ・ダ・リミニのシーン。
e0345320_01461171.jpg
2曲めは、前回と同じピアニストのニコライ・ルガンスキーがソリストとして登場、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を弾いた。このブログでも何度もご紹介しているが、パガニーニの「24 の奇想曲」の中の悪魔的なテーマを利用した、ピアノとオケによる自由な変奏曲であり、特に第 18変奏はしばしばテレビなどでも使われている美しい音楽で、誰しもが陶然とするようなもの。ルガンスキーは、前回のチャイコフスキーにおいて聴くことのできた鮮やかなテクニックを今回も披露しつつ、より指のリズムが際立つ洒脱な演奏であったのではないか。その有名な第 18変奏は、あたかもジャズを弾くように、タッチはクリアでありながらも、時にタメを作ってはまた走ってみるというような自在な節回しで、決して曲の美しさには耽溺していないと思った。今回もアンコールはラフマニノフの前奏曲で、今回はト長調作品 32-5。ここでも右手が浮かび上げる旋律は、ほとんど切れ切れになりながらも、透明な叙情が素晴らしいと思ったものである。
e0345320_01360703.jpg
さて、前半はテミルカーノフの祖国ロシアの作品であったが、後半では、フランスとイタリアの作品が演奏された。実は当初の発表では、後半の曲目はレスピーギのいわゆるローマ三部作から、「ローマの噴水」と「ローマの松」の二作という内容であったが、前者がラヴェルの「クープランの墓」に変更になったという経緯がある。実は、今回のプログラムに掲載されているテミルカーノフのインタビュー (聞き手は読売新聞モスクワ支局長) に、気になる箇所があるので引用しよう。

QUOTE
Q : マエストロといえばロシアの作品が得意なイメージがあります。レスピーギは珍しい曲目のように思いますが。
A : 私がよくロシアのクラシック作品を演奏するのは、海外公演に頻繁に出かけるからです。そこではロシアの楽曲を演奏することが求められます。ですが、レスピーギやブラームスを演奏する機会があるときは、いつでも喜んで演奏しますよ。
UNQUOTE

正直なところ、この質問はマエストロに対していささか礼を失してはいないだろうか。そして、それに対するマエストロの大人の回答に感心する。ロシアの代表選手として、もちろんテミルカーノフにはロシア音楽への深い愛はあるだろうし、世界各国でロシア音楽の演奏を期待されるという事情はあるだろう。だがそれをもって、「ロシアの作品が得意」というロジックがどのように成り立つものか、私には理解できない。それは、あくまで極端なたとえであることを承知で申し上げれば、日本の指揮者に対して、「あなたは武満徹が得意ですが、なぜベートーヴェンを演奏するのですか」と質問するのに近い。別の例として、あるときフィンランド人指揮者のオッコ・カムがやはり日本でのインタビューで、「シベリウス以外にどんな作曲家が好きですか」と訊かれて、「おや? 私がシベリウスが好きと、いつ言いましたか? (笑)」と返事したのを読んだこともあるが、ジャーナリストにしてこのようなレヴェルの質問をしているようでは、マスコミの画一的な「本場物信仰」は、いつまで経っても変わらないと思うのである。そのような画一性は、音楽の聴き方を矮小化してしまう。実際には、ロシア人指揮者による素晴らしいラヴェルやレスピーギがこの日鳴り響いたことを、そしてそれを東京の聴衆が楽しんだのだということを、マスコミがきっちり報道する義務があるように思うのだが、いかがであろうか。

すみません、この種の事柄は以前から私の問題意識の中にあるので、少し過剰に反応してしまったかもしれないが、気を取り直して残りの 2曲に触れたいと思う。この 2曲にはある共通項がある。それは、過去へのノスタルジーである。ラヴェルの「クープランの墓」はフランソワ・クープランに代表される 18世紀フランスバロック音楽へのオマージュとして作曲された自作のピアノ曲をオーケストラ版に編曲したもの。一方の「ローマの松」は、古代ローマに思いを馳せる内容である。もちろん、繊細で洒脱な音響で構成された前者と、古代の果てないロマンが現代の情景にオーヴァーラップするような幻想的で力に満ちた後者とは、曲の内容は全く対照的である。だが、私が上で書いたことをそのまま繰り返すと、「ある場合には途方もない大音響による、いわゆる爆演を展開することもあれば、またある場合には、叙情的なメロディを心行くまで歌い抜く、温かくヒューマンな音楽を紡ぎ出すこともある」テミルカーノフを聴くには、これほどふさわしい組み合わせはないだろう。当初予定されていた「ローマの噴水」も (三部作の残る一曲、狂乱的な「ローマの祭り」とは大いに異なり)、繊細な持ち味が聴かれる曲であるが、やはりここは「クープランの墓」を聴くことができて本当によかったと思う。この「クープランの墓」においては、木管、特にオーボエが終始活躍して、ほかの木管との絡みもなかなか大変な曲である。今回の演奏は、もちろんさらなる緊密な音響の演奏も世界には存在するとは思うものの、充分に曲の古雅な持ち味を味わうことのできるものであった。そう、時々無意識にこの曲の、例えば第 3曲メヌエットなどを口ずさむことのある私としては、円熟の巨匠がオケから引き出す音の流れに強い共感を覚え、「なんといい曲だろう」と思ったものである。この感覚こそが、音楽を聴く喜びであろう。これがピアノ版の初版の表紙。モノトーンの硬質さが曲の内容にふさわしい。
e0345320_09063526.jpg
また「ローマの松」は、深い弦の音がドラマを主導し、実に見事。最初の「ボルゲーゼ荘の松」は派手な大音響に始まるが、それもピタリと決まっており、また、2曲めの「カタコンブ付近の松」では静かで神秘的な表情を、また 3曲めの「ジャニコロの松」で鳥の声のテープが流れる前のクラリネットは、ある種極限的な緊張感を出す必要があるが、今回、それらの箇所の雰囲気は、満点の出来だったと思う。最後の「アッピア街道の松」では、古代ローマの進軍の様子が眼前に浮かぶような大迫力であったが、そこはやはり経験豊富な老巨匠のこと、大きな身振りでオケを煽るのではなく、むしろ音響の肥大化に反して身振りは段々小さくなって行ったのが印象的。オルガンや、ステージ奥、P ブロックの左右に登場した金管のバンダを含む大オーケストラが大爆発を起こすクライマックスでは、鳥肌が立ったものである。これぞまさにテミルカーノフの見事な手腕としか言いようがなく、彼がロシア人であろうと何人であろうと、その瞬間そんなことは関係がない。純粋に音響に身を委ねることこそが、音楽の喜びなのだ。これが、終曲の舞台であるアッピア街道。
e0345320_09160473.jpg
非常に素晴らしいプログラムによる素晴らしい演奏会。マエストロ・テミルカーノフと読響には、最大限の敬意を表したいと思う。

by yokohama7474 | 2018-02-17 09:21 | 音楽 (Live) | Comments(0)
<< ダークタワー (ニコライ・アー... 嘘を愛する女 (中江和仁監督) >>


最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧