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ユーリ・テミルカーノフ指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : レティシア・モレノ) 2018年 2月20日 サントリーホール

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ロシアの巨匠、現在 79歳のユーリ・テミルカーノフと読売日本交響楽団 (通称「読響」) のコンサート、これが今回の 3つのプログラムのうち最後のもの。このサントリーホールでの演奏のあと、2/21 (水) は大阪で、2/22 (木) は福岡で、同じ曲目による演奏会が開かれる。テミルカーノフのインタビューによると、彼は、30年間率いている手兵、サンクト・ペテルブルク・フィルとは大阪も福岡も訪れたことがあるらしく、「日本のコンサートホールはどこも演奏しやすいし、聴衆のみなさんも素晴らしいですね」と語っている。さしずめこれは、地方公演に先立つ東京での腕鳴らしだったのか。いやいやとんでもない、今回の読響は、いつもにもましてクオリティの高い演奏を披露し、私は痛く感動した。まず曲目を紹介しよう。
 グリンカ : 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
 プロコフィエフ : ヴァイオリン協奏曲第 2番ト短調作品63 (ヴァイオリン : レティシア・モレノ)
 ドヴォルザーク : 交響曲第 9番ホ短調作品95「新世界から」

なるほど。これは名曲プログラムだ。このようなレパートリーで胸のすく演奏を聴かせてくれるオーケストラは、本当によいオーケストラなのだ。まず最初の「ルスランとリュドミラ」序曲は、ロシア音楽の父と呼ばれるミハイル・グリンカ (1804 - 1857) の代表作であり、疾走する音楽にはオーケストラの醍醐味が詰まっている。今回の演奏では、すさまじいテンポで一気呵成に駆け抜けることで、この曲の持つ凄みを改めて実感することとなった。冒頭から一聴して読響の好調は明らかで、弦の各パートが隅々まで鳴り渡り、色分けも明確。また、木管、金管、ティンパニもそれぞれの持ち場を完璧にこなし、実に見事の一言。80歳目前にしてこれだけ疾走感のある音楽を作ることのできるテミルカーノフ、やはり只者ではない。
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2曲目のコンチェルトでソロを弾いたのは、スペイン、マドリッド出身のレティシア・モレノ。1985年生まれというから、ヴァイオリニストとして超若手という年齢ではないが、未だ若手のうちには入るだろう。
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私としては未知のヴァイオリニストであったが、あの稀代の名教師ザハール・ブロンに師事し、いくつかの国際コンクールで入賞を果たしているらしい。既にメータ、ゲルギエフ、ドゥダメル、サロネンらの名指揮者たちと共演があり、ドイツ・グラモフォンでのレコーディングもあって、そのひとつは、テミルカーノフ指揮サンクト・ペテルブルク・フィルとのショスタコーヴィチの 1番のコンチェルトである。これがその CD のジャケット。
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そのモレノが今回弾いたのは、プロコフィエフの 2曲のヴァイオリン協奏曲のうち、第 2番。いかにもプロコフィエフらしいモダン性と諧謔味、そして時には抒情も混じり合った面白い曲だ。演奏開始前に係の人が、ヴァイオリン用の譜面台をステージ前面に置いたので、もしかして譜面を見ながらの演奏かと思ったのであるが (私はロンドンで、とある有名なロシア出身の女流ヴァイオリニストが、やはりこのプロコフィエフの第 2コンチェルトを、譜面を見ながら弾くのを見て、驚いた記憶がある)、実際には譜面に手を触れることなく演奏された。やはりコンチェルトのソロ・パートは、よほどのことがない限り、暗譜で弾いて欲しいものであるから、それにはほっとしたのである。さてモレノの演奏自体は、特に大きな不満はないものの、逆に、どうしても彼女でないと出せない持ち味というものも、正直なところ、あまり感じることができなかった。ある意味で真面目な演奏で、真面目であって何が悪いという考えもあるだろうが、プロコフィエフのような複雑な作曲家の作品には、もっと屈折があった方が楽しめるのではないか、と思った次第。ところでこのコンチェルト、終楽章の舞踊風の音楽でカスタネットが鳴るのだが、今回初めて知ったことには、初演はなんとマドリッドでなされているらしい。プロコフィエフは 1918年にロシアを離れ、その後革命が起こったこともあって、1936年まで祖国に帰らなかったのだが、この曲はその国外生活の最後の方、1935年に書かれている。なるほど、スペイン製の協奏曲。それでカスタネットなのか。マドリッドで生まれた曲をマドリッド出身のヴァイオリニストが弾くとは、なかなか洒落た選曲だ。彼女はアンコールでバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第 1番の最初の楽章、アダージョを弾いたが、これは非常に内面的な素晴らしい演奏。今後またその表現を深めて行くことだろう。

そしてメインは、天下の名曲「新世界」である。これはまた、実に惚れ惚れするような彫りの深い、また迫力に満ちた名演で、読響としても、ベストの範疇に入る充実した演奏であったのではないか。テミルカーノフの指揮ぶりは、いつもの通り、ほとんど不愛想と言ってもよいもの。あまり表情を見せずに淡々とステージに登場すると、コンサートマスターと握手をすることも笑顔を交わすこともなく、やおら譜面を開き眼鏡をかけて、そして素手を伸ばして空中で一度双方の掌を合わせてから、ぐいっと音を引き出し始める。右腕はほとんど上下運動を続け、時折左手で宙をぐるっと掻いてアクセントをつけるものの、音楽自体が停滞することは決してなく、タメも比較的少ない。だが、そこで鳴る音の分離は驚くほどよく、またなんと充実感のあること。これは読響との相性の良さや信頼関係があって初めて可能になるのだろうが、聴いていて大変にエキサイティングである。第 1楽章の提示部を反復しない点も、推進力を重視した結果であると思うが、その一方で第 2楽章では、イングリッシュ・ホルンによる「家路」のメロディが終わり、弦楽器だけで深い抒情を醸成する部分では、指揮者ははっきりと唸り声を上げていた。これこそまさにテミルカーノフの本領発揮である。ただ疾走する迫力ある音楽を鳴らすだけではなく、心に深く訴える抒情性も一級品であり、その表現の幅こそが、彼を巨匠たらしめているのだと思うのである。第 3楽章、第 4楽章での金管の鳴りも見事で、大詰めの手前では、大いなる盛り上がりで珍しく少しテンポを落とし、そして終結部の遠くに消えて行くような音を、必要以上に伸ばさずにきっぱりと打ち切って、過度の感傷性なく、颯爽と全曲を終了した。繰り返しだが、天下の名曲「新世界」を、まさに堂々と面白く聴かせてくれるのは、本当に能力のある指揮者とオーケストラしかできないこと。テミルカーノフと読響は、その高い実力をいかんなく聴衆に示したのであった。この名演奏が、大阪と福岡の聴衆にも届けられるとは、本当に素晴らしいことである。なおテミルカーノフは、Mirare レーベルに、サンクト・ペテルブルク・フィルと、この曲を 2011年にライヴ録音している。会場でこの CD も販売されていて、私は購入はしなかったが、いつか聴いてみたいものだと思う。
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さて、私にはひとつの予想があった。今回の演奏会は定期公演ではなく名曲シリーズだし、翌日からの地方公演に備えるものであるから、きっとアンコールがあるのではないか。そう思って終演後の楽員の様子を見ていると、あ、やはり、譜面をめくって、次の曲の準備をしている。「新世界」のあとのアンコールと言えば、もちろん同じドヴォルザーク作曲のスラヴ舞曲から 1曲と、相場は決まっている。だが、鳴り始めた音を聴いてびっくり。それはスラヴ舞曲ではなく、ドヴォルザークを世に出したブラームスの、まさにスラヴ舞曲のお手本となったハンガリー舞曲から、第 1番であったのだ!! ちょっと驚いたが、マエストロ・テミルカーノフの意向なら、もちろんそれもありでしょう!!

終演後もあまり余韻なく、指揮者はオケに解散を命じ、人々は会場を後にした。実は前半でソロを弾いたレティシア・モレノが、後半の「新世界」を客席で聴いているのに私は気づいていたが、派手な服にコートをはおり、一般の聴衆に交じってホールの出口に向かっているのを発見。その途中で足を停めて、CD 売り場 (きっと上に写真を掲げた彼女自身の CD もあったはず) を興味深そうに覗いているのも、気取りのない若手演奏家の素顔が見えて、微笑ましかった。こうして充実のコンサートは終了。人々は、真冬に比べると少し寒さの和らいだ、春の予感を孕んだ空気の中、それぞれに家路に向かったのであった。そう、中には、先刻聴いたばかりの、ドヴォルザークの「家路」のメロディを口ずさんでいた人もいたことだろう。

by yokohama7474 | 2018-02-21 00:11 | 音楽 (Live)