実は私の手元には、このランパルの大規模なアンソロジー CD がある。3セットに分かれていて、合計 53枚に上る。これはこの偉大なフルーティストの全貌に迫りたくて購入したものだが、残念ながら未だに封も切っていない (笑)。この機会にそのセットを調べてみると、ありましたありました。ランパル自身のフルート、ジャン・マルティノン指揮のフランス国立放送管の演奏で、このコンチェルトの録音が。それは改めて聴いてみたいが、いやそれにしても今回のパユである!! 低めの音で民俗的な旋律を唸るように歌う箇所から、まるでピッコロのように高音を空気に突き刺す箇所まで、自由自在。聴衆は皆あっけにとられて呆然自失である。これは見事としか言いようがない。ソヒエフとトゥールーズ・キャピタルの伴奏がまた、無類のニュアンスに富んだ、これまた変幻自在なもの。この曲の持つエネルギーと抒情性を、隈なく表現しきった。これは大した聴き物であったが、ひとつ不思議なことがあった。今回パユは、譜面台にタブレットを置いて、それを見ながら演奏していたが、そのタブレットに触れる気配が一切ない。実際に視線はかなりの時間タブレットに行っていたので、見ていたことは間違いないのだが、一体どのようにして譜面を見ていたのか。実はその謎はあとで解明したので、しばらくご辛抱を。パユはアンコールとして、ソロ・フルートの定番、ドビュッシーの「シリンクス」を演奏したが、これもニュアンスあふれるものであった。
後半に演奏された「白鳥の湖」は、つい先ごろも東京シティ・バレエ団の公演で大野和士指揮東京都響の演奏による全曲を経験したばかり。今年は近い時期に同じ曲目に接する機会が多い。だが今回はもちろん全曲ではなく、12曲を選んで演奏する 45分ほどのヴァージョン。誰の手による選曲であるのか明記はないが、ソヒエフは 2016年に N 響でもこのヴァージョンで演奏しているようなので、きっと彼自身による選曲なのであろう。実際のバレエの冒頭部の音楽で始まり、終結部の音楽で終わる、一種のシンフォニーのようにすら聴こえる音楽で、一部順序の変更はあるものの、おおむね原曲の順番に従っている。さて、この演奏をどのように表現しようか。指揮棒を使わず素手で指揮したソヒエフは、まさに魔術的手腕を発揮したとしか言いようがない。彼の指揮ぶりを見ていると、そこで実際に鳴っている音との密接な関連を見て取ることができるのだが、これは指揮者なら誰でも目指すものでありながら、実際に達成できる人はそうはいない。この旋律美とドラマ性に溢れた稀有なる名曲が、こんなに劇的に、こんなに楽しく、こんなに表情豊かに演奏されるとは。耳に残った個々の箇所を記憶で再現しようかとも思ったが、長くなるし、文章で書いても伝わらないと思うので、やめておこう。無限のニュアンスに満ちた音楽は、すべての人たちを魅了するものであった。アンコールには、「カルメン」前奏曲が演奏されたが、これはよくあるような派手な効果を狙った雑な演奏ではなく、実に丁寧で美しい演奏であった。そう、すべてはこの指揮者とコンビの美感が明確に現れた演奏で、揺るぎない個性がそこにはあった。そして、楽員たちの表情を見ていても、アイコンタクトがあったり笑顔があったり、あらゆる場所で実にスムーズなコミュニケーションがなされていた。ここで直前に聴いた、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンとニューヨーク・フィルの演奏と自然に比較してしまうのだが、そちらが究極のプロフェッショナルで強烈な演奏であったとすると、こちらは、表現力ではひけを取らないものの、もっと緩やかでハートウォーミングなもの。どちらがよいと一概に言えるものではなく、どちらも素晴らしいのだが、そのような違った個性の世界クラスの演奏をとっかえひっかえ楽しめる東京の聴衆は、本当に恵まれていると思うのである。
さて、実は今回、終演後に隣接の ANA インターコンチネンタルホテルで開かれたレセプションにこっそり忍び込んだ、あ、いや、そうではなくて、幸いなことに、正式に招待を受けて参加した。そこで、ソヒエフから興味深い話を直接聞くことができたので、ご紹介したい。まず、彼がほかの人との話が済んだところにすかさず入り込み、まずは「あなたの音楽の魔法を心から愛しています」と自己紹介。コイツ何者だ、と若干怪訝な顔をされたものの、このトゥールーズ・キャピタルやベルリン・ドイツ響、あるいはボリショイと、それぞれのオケの違いをどう考えているか訊いてみたところ、「それぞれのオケには個性があって、その違いが面白い」という、まあ予想通りの答えであったので、一歩踏み込んで訊いてみた。
私「NHK 交響楽団はどうですか」
ソヒエフ「(真剣な顔つきになって) NHK の素晴らしいところは、過去の楽団の歴史をそこに残しているところです」