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トゥガン・ソヒエフ指揮 トゥールーズ・キャピタル国立管弦楽団 (フルート : エマニュエル・パユ) 2018年 3月15日 サントリーホール

トゥガン・ソヒエフ指揮 トゥールーズ・キャピタル国立管弦楽団 (フルート : エマニュエル・パユ) 2018年 3月15日 サントリーホール_e0345320_23471385.jpg
2日続いたニューヨーク・フィルの演奏会に続き、しかも同じ音楽事務所 KAJIMOTO の主催により、今回サントリーホールのステージに登場したのは、フランスのトゥールーズ・キャピタル国立管弦楽団と、その音楽監督、北オセチア出身のトゥガン・ソヒエフである。一般的な知名度からすればもちろんニューヨーク・フィルには遠く及ばないオケではあるが、私にとってはこれは必聴のコンビである。そして、まずは結果から書いてしまうと、今回のコンサート、それはもう本当に素晴らしい内容で、改めて、このコンビの演奏を数年に一度は聴くことができる我々東京の聴衆は幸せなのであると、実感する機会となった。2日前のニューヨーク・フィルのコンサートと同様、今回も作曲家タン・ドゥンの姿を会場で見かけたが、きっと彼もこのコンサートを楽しんだことであろう。

まず指揮者について簡単に触れると、1977年生まれで現在 40歳のトゥガン・ソヒエフは、2008年以来このオケの音楽監督で、私も過去に何度もこのコンビでの来日公演を聴いてきたし、このブログではまた、NHK 交響楽団やベルリン・ドイツ交響楽団を指揮した演奏会を採り上げ、その中で、いかに私がこの指揮者に心酔しているかを述べた。指揮者で 40歳と言えば、まさにこれからという年代であるが、彼は既にそのスタイルを確立しており、その音楽の説得力は極めて高い。シカゴ響、フィラデルフィア管、ロンドン響、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルといった世界トップクラスのオケとも定期的に共演しており、文字通り世界で最も活躍している中堅指揮者のひとりである。このトゥールーズ・キャピタルのポスト以外に、昨年までベルリン・ドイツ響の首席指揮者を務め、また、日本では未だにオペラの実演に触れる機会がないが、2014年からはモスクワのボリショイ劇場の音楽監督でもある。
トゥガン・ソヒエフ指揮 トゥールーズ・キャピタル国立管弦楽団 (フルート : エマニュエル・パユ) 2018年 3月15日 サントリーホール_e0345320_00023572.jpg
彼と手兵トゥールーズ・キャピタル国立管の演奏会では、ロシア物とフランス物がいつも中心になっているが、今回の来日でも、5公演で用意されたプログラムは 2種類 (そのうち 4公演が今回と同じプログラム)。すべてロシア物かフランス物である。今回のサントリーホールでの演奏会はその最初のもので、曲目は以下の通り。
 グリンカ : 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
 ハチャトゥリアン (ランパル編) : フルート協奏曲 (フルート : エマニュエル・パユ)
 チャイコフスキー : バレエ音楽「白鳥の湖」から

まず最初の「ルスランとリュドミラ」からして、その音色の美しいことに驚く。ソヒエフのテンポは中庸のものであり、この急速に駆け抜ける爽快感が際立った名曲に向き合っても、決して鬼面人を驚かす演奏を指向することはない。その一方で、疾走感は充分であって、目まぐるしく代わる主役の楽器も、まさに弾けるような喜びに満ちている。ここに我々が聴き取ることができたのは、美しく個性的な音色を大事にしながら鍛錬を重ねたオケと、その特性を充分に発揮する術を心得た指揮者の幸せなコンビネーションである。つまり、一部の通だけが分かる演奏ではなくて、聴いている誰もが、「ああ美しい」「ああ楽しい」と思うことのできる演奏であった。

そして 2曲目にソリストとして登場したのは、ベルリン・フィルの首席フルートとして同楽団の顔でもあるスイス人フルーティスト、エマニュエル・パユである。若い頃からイケメンの天才という印象であるが、既に 48歳。外見も渋みを帯びてきた。
トゥガン・ソヒエフ指揮 トゥールーズ・キャピタル国立管弦楽団 (フルート : エマニュエル・パユ) 2018年 3月15日 サントリーホール_e0345320_00234726.jpg
ここで彼が披露した驚異の演奏は、ハチャトゥリアンのフルート協奏曲。アルメニア出身の作曲家ハチャトゥリアンは、誰もが知る「剣の舞」で有名であるが、彼がフルート協奏曲を書いているとは、聞いたことがない。それもそのはず、この曲は、もともと彼のヴァイオリン協奏曲をフルート用にアレンジしたもの。私はこのヴァイオリン協奏曲は結構好きで、第 1楽章冒頭の、まるで馬に乗ってひたすら駆けて行くかのようなワイルドな音楽や、第 3楽章の、今度は馬が上下に飛び跳ねるような音楽を、知らず知らず口ずさんでいることがある。いや、正確には胸のうちで口ずさんでいるだけで、声に出して歌うことなど、できるわけもない (笑)。そんな曲をフルートで吹く??? 誰がそんな無謀なことを考えたのか。その犯人 (?) は、20世紀最高のフルート奏者であったフランスのジャン=ピエール・ランパル (1922 - 2000) である。
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実は私の手元には、このランパルの大規模なアンソロジー CD がある。3セットに分かれていて、合計 53枚に上る。これはこの偉大なフルーティストの全貌に迫りたくて購入したものだが、残念ながら未だに封も切っていない (笑)。この機会にそのセットを調べてみると、ありましたありました。ランパル自身のフルート、ジャン・マルティノン指揮のフランス国立放送管の演奏で、このコンチェルトの録音が。それは改めて聴いてみたいが、いやそれにしても今回のパユである!! 低めの音で民俗的な旋律を唸るように歌う箇所から、まるでピッコロのように高音を空気に突き刺す箇所まで、自由自在。聴衆は皆あっけにとられて呆然自失である。これは見事としか言いようがない。ソヒエフとトゥールーズ・キャピタルの伴奏がまた、無類のニュアンスに富んだ、これまた変幻自在なもの。この曲の持つエネルギーと抒情性を、隈なく表現しきった。これは大した聴き物であったが、ひとつ不思議なことがあった。今回パユは、譜面台にタブレットを置いて、それを見ながら演奏していたが、そのタブレットに触れる気配が一切ない。実際に視線はかなりの時間タブレットに行っていたので、見ていたことは間違いないのだが、一体どのようにして譜面を見ていたのか。実はその謎はあとで解明したので、しばらくご辛抱を。パユはアンコールとして、ソロ・フルートの定番、ドビュッシーの「シリンクス」を演奏したが、これもニュアンスあふれるものであった。

後半に演奏された「白鳥の湖」は、つい先ごろも東京シティ・バレエ団の公演で大野和士指揮東京都響の演奏による全曲を経験したばかり。今年は近い時期に同じ曲目に接する機会が多い。だが今回はもちろん全曲ではなく、12曲を選んで演奏する 45分ほどのヴァージョン。誰の手による選曲であるのか明記はないが、ソヒエフは 2016年に N 響でもこのヴァージョンで演奏しているようなので、きっと彼自身による選曲なのであろう。実際のバレエの冒頭部の音楽で始まり、終結部の音楽で終わる、一種のシンフォニーのようにすら聴こえる音楽で、一部順序の変更はあるものの、おおむね原曲の順番に従っている。さて、この演奏をどのように表現しようか。指揮棒を使わず素手で指揮したソヒエフは、まさに魔術的手腕を発揮したとしか言いようがない。彼の指揮ぶりを見ていると、そこで実際に鳴っている音との密接な関連を見て取ることができるのだが、これは指揮者なら誰でも目指すものでありながら、実際に達成できる人はそうはいない。この旋律美とドラマ性に溢れた稀有なる名曲が、こんなに劇的に、こんなに楽しく、こんなに表情豊かに演奏されるとは。耳に残った個々の箇所を記憶で再現しようかとも思ったが、長くなるし、文章で書いても伝わらないと思うので、やめておこう。無限のニュアンスに満ちた音楽は、すべての人たちを魅了するものであった。アンコールには、「カルメン」前奏曲が演奏されたが、これはよくあるような派手な効果を狙った雑な演奏ではなく、実に丁寧で美しい演奏であった。そう、すべてはこの指揮者とコンビの美感が明確に現れた演奏で、揺るぎない個性がそこにはあった。そして、楽員たちの表情を見ていても、アイコンタクトがあったり笑顔があったり、あらゆる場所で実にスムーズなコミュニケーションがなされていた。ここで直前に聴いた、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンとニューヨーク・フィルの演奏と自然に比較してしまうのだが、そちらが究極のプロフェッショナルで強烈な演奏であったとすると、こちらは、表現力ではひけを取らないものの、もっと緩やかでハートウォーミングなもの。どちらがよいと一概に言えるものではなく、どちらも素晴らしいのだが、そのような違った個性の世界クラスの演奏をとっかえひっかえ楽しめる東京の聴衆は、本当に恵まれていると思うのである。

さて、実は今回、終演後に隣接の ANA インターコンチネンタルホテルで開かれたレセプションにこっそり忍び込んだ、あ、いや、そうではなくて、幸いなことに、正式に招待を受けて参加した。そこで、ソヒエフから興味深い話を直接聞くことができたので、ご紹介したい。まず、彼がほかの人との話が済んだところにすかさず入り込み、まずは「あなたの音楽の魔法を心から愛しています」と自己紹介。コイツ何者だ、と若干怪訝な顔をされたものの、このトゥールーズ・キャピタルやベルリン・ドイツ響、あるいはボリショイと、それぞれのオケの違いをどう考えているか訊いてみたところ、「それぞれのオケには個性があって、その違いが面白い」という、まあ予想通りの答えであったので、一歩踏み込んで訊いてみた。
私「NHK 交響楽団はどうですか」
ソヒエフ「(真剣な顔つきになって) NHK の素晴らしいところは、過去の楽団の歴史をそこに残しているところです」
私「それは、例えばドイツ音楽の伝統があって、そこにフランスの味が加わり、そしてさらにグローバルになっているということですか?」
ソヒエフ「(うなずいて) その通りなんです。実はそのような、楽団の歴史が音に残っているような例は、ヨーロッパでは減っています。N 響はその点、技術が高いだけではなく、自らの伝統に敏感である点、素晴らしいと思うのです」
私「最近では『イワン雷帝』、Enjoy しました」
ソヒエフ「(表情を輝かせて) ああ、聴いて頂いたのですね!! カタオカさんとの演奏!!」
私「そうです。アイノスケさん、よかったですね。ところでマエストロはマーラーは指揮されますか」
ソヒエフ「もちろん」
私「日本で指揮されたことは?」
ソヒエフ「(ちょっと考えて) うーん。ないと思います。やりたいですね」
私「是非是非!! 8番、やって下さい!!」
ソヒエフ (満面の笑み)

というわけで、N 響の関係者の方、もしこれをご覧になっていたら、私の方で勝手に曲目を決めさせて頂きましたので、あとはよろしくお願い申し上げます (笑)。

それから、またきっかけを見て今度はパユに接近。ちょっと割り込み気味に、タブレットを見ながら演奏していたのに、なぜ画面に触れていなかったのか、訊いてみた。答えは「ペダル」とのこと。なんと彼は、演奏しながら足でペダルを踏んで、タブレットに表示された譜面をめくっていたのである!! 足元までは見なかったので全く気付かなかった。そう言えば以前、神尾真由子がリゲティのヴァイオリン協奏曲を演奏したとき、演奏中にしきりに何か踏んでいるのを怪訝に思ったが、あれも同じだったのかもしれない。なるほど、そうするとそのうち指揮者も、譜面台に巨大タブレットを置いて、指揮台の上で時々ペダルを踏むような日が来るのだろうか。だがそうなると、ピアニストは不利だなぁ。ピアノのペダル以外にもう 1個ペダルがあると、技術的難易度は上がりますよね。・・・と、既に深夜に至っているのにくだらないことを書いているのはやめにして、このあたりで終わりにします。今回の演奏会、見たところ 7割かそれ以下の聴衆の入りであったが、このコンビの演奏は必聴であるということを、クラシックファンの方々には強く主張して、この記事の結びとしましょう。

by yokohama7474 | 2018-03-16 01:25 | 音楽 (Live)