川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

井上道義指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢 (ピアノ : 反田恭平) 2018年 3月19日 サントリーホール

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オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) は、その名の通り金沢を本拠地とする、日本を代表する室内管弦楽団である。以前も書いたと思うが、金沢は私が深く愛する情緒ある街であり、その文化都市にこんな優れた室内オケがあることは本当に素晴らしい。私は過去に東京で何度か OEK を聴いたほか、このオケを聴くためだけに新幹線で金沢との間を弾丸往復したことすらあることは、以前記事として採り上げた。1988年に設立され、初代音楽監督に岩城宏之を頂いて、設立当初から名門レーベル、ドイツ・グラモフォンと契約するなど、充実した活動を展開したが、2006年 6月に岩城が死去すると、2007年 1月からは井上道義が 2代目の音楽監督に就任。以来 11年間、両者は良好な関係を築いてきたのだが、実は彼は今シーズンで OEK の音楽監督を勇退。創立 30周年という秋からの新シーズンには、現代を代表する異才指揮者であるフランス人のマルク・ミンコフスキが新音楽監督に就任することは、以前も書いた。今回の井上と OEK の演奏会は、同じ曲目を 2日前に本拠地金沢で演奏したあと、東京で開かれたもの。音楽監督としての井上と OEK との、文字通り最後の共演となる。このブログで最近の井上の活動を可能な限り追いかけてきた私としては、これは是非とも聴いておく必要のある演奏会であった。曲目が大変興味深い。
 プーランク : オーバード (朝の歌) (ピアノ : 反田恭平)
 ハイドン : 交響曲第 6番ニ長調「朝」
      交響曲第 7番ハ長調「昼」
      交響曲第 8番ト長調「晩」

フランス近代のプーランクと、ウィーン古典派、交響曲の父と呼ばれるハイドンの初期の交響曲の組み合わせはユニークである。前半にプーランクが演奏され、休憩のあとハイドンの 3作が演奏された。まずそのプーランクであるが、ヨーロッパにおける両大戦間のモダニズム文化に高い関心を持つ私としては、この作曲家を含むフランス六人組は当然、大のお気に入りなのであるが、特にこのプーランクは、その小粋な音楽に、若い頃から魅せられてきたものである。この写真が、彼らと非常に近い存在であった詩人のジャン・コクトーと六人組の写真。1951年のものであるから、既にそれぞれが大家になってからのものである。ピアノに向かっているのがコクトーで、プーランクは後ろの列の右から 2番目。
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この「オーバード」も、ガブリエル・タッキーノとジョルジュ・プレートルの録音などで、私にとってはそれなりには親しみのある曲で、洒脱で小規模なピアノ協奏曲だということは知っていたが、その作曲の経緯は全く知らなかった。今回、演奏開始前に井上がマイクを持って舞台に登場して語ることには、自分もコンサートで、曲目を見ないで聴いてから、あとで解説を見て、「なんだそうだったのか。早く言ってよ」と思うことがよくあるので、演奏前に自分が解説する方がいいでしょう、とのこと。実は今回の曲目には、ある共通点があるという。それは、プーランクの「オーバード」は、芸術愛好家のパトロン貴族の委嘱によって書かれたもの。ハイドンの「朝」「昼」「晩」は、有名なエステルハージ家の宮廷に入った若きハイドンが作曲したもの。芸術にとってパトロンは欠かせないが、今回のコンサートも、スポンサー企業の存在によって可能になったことへの謝意が表明された。確認すると、今回のコンサートは、レンゴーという会社がスポンサーである。大阪に本拠地のある板紙や段ボールを製造・販売する会社で、実は「段ボール」という名称は、明治の頃にこの会社の創業者がつけたものであるという。さらにプログラムをよく読むと、OEK はこのレンゴーから、1714年作のストラディヴァリウスの名器「Lang」を貸与されており、コンサートマスターが使用しているとのこと。それは素晴らしいことである。

さて、「オーバード」に話を戻すと、この曲は「朝の歌」とも呼ばれ、「ピアノと 18楽器のための舞踊協奏曲」という副題がついている。今回井上が説明したことには、パトロン (ノアイユ子爵) から、パーティで上演する、ダンサー 1人によるバレエ音楽を委嘱され、プーランクが考案したのは、月の女神であり狩の女神でもあるディアナを主人公に、駆け回る動物たちや、ニンフたちとともに目覚めるディアナを描き、最後にディアナは女神としての孤独を覚えるというもの。いつもの通り軽妙な語り口と軽やかなダンス (もう 70を超えているのですけどね!!) による井上の解説のあと、ピアノの反田 (そりた) 恭平をソリストに迎えて演奏が始まった。
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反田は今年未だ 24歳になるという若手で、随分以前にこのブログでも、アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルとの共演を記事にしたことがある。明るい音色で表現力豊かなピアノを弾く人で、今回のプーランクも才気煥発、大変鮮やかな演奏を聴かせてくれた。なおこの曲は、「朝の歌」とは呼ばれるものの、朝というよりも、未だ月が残っている (ディアナが登場するわけなので) 明け方を舞台にしているとのこと。また、プログラムによると、「オーバード」とは、日本語でいうところの、男女の後朝の別れの際に歌う歌というイメージであるらしい。井上はここで指揮台も使わずに、オケと同じ高さの床に立って指揮をしていたが、この曲のオケの編成には、実はヴァイオリンが含まれていない。もちろん各楽器のクオリティは高かったが、後半にヴァイオリンが入ってきて、ちょっとびっくりすることとなる。それはあとで触れるとして、ともあれ反田はアンコールに、シューマンの歌曲集「ミルテの花」の中の「献呈」の、リストによる編曲版を弾き、これも抒情的でよい演奏だった。但し、これはわざとなのだろうか、旋律線が、過度な情緒によってというべきか (?)、少し崩れているようにも聴こえた。私個人の好みでは、さらにくっきりと旋律が聞こえてきて欲しかったような気もした。

さて、後半のハイドン初期の 3曲でも、それぞれの曲の前で井上の解説が入った。エステルハージ宮廷の副楽長に就任した 29歳のハイドンが、1日の 3つの時間帯をテーマに書いた連作である (プログラムの解説によると、実は 4部作だったという説もある由)。例によって身振り手振りを交えて大変楽しい解説ぶりであったが、この 3曲、いや実に見事な演奏であった。私はハイドンが大好きで、番号つきだけで 104曲を数える彼の交響曲の全集を、ドラティ盤とアダム・フィッシャー盤の 2種類所有しており、前者は、随分以前だが、全 33枚をすべて聴いた (因みにハイドンは、ほかに弦楽四重奏曲とピアノ・ソナタも、各全集を踏破した)。また、こんな本も手元にあって、時々開いて見ている。各曲の解説は簡単ではあるが、ともすると数の多さに目がくらんでしまいそうになるハイドンのシンフォニーの、特にマイナーな曲に対してイメージを持つには、なかなかよい本である。
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だがまあ、お勉強はさておいて、喜悦感溢れる演奏でないと意味がないハイドンのシンフォニー、生で聴いて満足するのは意外と少ないことである。まずは弦楽器のニュアンスと、合いの手を入れる、いや時には喜々としてソロを取る管楽器の自発性が、高い次元で結びつかないといけない。その点、さすが井上と OEK、どの曲も表現力豊かで余裕のある仕上がりであった。弦楽器は、第 1ヴァイオリンと第 2ヴァイオリンを対抗配置とし、サイズは、第 1ヴァイオリン 8、第 2ヴァイオリン 6、ヴィオラ 4、チェロ 4、コントラバス 2。さてここで見事であったのは、コンサートマスターだ。このような大柄な女性で、その名をアビゲイル・ヤングという英国人。彼女が手に持つ楽器が、例の Lang であろうか?
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この人のソロは、その勢い、緩急、存在感、物理的な音量の幅、表現力の豊かさ、どれをとっても極上で、しかも、オケのリーダーとしての資質も充分。彼女に先導されて、全弦楽器が大きく共鳴して響き渡っているように聞こえた。岩城時代からのコンマスであるようだが、このような人をずっと中心メンバーとして持っている OEK は、素晴らしい団体であるわけである。「朝」「昼」「晩」のいずれも見事な演奏で、井上も、いつものように時にわざとだらけて、また時には強く集中して、曲想の変化を描き切った感がある。ただ、「晩」の最終楽章 (嵐の描写) の前に、「僕がやめるとなるとなぜか話が来るんです。次は嵐」とコメントしたが、一体どういう意味だったのだろうか。そこは謎だったが、ともあれ、大きな充実感を持って演奏が終わると、楽員から花束を贈呈された井上は、このようなふざけた格好で受領 (この写真は金沢での公演時のものをお借りしました)。
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そしてアンコール。井上が語るには、「ここはサントリーホールで、ほかのホールのことを喋るのは気が引けるけど、東京オペラシティのコンサートホールは、タケミツ・メモリアル。これは、皆さんご存じだと嬉しいんだけど、作曲家の武満徹さんに因んだものです。この武満さんの『ワルツ』を演奏します。この曲を演奏させたら、僕とアンサンブル金沢は、世界のどのオケよりもうまいんで」と。そして始まった、これも私が大好きな映画「他人の顔」のワルツは、これはもう、情感を込め過ぎてすすり泣きのように響く音楽。普通はもっと淡々と流す演奏が多いと思うが、これだけ思い切った表情をつけると、もともと退廃的なドイツ・ワルツであるから、それはそれはノスタルジックな響きが立ち昇り、旋律すら揺れてしまっていた (あ、ということは、前半の反田のアンコールは、このスタイルを先取りしたものだったのか!!)。私の隣の席の女性など、感極まってついに涙を拭き始めたが、そこは井上のこと、最後の和音とともに上着を脱ぐと、両袖に違う色の水玉模様をあしらい、背中にはカラフルな模様のついた、ド派手なシャツで、聴衆を爆笑せしめたのである。そんなおちゃらけで感傷を排除する井上も、今回がこのオケとのお別れということで、全楽員と握手する際には、さすがに感慨深げな顔をしていたのであった。

考えてみると、私がこの指揮者をテレビ番組「オーケストラがやってきた」で初めて知ってから、既に 40年ほど経っているであろうか。彼の活動は、近年いよいよ充実して来ていることを実感する。上で、ハイドンの交響曲の上質な演奏は難しいと書いたが、日本のオケで、そのハイドンの交響曲全曲演奏という偉業を達成したところがある。それは新日本フィルなのだが、その頃のこのオケの音楽監督が、ほかならぬこの井上道義であったのだ。例えばこれは、そのシリーズの第2回、1988年 (奇しくも今から 30年前、OEK 設立の年だ)2月14日に、当時お茶の水にあったカザルス・ホールのオープニング記念シリーズの一環として行われたコンサートのプログラム。このときは交響曲第 4・5・6番。つまり、3曲目は、今回も演奏された「朝」である。
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もちろん 30年前の演奏をつぶさに覚えているわけではないが、その音楽の自在度において、今回は前回を遥かに上回っていることは確かだろう。だが、今日の彼の演奏があるのは、そのようにコツコツ積み上げてきた彼のこれまでのキャリアがあるからだろうし、また、今こうして彼の音楽に感動している私の脳か心臓のどこかに、そのとき聴いた音の断片が未だに残っているものだと思う。だから、ある音楽家を聴き続けることは本当に大事だし、聴衆ひとりひとりのそのような音楽経験の重なりが、東京の文化の発展に寄与するのだろう。既に昨年大阪フィルの首席指揮者を退任し、今年また OEK をやめると、一旦どのポストからもフリーになるようであるが、さて、彼はこれからどこに向かって行くのだろう。そんなことを思うミッチー・ファンに、とびっきりの朗報がひとつ。今回の演奏会で配られた単色刷りの速報チラシに、彼が読売日本響と、なんとマーラーの超大作、交響曲第 8番「千人の交響曲」を指揮すると発表されている!! 期日は今年の 10月 3日 (水)。会場は東京芸術劇場。彼のこの曲は、数年前に名古屋でアマチュア・オケの混成部隊を指揮した演奏を聴いたことがあるが、正直、残念ながらあまり出来はよくなかった。今回こそ、この超ド級のシンフォニーの神髄に迫ってくれることだろう。期待しております!!

by yokohama7474 | 2018-03-20 00:48 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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