アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝 東京国立博物館

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東京にいると、まあそれは本当にあらゆる美術展に触れる機会があって、誠に興味尽きないとともに、いつどこでどんな展覧会が開かれているかに注意していないと、新たな美術分野との出会いを逃してしまうことがある。その点この展覧会などは、なかなか類似の企画がないものであるところ、大人気であった「仁和寺と御室派のみほとけ」展とかなり会期が重なる時期に、同じ東京国立博物館で開かれていたおかげで、「へー、こんなのやっているんだ」と気づくことができた。だが、その「仁和寺と御室派のみほとけ」展の記事で既に述べた通り、その展覧会に最初に出掛けたときには、混雑のために観覧に予想以上の時間を要したために、こちらの展覧会を見ることができなかった。それゆえ、会期中にもう一度現地を訪問し、二度目の仁和寺展とともに、この展覧会を堪能したのである。但し、同じ東京国立博物館での開催とはいっても、仁和寺展の方は平成館、こちらは表慶館での開催であった。
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題名のごとくこの展覧会は、アウジアラビアの歴史遺産を紹介するものである。イスラム教の聖地メッカを擁するサウジは、当然典型的なイスラム国家として我々は認識しているのであるが、だが、実はイスラム教以前からも文明はあったわけである。中東地域はヨーロッパとアジアの中間であり、盛んな交易が行われた場所。また、文明発祥の地という意味では、エジプトもメソポタミアも、この中東地域かその近隣で興ったものであるゆえ、当然といえば当然だが、現在サウジアラビアと呼ばれる地域には、古い文明が重層的に存在した。だが、どうやらこの地域で考古学的調査が本格的に行われ始めたのは、せいぜい過去 40年くらいらしく、その全体像はようやく最近知られ始めたばかりのようだ。この展覧会では、未知のイメージと既知のイメージがからみ合う興味深い展示物と出会うことができたのであるが、嬉しいことに、全作品撮影可能であった!! なので、以下はすべて、私が現地でスマホで撮影したものである。これが建物に入ってすぐのロビーの様子。真ん中に見える、まるでクッキーのように可愛らしい彫刻は、紀元前 3500 - 2500年頃という古い時代の人形石柱で、目と鼻があるだけでなく、襟があり、何やら剣やベルトのようなものも見える。
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これも同じ頃のもの。おぉ、この人は右手を曲げていて、首を傾けて哀しそうな顔をしているではないか。このようなモニュメントは大抵、遊牧民の墓か祭祀施設に作られたものであるらしい。そうするとこの表情は、死者を悼んでいるのだろうか。
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展示コーナーの最初の方には石器の破片なども沢山並んでいたが、ひときわ目を引いたのは、この馬の彫刻である。新石器時代、紀元前 6500年頃のものというから驚く。ちゃんと馬の形をしています (笑)。
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タイマーという大オアシス都市の遺跡があって、そこは交易の十字路であったらしい。そこにはメソポタミア文明の影響力が強かった時代があったらしく、このような遺品が発掘されている。紀元前 5-6世紀の柱の台座または祭壇であるが、ここでは明確な太陽神のイメージと聖なる牛が描かれていて、大変神秘的だ。
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これもタイマー出土の男性頭部だが、これは紀元前 4-2世紀のもの。目の周りに隈取りがあるのが見えるし、その髪型はエジプトのイメージにも通じる。
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さて次が、私がこの展覧会で最も興味深いと思ったもの。堂々たる巨大な石像が 3体、並んでいる。高さは、手間のものから順に、185cm、256cm、230cm。紀元前 4-3世紀のもので、ダーダーンというオアシス都市からの出土。
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このダーダーン (現在名はウラーというらしい) は、上記のタイマーのライヴァルであったらしく、ともに旧約聖書 (!) にその名が登場し、両者間の争いもあったという。いやそれにしてもこれらの物言わぬ彫像は、実に逞しい体躯をしているではないか。城門や建物の守護神であったのか、あるいは、神格化された王の肖像であったものか。もちろん、巨像ならエジプトにはさらにすごいものがあるとはいえ、この未知の素朴さは何か心に残るものがあり、想像力を掻き立ててやまないのである。そうそう、昔、古代文明が巨大ロボットを作っていたというアニメなどもあったでしょ。子供心にその設定には神秘感を抱いたが、オッサンになってもそのような神秘への憧れは変わらないのである (笑)。
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もちろんこのダーダーンには巨像だけでなく、小さな彫刻もあって、これらはやはり、紀元前 4-3世紀の男性頭部。副葬品なのであろうか。どこか古代エーゲ文明を継承している雰囲気すらないだろうか。
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そう、もちろん、ギリシャ・ローマ時代には、この地域もそれらの文明の影響下に置かれることになる。以下の 2点はフレスコ画。上は紀元前 1世紀頃の、葬送を描いたもの。下は紀元前 3 - 紀元後 3世紀の、なんと高層建築を描いた絵画。そんな時代に高層建築があったとは!!
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これもフレスコ画で、1-2世紀頃のもの。饗宴を描いているが、ギリシャのディオニュソス神の図像の影響が明らかだ。
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このような小さな彫刻群も、ギリシャ風に、時にエジプトの要素がミックスされている。右端はもちろんヘラクレス。その左の小さいものはキューピッドのようだが、ハルポクラテスといって、エジプトのホルス神の幼時の像がギリシャ化したもの。ということは、それこそがキューピッドの図像の源泉なのかもしれない。その左も同じハルポクラテスで、姿がギリシャ風であるものの (写真ではよく見えないが) 表情は東方的。そして左端は一風変わっているが、壺を頭に乗せた女性像で、全体の色合いはギリシャ風だが、その姿にはエジプトの要素も伺える。
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面白い混合ばかりなのだが、これも面白い。エジプトのイシス神とヘレニズム世界で信仰されたテュケーという女神の混合したもの。だがこれ、聖母子像の原型のようにも見えないだろうか。
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これも、一度見たらちょっと忘れないだろう。男性頭部で、制作は紀元前 1-紀元後 2世紀頃とされている。もちろんこれは、もともとピカソのように造形されたものではなく (笑)、青銅による等身大の人物像の頭部で、顔がひしゃげてしまっているもの。すごい存在感だ。
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これも同様の青銅の男性頭部で、こちらはちょっと錆びてしまっているが、1世紀頃のもの。素晴らしい造形であると思う。
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金細工も出土している。これはテル・アッザーイルという 1世紀の墓から出土した副葬品で、金のマスクにペンダント、ブレスレッドや手袋まである。埋葬されていたのは 6歳ほどの少女であったという。大変裕福な家庭の墓所ということだろうが、幼くして逝った我が子を悼んで、せめてきれいに飾ってあげようという 2000年前の親の思いが伝わってくる。
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また、これは同じ墓から出た葬送用ベッドの足。素晴らしい彫刻である。
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現代のアラブ地域ではもっぱらアラビア語が使用されているが、古代のアラビア半島には様々な言葉が存在したらしく、各地から碑文が発掘されている。このユニークな石碑は、新バビロニアの支配地で国際共通語として使われていたアラム文字によるもの (紀元前 5-4 世紀)。いや、それにしてもこのデザイン、なんともスタイリッシュではないか。どの時代にも、先鋭的な感覚を持った芸術家がいるものだ。
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展覧会にはまた、古代からの様々な器も展示されていたが、この 9世紀の彩色杯はどうだろう。織部とは言わないまでも、まるで近世の日本の茶碗のようではないですか!!
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それから、イスラム教徒にとっては実に貴重なお宝も展示されていた。これは 17世紀、オスマン・トルコのスルタンによって寄進された、メッカのカーバ神殿の扉である。1930年代まで実際に使われていなかったもの。
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このように、イスラム教以前の古代からのサウジアラビアの文明の遺品に出会うことのできる、大変に貴重な機会であった。かの地までこのような遺品を身に出掛けるということもなかなかできないし、これだけ興味深いものが一堂に会するのは、現地でもそうはないのではないか。仁和寺展の、いい意味での余波を受けて、多くの人たちがこの貴重な機会を堪能されたことと思います。今度から東博に出掛けるときには、複数の展覧会が開かれているか否かを確認してからにしたい。

by yokohama7474 | 2018-03-21 17:17 | 美術・旅行 | Comments(0)  

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