川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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スリー・ビルボード (マーティン・マクドナー監督 / 原題 : Three Billboards outside Ebbing, Missouri)

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日々の生活の中で、はっとする偶然に出会うことがある。もちろん、例えば何かあることを考えているときに、それに関連するものが目に入ったりすると「すごい偶然だ」と感じるわけであるが、実際のところ、人の意識は常に流れていて、目の前にあるものは意識の中にあるものと関係ないことがほとんど。なので、たまには偶然、目の前にあることが自分が考えていたことと一致しても、ことさら不思議ではないと言えるのかもしれない。だが、文化の諸相において、奇妙な偶然はときにインスピレーションと呼ばれ、人間の想像力の源泉と考えられるものである。たとえ偶然であれ、人の内部で考えられることと、外部で発生することに因果関係があると捉えると、世界が広がるとは言えるだろう。・・・なぜにこんなことを書いているかというと、この記事を書き始めた 3/21 (水・祝) の夜、レイトショーである映画を見に行くために出掛けようとすると、書斎の床に置いてあるかなりの数の (ええ、かなりの数の!!) 未聴 CD の山の 1枚にちょっと足が触れて、蹴飛ばしてしまったのである。拾い上げてみると、それはソプラノ歌手キリ・テ・カナワの歌うカントルーブの「オーヴェルニュの歌」という歌曲集の CD だ。そのとき、稲妻のように私の脳裏に走るものがあった。実は、その直前にまさに記事を書き始めていたこの映画は、かなり以前に鑑賞したものなのであるが、その冒頭とラストに、どこかで聴いたことのある歌が使われていて、私はそれを確か、この「オーヴェルニュの歌」の中の 1曲ではなかったかなと思い、これは記事を書く前に確かめないといかんなと思っていたのだ。だが、その後の出張や、連日のコンサート通いとその記事の作成に追われ、なかなかこの映画の記事にまで至らなかった。そうこうするうちに時間が経って、アカデミー賞の発表があり、この映画でフランシス・マクドーマンドがアカデミー賞主演女優賞、サム・ロックウェルが助演男優賞を獲得するという事態も出来したが、それからでも随分と日数が経ってしまっている。そんな状態で、ようやくこの映画の記事を書き始めた。だが、冒頭がなかなかうまく行かず、何度か書いては消して、納得いかない内容でとりあえず下書き保存して、さてレイトショーに出掛けようと思った矢先、この CD を蹴飛ばしてしまったというわけである。ビビビと何かに撃たれた私は、レイトショーから帰ってきて、それまでに書いていたこの映画の記事の冒頭部分をすべて削除し、この話題から始めたというわけだ。

とまあ、書き出しが長くなってしまったが、奇妙な偶然に導かれて私が舞い戻ってきたこの映画。これは本当に素晴らしい作品である。一言で要約するならば、人生のエッセンスが、よいこと悪いこと、すべてぎゅっと詰まったような作品である。今年これまでで見た中では、間違いなくベストを争うものであろう。予告編で明らかになっていたストーリーは、中年女性が娘を殺されるという悲劇に出会うが、なかなか犯人が捕まらないことに業を煮やし、自宅近くの道路沿いに立っている大きな立て看板 (ビルボード) 3枚に、警察を非難する文章を入れる。それを見た警察との間にいざこざが起こり、やがて事態は思いもよらない方向へ。このような立て看板が、人々の運命を動かすことになるのである。
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それにしても、このストーリー展開は全く先を読ませない意外性を常にはらんでいて、画面を見ながら「あっ、そんな!!」とつい叫びたくなるような意想外の事態が矢継ぎ早に起こるのである。この映画には、いわゆる悪人は登場しない。だが、登場人物のそれぞれに、逞しく戦う姿勢と、人間としての弱さが同居していて、それらの要素が複雑に絡み合うことで、実に意外性に富んだ展開となって行くのである。主演のフランシス・マクドーマンドは、私が深く敬愛するコーエン兄弟の片割れ、ジョエル・コーエンの妻であり、コーエン兄弟のデビュー作「ブラッド・シンプル」以降、彼らの作品の数々に出演している。その中には例えば「ファーゴ」のような作品もあって、そこでは、悪気はないが要領の悪い男が、ちょっと嘘をついたばっかりに、どんどんどんどん取返しのつかない方向に運命の歯車が回り出すという設定が、ブラックユーモアを交えて描かれていた。実はこの「スリー・ビルボード」も、それに近いストーリー展開となっている。だが、「ファーゴ」に比べるとこの映画の方が、より救いのない内容であると思う。それというのも、登場人物たちの人間像に奇妙なリアルさがあるからではないか。もちろん主演のフランシス・マクドーマンドの演技は大変素晴らしい (もっとも、そのセリフには何度も 4文字言葉が飛び交い、決してお上品な役柄ではない)。彼女としても会心の演技であるだろう。そして、警察署長を演じるウディ・ハレルソン、その部下を演じるサム・ロックウェルも、それぞれ難しい役柄を、素晴らしく演じている。そう、アカデミー助演男優賞を獲得したサム・ロックウェルの演じる警官の、尊大でありながら実は愛情深く、その一方で自分の持つ権力に安住し、弱い者たちを攻撃するという複雑な性格は、この映画のドラマを大変深いものにしている。人間というものは弱い面が必ずあり、卑怯で臆病であるがゆえに威張りちらすことがある。だがその一方で、そのような人の心の底には、実は善が眠っているケースもあるのである。
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この映画は完全なフィクションであるが、奇妙なリアリティがあるのは、中西部の架空の街、ミズーリ州のエビングの様子がリアルに描かれているからだろう。この映画の原題は、「ミズーリ州エビング郊外の 3枚の立て看板」という意味であるが、田舎の街のそのまた郊外という設定の中に、米国の人たちのリアルな生活ぶりが透けてみえる。彼らはそれぞれに不安や不満を持って暮らしており、凶悪犯罪が起こりうる土壌もそこにある。もちろん人種問題は深い根を下ろしている。ここには今日の米国のリアルな病巣が描かれているのだろう。だがしかし、面白いのは、この映画の設定は、どうだろう、1990年代前半というイメージだろうか。携帯電話は未だそれほどポピュラーではなく、もちろんインターネットが人々の生活を支配しているということもない。私の見るところ、これには理由があって、主人公の女性が起こす大胆な行動は、ネット社会においては SNS で瞬時にして世界に発信されるであろうところ、この映画の設定では、そんな要素があると邪魔になるからだ。彼女は警察を非難するために、ネットで情報を拡散させることはなく、ただその場所を通った人たちだけが認識する郊外の立て看板を利用する。狭い街ゆえ、それは人々の噂として拡散する。そこにはまた、田舎街の人々の Society のあり方が反映されるだろう。かくして主人公の女性は、常にファイティングポーズを取り、真犯人の追求とは異なる次元での、切実なる空回りを演じることになるのである。これは笑えない。だが決して陰鬱なものでもない。人生とは、そのような複雑な要素のアマルガムであるのだ。
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ある意味でこの映画は演劇の脚本のようなイメージを持つ。それもそのはず、この作品の監督マーティン・マクドナーはもともと英国の劇作家で、本作においても製作・脚本を兼ねているからだ。1970年生まれの 47歳だが、既に人生の年輪を刻み込んだような味のある顔をしている。これは只者ではないだろう。この人の戯曲は是非読んでみたいものだが、調べたところ、日本で翻訳は出ていないようだ。今後の出版に期待したい。
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このように、複雑な人間群像をもって骨太のストーリーを鮮やかに演出した素晴らしい映画であるゆえ、人間の真実について考えたい人にはお薦めである。そして、冒頭に書いた通り、この曲の開始部分と終結部分に流れる美しい歌は、私が手元の CD で確認したことには、フランスの作曲家ジョゼフ・カントルーブ (1879 - 1957) の歌曲集「オーベルニュの歌」から、「バイレロ」という曲。実は、鑑賞時にエンドタイトルを見て、歌っている歌手は確認できていた。それはルネ・フレミング。この「夏のなごりのバラ」というアンソロジーに含まれている録音だろうか。赤裸々な人間の姿を描いた映画の中で、見る人にカタルシスを与える音楽であり、本当に気の利いた劇中音楽になっていると思うのである。
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by yokohama7474 | 2018-03-22 23:54 | 映画 | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2018-03-25 21:02 x
この映画のラストに救いを見出すべきなのか、あるいはさらなる悲劇の芽を見るべきなのか、どちらなんだろうと考えていました。二人が街を出たという意味では前者かな、と今は思っています。
Commented by yokohama7474 at 2018-03-25 21:29
> 吉村さん
おっしゃる通り、これはなかなかよく考えられたラストでしたね。憎しみに報いることで新たな憎しみを生む。散々な目に遭ってきた二人は、そのことの愚かさを口にするには既にかなりスレているものの、心の中で何かが共鳴した、そんなシーンでした。
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