ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 2018年 4月14日 サントリーホール

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東京交響楽団 (通称「東響」) も、今月新たなシーズンを迎える。今回指揮台に立つのはもちろんこの人、英国の名指揮者であるジョナサン・ノットである。
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今回の曲目は、なかなかにハードなもので、以下の通り。両曲とも譜面台も置かない暗譜での指揮で、しかも指揮台には手すりもない。まさに指揮者のすべてがさらけ出されるような演奏会である。
 マーラー : 交響曲第 10番嬰ヘ長調から第 1楽章アダージョ
 ブルックナー : 交響曲第 9番ニ短調

クラシックファンなら一目瞭然であるが、この 2曲の共通点は、ともに未完成であること。しかも、作曲者の死がその完成を阻んだという点も同じである。シーズン最初の演奏会で、死によって中断された重い内容の未完成作を並べてくるとは、ノットの並々ならぬ意欲を感じることができるではないか。因みにブルックナーとマーラーは36歳違いと、親子ほども年が離れているが、この 2人は師弟関係にある。だが、ブルックナーの死は 1896年、マーラーの死は 1911年である。その差僅かに 15年。よって、今回の 2曲は、実は、ほとんど同時代音楽と言ってもよいほど作曲年代は近いわけである。このことは意外と認識されていないのではないか。だが時代はまさに大きな転換期。後期ロマン派の終焉、世紀末文化の終焉、大国ハプスブルクの終焉。そしてその後には、モダニズムと戦争の時代が迫っていたのであった。これは現在リンクと呼ばれるウィーンの環状道路 (もともとあった城壁を壊して造営された) の整備途中の写真。国会議事堂や、そのむこうに市庁舎が見える。現在ではリンクを彩る様々なスタイルの建物群の一部としてよく知られたこれらの建物は、ともに完成は 1883年だから、ブルックナーもマーラーも、このような光景を見たはずだ。
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さて、マーラーの 10番は、作曲者が生への憧憬と告別を壮絶な音のドラマに仕立てた第 9番の次に来るべき作品であった。私の以前からの解釈では、第 9番で現世に対する惜別を果たしたマーラーは、この第 10番ではついに、死後の世界に足を踏み入れようとしたのではないか。残されたかなりの量のスケッチをもとに全曲を復元した版もあれこれあり、それらはマーラーの手で完成されたものではないと分かっていても、この曲に憑りつかれた作曲家の姿が浮き彫りになっているので、本当に感動的なのである。それに対し、10番については、補完された完成版ではなく、作曲家自身の手になる第 1楽章アダージョだけしか採り上げない指揮者も多くいる。それは、この楽章だけでも充分コンサートでの演奏に耐える内容を持っているからだ。さて今回の演奏を聴きながら舞台を見渡していて気づいたことがある。この 30分弱の極めて美しい楽章においては、ティンパニは使われていない。それどころか、ホルンを除く金管楽器は、後半のクライマックスである強烈な不協和音が鳴り響く箇所にのみ参加。ということはこの音楽、その多くの場所において、拍節感もないまま、弦楽器が延々と音を紡いで行くという種類のものなのである。もちろん、木管楽器が死の舞踏のようなシニカルな情景を描き出す箇所もあって、それは実にマーラーらしい。そんな複雑な内容の曲であるが、ノットと東響の今回の演奏は、ロマン派の残滓というイメージよりも、20世紀の音楽につながるような先鋭的な要素を強調したものであったように思う。それだけに、例えば冒頭のヴィオラの諦観などにはもう少し暗い情念があってもよいように思ったし、全体的に、絶望による音の進みの力感はあまり感じられなかった。もちろん、音楽の表情の陰影の濃い点にはさすがのものはあったが、この曲の持つ本当の怖さには、今一歩肉薄しきれないもどかしさも感じた点は否めない。

その点、後半のブルックナーの方が、強い説得力のある演奏だったのではないだろうか。ノットの演奏スタイル自体がもともとブルックナーに合っているというイメージはあまりないものの、ここでは隅々までクリアに音が鳴り渡り、音の進みに大変な切実感が感じられた。特に木管楽器の細かいニュアンスが随所において抜群であり、そこに弦や金管の深くかつ輝かしい音が相まって立ち昇る音楽の神々しさには、実に瞠目すべきものがあった。これは、スタイルがロマン的とか現代的とかいう問題を超えて、とにかく音楽それ自体に語らせたような演奏であり、それゆえに深く人々の心に残ったことであろう。ノットと東響も、いよいよ関係が深まってきて、お互いの呼吸がよく合ってきたということだと解釈したい。ここでふと思い立って、このコンビによる同じブルックナーの 8番 (ライヴ盤もリリースされている) を以前聴いたことを思い出し、自分の記事 (2016年 7月11日付) を読み返してみた。そこで私は、演奏の流れのよさには賛辞を捧げながら、いわゆるブルックナーらしい壮絶な神秘性には留保を残している。そう思うと、それから 2年弱の間にこのコンビはやはり関係を深めてきたからこそ、今回の 9番の名演を成し遂げたということであろう。演奏が終わったあとの静寂と、そこから嵐のような拍手が起こる間の、今度は聴衆の側の呼吸も素晴らしかった。今回の演奏は NHK が収録していたので、今回実演で聴けなかった方には是非放送で味わってほしいものである。

こうして東響の新シーズンが始まったわけであるが、今シーズンのプログラムを見てみると、例年にも増して意欲的な曲目が並んでいる。ノット自身は、エルガーのオラトリオ「ゲロンディアスの夢」や、ヴァレーズの「アメリカ」、シュトラウスの「英雄の生涯」などを採り上げ、その他、飯森範親、秋山和慶、ユベール・スダーン、ダン・エッティンガー、クシシュトフ・ウルバンスキらがそれぞれに個性的なレパートリーを演奏するので、どれも楽しみだ。音楽監督として 5年目を迎えたノットの言葉をご紹介しよう。

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世界はデジタル化が進み、テクノロジーは進歩していますが、演奏会での実体験はホールでしか味わうことができません。我々の演奏をもっと身近に感じて頂き、たくさんの音楽体験をより多くの皆様と分かち合いたいと考えています。演奏会でお会いできることを楽しみにしています。
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おっと、NHK の放送だけでは充分でないと、マエストロご本人が言っておられます (笑)。では是非この冊子で、今シーズンの東響の充実ぶりを予感して頂き、ホールに足を運んで頂ければと思います。東京の音楽文化の重要な部分をここに聴くことができるのは、間違いない。
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by yokohama7474 | 2018-04-15 23:20 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

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