川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2018年 4月20日 サントリーホール

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フランスの名指揮者、シルヴァン・カンブルランが読売日本交響楽団 (通称「読響」) の常任指揮者として臨む最後のシーズン、この演奏会が今シーズン初の定期演奏会になる。曲目が大変意欲的である。
 アイヴズ : ニューイングランドの 3つの場所
 マーラー : 交響曲第9番ニ長調

言うまでもなくマーラーの 9番は、この作曲者が完成させた最後の交響曲で、その内容は極めて重い。また、演奏時間も 80分に及ぶため、この曲がコンサートの曲目になる場合には、単独でその日のプログラムを占めることも多い。だがもちろん、そうばかりではなく、15分程度の曲を前座に持ってくることもある。ただそれにしても、前座に演奏するのが、例えばモーツァルトの短い交響曲などではなく、アイヴズだという点にまず、カンブルランの指向する音楽のイメージが沸いてこようというものだ。つまり、20世紀初頭にあって、それから過去に向かうロマン的なマーラーではなく、未来につながる現代性を纏ったマーラーであるということだ。これはカンブルランという指揮者の特性を考えると充分理解できること。読響との最後のシーズンにノスタルジーに浸るのではなく、複雑な音の錯綜を捌いて、このオケと築き上げてきたものを聴衆に問うものとなるだろうと思って、期待を持って出掛けたのである。
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マーラーのファンなら、彼がニューヨークでアイヴズの作品のことを知り、自ら演奏することを希望したという話を聞いたことがあるだろう。チャールズ・アイヴズ (1874 - 1954) はニューヨークに暮らした極めてユニークな作曲家で、現代音楽の先駆者であるが、その作品の特徴は、ひとつは米国の民衆音楽の断片をその素材として使っていること。もうひとつは、全く異なる要素の音楽を意想外な方法で組み合わせることである。これらの点に、マーラーの交響曲との共通点 (民俗的な要素を使ったり、神聖さと俗っぽさが瞬時に入れ替わったりという意味で) があるとは言えるであろうから、晩年に活動の場をニューヨークに移したマーラーが、このアイヴズに興味を持ったことは理解できるのである。そのアイヴズ、保険会社に勤務する傍らで作曲を行い、また作風があまりに前衛的であったせいで、ある時期までは全く音楽界から無視される存在であったようだが、レオポルド・ストコフスキーやユージン・オーマンディ、またレナード・バーンスタインらが積極的に採り上げ、今では米国の音楽史になくてはならない存在になっている。だが、日本ではその管弦楽作品が演奏される機会はそれほど多くない。恐らくは、技術的には難易度が高い割に、曲の内容にはとりとめのなさが残るので、演奏効果の点に難があるということだろうか。今回演奏された「ニューイングランドの 3つの場所」は彼の代表作のひとつで、文字通り米国東海岸のニューイングランド地方の 3つの場所を題材にしている。演奏時間は 20分弱で、作曲には 1908年から 1923年までという長い年月を要している (3曲別々に作曲されたようだが)。様々な音が混淆するその音響は、まさにアイヴズの世界。今回のカンブルランと読響の演奏は、予想通り大変にクリアな音像を提供してくれたが、ただこうして生演奏で聴いてみると、そのごった煮感を楽しめるか否かで、随分と聴き手側の受け止め方が変わってくるという思いを抱いてしまう。つまり、マーラーのような、様々な要素が組み合わさっていても聴き手を飽きさせないプロフェッショナルな音楽とは、少し違うということだろう。私は第 2曲「コネティカット州レディングのパトナム将軍の兵営」が好きで、時々冒頭部分などを無意識に口ずさむことがあるが、今回面白かったのは第 3曲「ストックブリッジのフーサトニック川」である。ここではなんと、オルガンまで使われていて、イングリッシュホルンが抒情的な旋律を吹くかと思うと、いつの間にか、まるでメシアンのように浮遊感のある音楽に変容して行く。豊かな自然に恵まれたニューイングランドの夕焼けのような音楽であり、郷愁すら覚えたのであった。ところで、ニューヨークで作曲され、やはりイングリッシュホルンで有名な曲がなかったか。そう、ドヴォルザークの「新世界から」である。この曲の初演は 1893年。アイヴズがこの曲を作曲し始める、ほんの 15年前なのである。ドヴォルザーク - アイヴズ - メシアンの系譜は、なんとも面白いではないか。そうそう、そう言えば、アイヴズと同じく、保険屋でありながら創作活動に勤しんだ芸術家がもうひとりいる。それは言うまでもなくフランツ・カフカ。アイヴズより 9歳下で、両者に交流があったとは思えないが、カフカは奇しくもドヴォルザークと同じチェコの人。それから、マーラーも、現在のチェコの地で生まれている。奇妙な連鎖を思う。これは老年に至ってからのアイヴズのカラー写真。
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さて、メインのマーラー 9番であるが、これもある意味では予想通りの演奏スタイルであったと言えようか。つまり、感傷を排し、冷徹なまでにリアリティを持つ音響世界である。激しい箇所での燃焼度に不満があるわけではなく、終結部の静寂にも聴くべきものは大いにあったと思う。決して凡庸な演奏ではない。だが、全体を通して、もっと深い呼吸で音楽が息づけば、もっとよかったのにと思う。冒頭部分から、管楽器の弱音にはいつもながら課題を感じ、激しい不協和音で音楽が大きく展開する箇所では、弦にもさらに深い表現力を求めたいと思ったのだが、結局その印象が多かれ少なかれ、最後までつきまとってしまった感がある。多分、あと何度かこのコンビでこの曲を演奏すれば、呼吸が深まってくるのかもしれないが、今回のプログラムは 1回のみである。その点は多少残念な気がした。思い返してみると、このオケは以前に、ハインツ・レークナー、ゲルト・アルブレヒトという指揮者とこの曲を演奏し、録音も残っているが、いずれも似たようなタイプの演奏であったように記憶する。このスタイル自体を否定するつもりは毛頭ないが、このような底知れぬ深い世界を抱える曲の演奏には、いかに一流の指揮者と一流のオケであっても、様々な試行錯誤の繰り返しが必要なのかもしれない。恐ろしい曲なのである。

さて、ここで一枚の写真をご紹介したい。不鮮明な古い写真だが、どうやら広い公園のようなところを、男性とその幼い娘が歩いているようだ。
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これは、グスタフ・マーラーその人と、その次女アンナ・ユスティーネ。歩いているのはニューヨークのセントラル・パークであり、1910年に撮影されたものである。彼の交響曲第 9番はまさにその 1910年、ニューヨークで浄書が完成したというから、ちょうどこの写真は、その頃に撮られたものであろう。マーラーはこの写真の 1年ほど後にこの世を去っている。第 9交響曲は彼の死後、ブルーノ・ワルターによって初演されているから、マーラー自身は実際にそれが音になったものを聴いていない。ということは、あの壮絶な音世界は、この時点では、この世界において唯一、マーラーの頭の中でしか鳴っていなかったことになる。一方、この頃アイヴズは保険稼業のかたわら作曲を続ける 36歳。時間はどの一瞬も停まることなく進み続けるが、もしかしたらこの写真が撮られたその瞬間、マーラーの頭の中には第 9番の音響が渦巻いており、同じニューヨークのその近隣では、アイヴズの頭の中で、「ニューイングランドの 3つの場所」が鳴り響いていたかもしれない。100年以上前の音響の混淆に思いを馳せると、この何気ない写真も、どこか切なく、だが高揚感のあるものに見えてくるのである・・・。

by yokohama7474 | 2018-04-21 01:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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