ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : マリア・ジョアン・ピリス) 2018年 4月21日 NHK ホール

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90歳にして、矍鑠という言葉すらも必要ないほど活発な指揮活動を続けているヘルベルト・ブロムシュテットが指揮する NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の 2つめの定期公演のプログラムである。N 響の桂冠名誉指揮者であるブロムシュテット自身が語る通り、今回彼が振るのはベートーヴェンをテーマとしたプログラムばかり。前回は若干変化球であったが、今回はこのような真っ向勝負である。
 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第 4番ト長調作品58 (ピアノ : マリア・ジョアン・ピリス)
 ベートーヴェン : 交響曲第 4番変ロ長調作品60

なるほど、4番 + 4番と来たか。しかも作品番号は 2つしか違っていない。それもそのはず、実は私も今回知ったことなのであるが、この 2曲は同じ演奏会で初演されているのである。それは、1807年 3月、ベートーヴェンのパトロンであったロプコヴィッツ侯爵邸でのこと。因みに同じ演奏会では、「コリオラン」序曲も初演されている。これはすごいことなのだが、実は私は、そのロプコヴィッツ侯爵の子孫と知り合いであったのだ。ここで過去形を使わざるを得ないのは、ニューヨークに住んでいた彼は、65歳という若さで、昨年のクリスマスに突然逝去してしまったからだ。葬式には 1,000人以上が参列したと聞いた。私は彼とは仕事上のつきあいしかなかったが、いつか訊いてみたかった、ベートーヴェンのパトロンの子孫とはどういう気持ちかという質問は、永遠にできなくなってしまった。これがその私の友人の先祖である、フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツの肖像。そのパトロネージュによって、ベートーヴェンから多くの作品を献呈されている。
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この演奏会の注目はなんと言っても、ソリストであろう。ポルトガルの名ピアニストで、今年いっぱいで引退を表明しているマリア・ジョアン・ピリスである。N 響のプログラムでの表記は「ピレシュ」となっているが、それが原語の発音に近いのであろうか。
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まさに練達のピアノと指揮である。その期待感によるものであろう、NHK ホールは文字通りの超満員。ここでのブロムシュテットは、指揮棒なし、ヴァイオリン左右対抗配置はいつもの通りであるが、指揮台もなく、ステージの床に立っての指揮である。ピリスのリサイタルに関しては、東京で開かれた 2回の演奏会について既にレポートしたが、感傷を排して音楽そのものに語らせようという彼女のスタイルは、予想通りここでも同じであり、さすがに筋の通った演奏姿勢を再認識することができたのである。この協奏曲の特色は、まず第 1楽章ではピアノがモノローグのようにソロで語り始め、第 2楽章ではその逆で、オケが重々しい音を奏してからピアノの孤独な呟きに耳を傾けるという、その相互関係なのである。そして最終楽章ロンドでは、弾けるような喜びが走り回り、ここで初めてティンパニが入る。今回の演奏は、様々に移り変わるピアノとオケの会話が大変に濃く、音楽的情景の推移が明確に感じられるようなものであったし、何よりも人間の呼吸を感じさせるような自然さが素晴らしい。ピリスのピアノは相変わらず美しく、それに呼応するオケが、第 1楽章から徐々に深い音の世界に入って行くのを聴くのは、まさに音楽の醍醐味であった。終楽章でほんの僅かなもつれはあったものの、ピリスのピアノは技術を遥かに超えたもの。彼女とブロムシュテットの協業は、ベートーヴェンの音楽の力強さと美しさを、ともに明らかにしたと思う。そして、拍手に応えてピリスが弾いたアンコールは、4/12 (木) のリサイタルと同じく、「6つのバガテル」作品 126の第 5曲。ここではまた、先日と同様、ベートーヴェン晩年の不思議な浮遊感が立ち現れたのである。これが私にとってピリスの生演奏を聴く最後の機会だということも当然思い起こしたのであるが、感動はあっても感傷はなく、後味のよい演奏であった。ところで今回の会場には、ピリスによる "Creative Journey" なるアプリの宣伝が、名刺大の紙に印刷されて置いてあった。このアプリ自体の内容はよく分からないが、ここに記されているピリスの言葉を、例によって私が勝手に翻訳してみよう。

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芸術や音楽は、人間の魂の最も深い表現であり、また、私たちが暮らす世界を直接映し出すものです。どんな人でも芸術家として生まれついていて、芸術は地球上の誰とでも共有できるものだと思っています。
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そして後半に演奏されたベートーヴェン 4番は、実に活き活きとした推進力に満ちた名演で、相変わらずブロムシュテットという指揮者の紡ぎ出す音楽の純粋なことに、大変深く心を打たれたのである。この曲では、ファゴットをはじめとする木管楽器がかなり重要な役割を果たし、今回の N 響の木管が最初から最後まで完璧だったかと言えば、ほんの少しの傷があったことを思い出さざるを得ない。だが、音楽の神秘は、音が正確か否かなどという次元を遥かに超えて、そこに立ち現れる音響空間の説得力にこそある。ここで鳴っていた音楽は決して重くないが、確かにドイツの伝統の響きがしたのである。つまりは、指揮者とオケのそれぞれの持ち味がうまく表れていたと思う。ブロムシュテットが N 響と取り組み、ほかでもないこの東京で達成している成果は、それを聴いたことがあるか否かで、その人の音楽人生に影響するほどのものではないだろうか。折しも今日の東京は、夏のような気温ながら、空気が乾燥して大変気持ちよい気候。聴衆は皆幸せな気分で家路についたことだろう。

さてここでまた、私の脳髄が疼き出す。確か、ピリスがソロを弾き、ブロムシュテットと N 響が伴奏した演奏会が随分以前にあったはず。そして、今回配布されたプログラムをよく読むと、ピリスの N 響との共演は今回が 3回目で、前回は実は 1992年のモーツァルトのピアノ協奏曲 17番であった由。なるほど。今回もまた、自宅のアーカイブを探してみて、やはり出てきました。1992年 11月 5日に生放送された演奏会から、何枚か写真をご覧に入れよう。
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これがピリスと N 響の 2回目の共演。せっかくなので、こうなると最初の公演も知りたいもの。調べてみて判明したことには、それは、1983年 1月、岩城宏之指揮で演奏したモーツァルトの 26番、27番であった。つまりピリスは N 響とは 35年来のつきあいということになる。今回、四半世紀を経ての日本での共演であったブロムシュテットとピリスであるが、ピリスの引退によってこれが最後の顔合わせになることは残念ではある。だがピリスの言う通り、芸術とは誰とでも分かち合えるはずのもの。この共演は、後世に語り継がれて行くことだろう。

by yokohama7474 | 2018-04-21 23:24 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

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