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ピエタリ・インキネン指揮 日本フィル 2018年 4月27日 サントリーホール

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日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) の今月の定期は、首席指揮者ピエタリ・インキネンの登場である。曲目は大変興味深く、オール・ワーグナーである。
 歌劇「タンホイザー」序曲
 歌劇「ローエングリン」から第 1幕、第 3幕への前奏曲
 言葉のない「指環」(マゼール編)

このインキネン、日フィルの首席指揮者として、9月でまる 2年になるし、その前は首席客演指揮者であったので、日フィルとの共演はますます深くなっているわけであるが、その彼がこのオケで採り上げてるレパートリーとして、ワーグナーはひとつの柱になっているようである。このブログでも既に、昨年 5月の「ラインの黄金」演奏会形式上演を記事として採り上げたことがある。だが今回の曲目は、ひとつのオペラ作品を通しで演奏するのとはまた違った難易度のあるものではないか。最初に置かれた「タンホイザー」序曲は、オペラの序曲としては異例に長い 15分ほどの曲である上、そのうねり上がる高揚感は並大抵のものではないし、「ローエングリン」の第 1幕の前奏曲にはキラキラした繊細な音が必要である一方、第 3幕への前奏曲には輝かしい爆発力が必要。そして、休憩を挟んで演奏されるのは、あの超大作「ニーベルングの指環」の抜粋で、休みなしの70分である。うーん、やはりきつい。「言葉のない『指環』」については、あとで述べる通り、編曲者のロリン・マゼール自身が 2012年に NHK 響で演奏したときは、それだけで当日のプログラムのすべてであった。なので、今回の曲目構成は多少強行軍であっても、それだけ、インキネンがこのオケにワーグナーを演奏させたいという意欲が強いということだろうか。
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彼の経歴を見ると、既に 2013年と 2016年にメルボルンで「指環」4部作を指揮しているほか、NAXOS レーベルのサイトにおけるインタビューでは、その年はワーグナー生誕 200年で (ということは、2013年だ)、パレルモのマッシモ劇場でも「指環」を指揮しているとある。な、なんということ。パレルモは言うまでもなくシチリアの都市で、あの「ゴッドファーザーパートIII」のクライマックスのロケ地として大変有名だし、実はワーグナー自身が、1881年から82年頃らしいが、この街に滞在していたことがある (ルノワールによる肖像画も、ここで描かれたらしい)。のみならず、グランドホテル・ワグネルなる、この作曲家に因んだ名を持つホテルのバーは、なんとなんと、あのヴィスコンティの「山猫」で撮影に使われたとのこと。うーん、無性に行ってみたくなってきたぞ、パレルモ。これが、若き日のルノワールが描いたワーグナー。
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例によって脱線しまくっていますが、ともあれ今回の演奏、ワーグナーに情熱を傾けるインキネンの思いは伝わってきたのだが、正直なところ私には、第一級のワーグナー演奏というには少し課題があるように思われた。まず全般的なことで申し上げると、これまでもインキネンの演奏会の感想で書いたきた通り、この指揮者は、強烈な音の威力で聴衆を圧倒するというタイプではなく、まずレパートリーとしてワーグナーに対する適性があるのか否かという疑問を、まず抑えることができない。それから、日フィルも、好調時には素晴らしい演奏をすることはよく知っているつもりであるが、やはり、今回のような演奏会には必要であろう、ワーグナー作品の全曲演奏の経験という点では、東京のほかのいくつかのオケと比べて、ハンディがあるように思う。例えば「タンホイザー」序曲は、15分の中に様々な要素が詰め込まれていて、そこにはこのオペラのテーマである、宗教性と官能性の対立といういかにもワーグナーらしいテーマもある。これは何より怪しい音楽であるがゆえに、華麗に、かつ強く演奏して欲しい曲。とにかく壮絶な音楽に至るラストは、美感が吹っ飛ぶくらいの、鳥肌立つ迫力で聴きたいものである。日フィルの金管は頑張っていたが、弦にはもっともっとうねり上がるしつこさが欲しいものだと思った。次の「ローエングリン」第 1幕前奏曲は美しい演奏で、名コンサートマスターである木野雅之のソロも素晴らしい。だが第 3幕への前奏曲では、やはりもっとぶっ飛ばすような力が欲しいと思ったものだ。ある意味で予想通りとも言えるのだが、ピンキネンの指揮の持つ美感は、ワーグナーの暴力的な部分とは少し距離があるというイメージを、今回も変えることができなかった。

後半は、超大作「ニーベルングの指環」4部作の音楽のダイジェスト版である、「言葉のない『指環』」である。これは、名指揮者として知られたロリン・マゼール (1930 - 2014) が 1987年に編曲し、ベルリン・フィルと初演・録音したヴァージョンだ。
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マゼールについては、クラシックファンは当然よくご存じなので、詳細をここで記すのはやめておくが、私がクラシックを聴き始めた頃には中堅どころのトップ指揮者のひとりとして活躍していて、そのまま、死ぬまでトップのひとりにい続けた人だ。とにかく何でもできる人だったし、若干奇をてらう癖の強いところもあったので、嫌う人も結構いたものだ。私にとっても、決して常に大好きな指揮者であったとは言えないものの、素晴らしい演奏を何度も聴いたものだし、冷静に考えてみると、やはりとてつもなく偉大な指揮者だったのだと実感できる、そんな人である。老年に至ってから突然作曲を始め、管弦楽曲や協奏曲、あるいはオペラ (ジョージ・オーウェル原作の「1964」をオペラ化したものを、私は作曲者自身の指揮でミラノ・スカラ座で見たこともある) まで、様々な作品を書いて、それらは結構面白いのである。この編曲も、いわば作曲活動の変形のようなものではないか。先日、パーヴォ・ヤルヴィと N 響が、やはりこの「指環」の抜粋を演奏したが、それは原作通りの曲順ではなかった。だがこのマゼール版は、忠実に原作の順番に従って音楽を抽出したもの。ちょっとふざけて言ってしまえば、長い映画のヴィデオを早送りしながら、いいシーンだけ見ては飛ばし、見ては飛ばししている、そんな感じである (笑)。「歌のない『指環』」とはよい題名で、ここでは歌手は登場せず、管弦楽曲として演奏される (一部、本来歌がついている箇所で、楽器で人の声を代用している)。もちろん、この 4部作における主要な管弦楽曲は、ほとんど網羅されているばかりか、通常は演奏会でオケによって演奏されることのない曲も含まれている。ただ私としては、「ヴァルハラ城への神々の入場」が含まれていないことと、「ワルキューレ」第 1幕の前奏曲が、壮絶な盛り上がり (ティンパニが雷を模して轟く箇所) の後からしか入っていないことが、残念と言えば残念であった。この 2曲は、いわば連続しているわけだから、その部分、合計 15分くらいを足してくれてもよかったのに、と思う次第 (笑)。さてこの演奏には、充実感と課題の双方を感じることになった。迫力という意味では、ここでも多くの箇所で金管は頑張っていたし、様々に活躍する木管陣も立派、ティンパニも万全。加えて、ソロ奏者の辻本玲を中心とするチェロの音の、素晴らしく充実していたこと!! だがその一方で、これだけ情景が移り変わる中での、大きな流れのようなものが、時に感じられなかったのはどういうわけか。前述のようなインキネンの豊富な「指環」経験を思うと、この曲は充分手の内に入っているはずだが、さらに強い集中力と前進力が欲しいと思った瞬間が、何度かあったように思う。大変負担の重いレパートリーであるがゆえに、このオケのオペラの演奏経験が増えてくれば、さらに音が練れてくるのかもしれない。2012年10月にマゼール自身が N 響でこの曲を演奏したときには私も聴いたが、詳細は既に忘れてしまったものの、マゼールらしい強い表現力に感動した記憶は残っている。インキネンと日フィルが、今後また違った個性によって、人々にさらに大きな感動を与えてくれることを期待しております。

さて、最後にまた、川沿い脱線タイム。マゼールはとにかく膨大なレパートリーを誇った人であったが、この「指環」全曲の録音は残していない。と思ったら間違いで、実は 1968年にバイロイトで行った演奏が、日本では新潮社のオペラブックの附属 CD (14枚組) として発売されたことがある。1997年のこと。
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私は新潮社のオペラブックは何冊か持っていて、必ず貴重なライヴ CD がついているのが有難かったが、この「指環」は、セット物で値段が高かったのと、どうせ録音が悪いだろうと思ったことで、結局購入しなかった。今では入手困難になってしまったが、機会があれば探してみたい。マゼールは 1960年に、「ローエングリン」を振って史上最年少の 30歳でバイロイトにデビューした人。その 8年後に「指環」ツィクルスを任されるという躍進ぶりであったわけだ。当時マゼール 38歳。ちょうど今のインキネン (37歳) と同世代であったということになる。今から半世紀前のこの録音を聴くことができる日が来れば、そんなことも考えながら聴いてみたい。そして、インキネンの次のコンサートにも期待しよう。

by yokohama7474 | 2018-04-28 00:33 | 音楽 (Live)