シェイプ・オブ・ウォーター (ギレルモ・デル・トロ監督 / 原題 : The Shape of Water)

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言うまでもなく、昨年のヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を獲得し、今年のアカデミー作品賞及び監督賞を受賞した作品である。以前もこのブログに書いたことであるが、私の場合には、アカデミー賞受賞作であることと、その映画を見たいと思うか否かには、ほとんど関連性がない。換言すると、アカデミー賞を受賞した作品だから見なくてはならないという思いはほとんどなく、ただ面白そうか否かだけが、その映画を見る理由になる。この作品の場合はなんといっても、ギレルモ・デル・トロの監督作品であることが、見に行こうと思った理由である。1964年メキシコ生まれのこの監督の前作「クリムゾン・ピーク」は、随分以前にこのブログでも採り上げた。もちろんその前に、あの素晴らしいスペイン映画「パンズ・ラビリンス」を監督したという事実があるため、私にとっては無視できない人なのである。
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この映画の内容は、単純と言えば単純。言葉を喋ることができない 40前後かと思われる女性イライザが、米国の秘密研究所で、何やら半魚人のような生物に恋い焦がれてしまう。孤独な世界に閉じこもっていた彼女は、半魚人の存在に心動かされ、水槽に囚われた「彼」を救おうとする。ときは 1962年。冷戦の真っ最中であり、ただ目の前のことに心を砕く純粋なイライザの思いとは全く違った次元で、つまりは国と国のレヴェルで機密事項において、苛烈に争い合う人々がいる。イライザはやがて、半魚人の身の危険を察し、彼をかくまおうとして大胆な行動に出るのだが、果たしてその純粋な思いは報われるのか・・・。こんなお話である。これはファンタジーであり、この監督が得意とする分野の作品なのである。水槽越しに芽生える愛?
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忘れないうちに書いてしまうと、この映画と、先の記事で採り上げた「ヴァレリアン」には共通点がある。異形の者が出て来るという点もさることながら、もっと現実的な情報で、それは何かというと、音楽担当者である。アレクサンドル・デスプラという作曲家で、1961年生まれのフランス人。これまでにも様々なタイプの映画を担当していて (そのうちの何本かはこのブログでも紹介した作品である)、現代を代表する映画音楽作曲家のひとりと言えようが、実はこの「シェイプ・オブ・ウォーター」で、アカデミー作曲賞を受賞している。この映画、上述の通り、作品賞、監督賞に加えてこの作曲賞と、それから美術賞も含めて、4冠に輝いたのである。これがオスカー像を抱くデスプラさん。
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だが正直なところ、この映画に使われていた音楽が印象に残って忘れられないかというと、そういうことでもない。いや、正確に言うと、雰囲気はそれなりに思い出せるものの、一度聴いたら忘れられないメロディというものはあまりなかったと思う。それよりもこの映画では、舞台となった時代よりもさらに遡る頃のオールディーズが耳に残っている (主人公イライザは、ポータブルのレコードプレイヤーを施設に持ち込み、半魚人に音楽を聞かせたりする)。それはなんともノスタルジックであり、人の心を決して逆なでしない、温かい音楽。内容には怪奇性や閉鎖性のある映画であるが、そのような音楽の使用で、雰囲気が中和され、映画自体のメッセージが明確になっていたように思う。

ここで突然話題を転じると、私はつい最近、仕事の関係である会に参加したのであるが、そこで初めて知った言葉がある。それは、"D & I" である。もしかするとこの言葉に馴染みのある方もおられるかもしれないが、私は恥ずかしながらこれまで聞いたこともなかった。D & I、つまりは Diversity & Inclusion である。そのときの女性講師が冗談めかして言っておられたことには、このダイバーシティという言葉は、お台場にある施設の名前ではないということ。いやいや、それはそうですよ (笑)。日本語で言うと、「多様性」である。そしてインクルージョンとは、直訳は「含めること」であり、この場合は「受容」という意味であろう。つまり、社会において、多様な人々を受け入れる姿勢。その場合の「多様な人々」とは、ある場合には女性であり、また障害者や、あるいは、なんらかの意味での社会的弱者やマイノリティということだと解釈した。これからの社会においては、そのような多様な人々が活躍できなくてはいけないというテーゼであろう。興味深いのは、Diversification (多様化) ではなく Diversity (多様性) という言葉を使っていることだ。そう、人は既にして「多様な」存在であって、わざわざ「多様にする」必要はないというわけであろう。と、話が長くなってしまっているが、私の思うところ、この映画が世間で評価されるのは、D & I をテーマとしているからということも言えると思うし、そう言えば「グレイテスト・ショーマン」も同様のテーマを持っていた。この動きはもしかすると、現政権に対するアンチテーゼかとも思われる。もしそうだとすると、やはりハリウッドの映画作りは、社会の様相を敏感に反映するものなのだと思う。

だが一旦そのことを忘れて、この映画を何の先入観もなしに見てみよう。ちょっと異色の恋愛ものとも言え、かなり凝ったシーンがあれこれある。例えば主人公が暮らすのは、古い映画館の上の階の屋根裏部屋のようなところであり、その敷地はいびつな形で、大変ユニークだ。そこには、主人公のお隣さんなのだろうか、初老の画家がいい味出して暮らしている。主人公が務める研究所も、なんとも古臭くて陰気で閉塞感のある場所だ。これらを見ていると、なるほど、アカデミー美術賞受賞もうなずける。それから、主役のシャリー・ホーキンズも味わい深い演技を披露している。
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この映画においては、懇切丁寧な背景説明はなされない。主人公がなぜ口をきけないのかも、回りの人間の噂話は出て来るが、真偽のほどは明らかにされない。それから、なぜ彼女がここまで深く半魚人に心惹かれるのか、その点の説明もない。だからこれは、細心の気配りを持って作られたセットにおいて展開する、論理的説明という気配りの全くない (?) ストーリーなのである。この点に、人によっては抵抗があるかもしれないな、と思う。私自身も、美しいシーン、ユニークなシーンをすべて楽しむという感じでもなかったことは、正直に述べておこう。「パンズ・ラビリンス」にあった切実な抒情性は、かたちを変えてここにも残ってはいるものの、そのストレートさは減じていると思う。監督の言によるとこの映画は、「愛や寛容さをテーマにして、政治的な要素のほかに、様々な映画の要素を持った力強い『おとぎ話』」とのことだが、なるほどそうかと思う反面、そのごった煮具合に、もうひとつ共感できないものがあったと感じている。まさにこの映画の舞台になっている映画館で上映されたり、白黒のテレビの画面に映っている、古き良き映画の世界では、強く優しい男性ヒーローが、若く美しい女性ヒロインを救出するのが普通であった。その点この映画は、男性は、うーん、きっと男性なのだろう (笑)、人間ではなくモンスターだし、女性は若くもなく、ハンディのせいもあって地味な存在。加えて、男性が女性をではなく、女性が男性を救出するのである。そんな時代になってしまった。モノクロ映画の過去には、もう戻れない。だからこの映画には、戻れない過去へのノスタルジーが満ちているのであろう。
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だが、ラストシーンはまたちょっと別だ。ここには違った生き物同士である「2人」が、新しい世界に入るところが描かれる。ここには希望を見ることとしたい。D & I などという言葉から入るのではなく、多種多様なそれぞれの人に、生きる意味があるということ。それを感じることが重要であろうと思うのである。水のかたちは、容器があればそれに従い、なければ無限に広がって行くという、究極の多種多様である。含蓄深い題名であると思う。

by yokohama7474 | 2018-05-01 22:49 | 映画 | Comments(2)  

Commented by 雨のGWの杜の都 at 2018-05-03 08:26 x
バルタン星人(V)o\o(V)好きな監督だから、ラゴンか?って思ったけど、インタビューか何かで「違う」って言ってたね。《第四惑星の悪夢》(実相寺監督)を連想させる雰囲気もありました。一度でいいから、部屋を水槽にしてみたい❗
Commented by yokohama7474 at 2018-05-03 22:12
> 雨のGWの杜の都さん
円谷作品が現代の映像クリエーターたちに与えた影響というものは、確かにありますね。でもこのモンスターのデザインには 3年かかっているはずで、ラゴンよりはもうちょっと手がかかっているはずですな (笑)。部屋を水槽にする場合は、水漏れしないことを確認してからにして下さい。

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