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チョン・ミョンフン指揮 東京フィル 2018年 5月 3日 軽井沢大賀ホール

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東京のクラシック音楽シーンは、ゴールデンウィークは概して静かである。ただ例外は、毎年 5月 3日から 5日までの 3日間、東京国際フォーラムを会場に大々的に (文字通り朝から晩まで) 開かれるラ・フォル・ジュルネTOKYOという音楽祭である。私は例年その音楽祭の中の演奏会をいくつかを聴きに行くことが多く、これまでにもこのブログで記事にしてもいる。だが今年は、パスすることにした。面白そうなコンサートもあるにはあるが、この音楽祭には大勢の人が集まっていて、少々慌ただしく、ちょっと今年は距離を置いてみるかと思ったもの。いや、もちろん、普段からクラシックを聴く人もそうでない人も、思い思いに楽しめるという音楽祭の趣向は素晴らしく、会場はいつも大変活気があると思うのであるが、普段のコンサート通いに多少疲れを感じている私のような人間は、何も GW まで人込みの中で音楽を聴かずともよいのではないかと、今回は考えた次第である。

さてここでご紹介するコンサートは、ラ・フォル・ジュルネの代わりというわけでは決してないのだが、私としては是非に聴きたいと思ったものである。軽井沢にある大賀ホールにおける、チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) の演奏会だ。このホールは、ソニーの社長を務めた大賀典雄からの寄付をもとに 2005年にオープンしたもので、客席数は 800足らずと、中規模ホールである。実はこのホールではちょうど GW の頃に、春の音楽祭と称する一連の演奏会が開かれる。この収容人数だからせいぜい室内楽かと思いきや、例年フルオーケストラの演奏会があり、私はそれが好きで、時々聴きに来ている。なんといっても今や軽井沢は、新幹線で東京から 1時間ちょっとで来ることができる便利な場所。今回も日帰りで、昼間は勝手知ったる軽井沢の観光 (追って記事をアップしますが、それより前に書くべき旅行の記事がちょっと重量級)、夕方 16時からコンサートを楽しんだ。これが公園内に佇む大賀ホールの遠景。
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韓国出身の名指揮者チョン・ミョンフンと、彼が名誉音楽監督を務める東フィルのコンビによる演奏は、このブログでも既におなじみだが、今月の彼らの活動は大いに注目に値する。あのベートーヴェンの書いた唯一の歌劇「フィデリオ」を演奏会形式で 3回上演するのである (5/6、8、10)。実は今回の演奏会、その前哨戦の様相を呈している。なぜならその曲目は以下の通りであるからだ。
 ベートーヴェン : 序曲「コリオラン」作品62
 ベートーヴェン : 歌劇「フィデリオ」作品72から
  レチタティーヴォとアリア「悪者よ、どこに急ぐのだ」(レオノーラ)
  序奏とアリア「神よ、何という暗さだ」(フロレスタン)
  二重唱「ああ、えも言われぬ喜び!」(レオノーラとフロレスタン)
 ベートーヴェン : 序曲「レオノーレ」第3番作品72b
 ベートーヴェン : 交響曲第 5番ハ短調作品67

なんと、ベートーヴェンづくしである。しかも東京で「フィデリオ」全曲を聴く前に、その一部をここで聴くことができるのだ。注目の歌手は、レオノーラ役がソプラノのマヌエラ・ウール。そしてフロレスタン役はテノールの、おぉ、久しぶりにその名を耳にするペーター・ザイフェルトである。もちろんこの 2人は、東京での全曲演奏でも歌う人たち。彼らの歌唱については追って述べるとして、まずはこの曲目について思うところを書いておきたい。実は当初発表では、「コリオラン」序曲は予定されていなかった。つまりその場合には、前半が「フィデリオ」の音楽 (「レオノーレ」3番は、このオペラの副産物である)、後半が第 5交響曲というシンプルな構成になっていたわけである。だがそこに「コリオラン」が入ることで、プログラムに広がりができた。この選択は実に巧みなのである。ベートーヴェンのほかの序曲では、「エグモント」も有名だが、もし「エグモント」を冒頭に持ってくると、最初の曲でありながら、大いに盛り上がって終わる。その点、静かに終わる「コリオラン」なら、それに続く「フィデリオ」の劇的な世界に自然につながって行くのである。また、もし歌劇「フィデリオ」自体の序曲を冒頭に持ってくると、やはり前半「フィデリオ」、後半「運命」という単純図式になってしまう。なので、やはり「コリオラン」は巧みな選曲であるのだ。
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この小さなホールでオーケストラを聴くのが好きだと上で書いたが、実のところ、ホールの空間自体が狭いがゆえに、豊かな音響効果があるというわけではない。なので、すべてのパートが細部までくっきり聴こえるということには必ずしもならないのだが、それにもかかわらず、特に弦楽器の音が大変な迫力で聴衆に迫ってくるのが、本当に素晴らしい。今回もチョンは、オペラの部分も含めてすべて完全暗譜で指揮をしたが、彼の裂帛の気合がストレートに伝わってくるのが、何よりのこのホールの醍醐味である。「コリオラン」は、フレーズを歌ってつなげていくのがなかなか難しい曲だが、そこは気心の知れたコンビである。実に深い呼吸による卓越した表現力を聴くことができた。

そして「フィデリオ」からの 3つのシーンである。これはなかなかよく考えられた選曲で、まず第 1幕でレオノーレ (政治犯として牢獄につながれている夫フロレスタンを救うため、フィデリオと名乗り、男装して監獄に入り込んでいる) が独白で、囚われの夫を見つけて解放することを決意するシーン。そして、第 2幕冒頭、牢獄のフロレスタンがやなり独白で救いを求め、妻レオノーレを希望の天使に見立てるシーン。そして、2人が相まみえ、抱擁しあうシーンである。つまり、ソプラノ・ソロ、テノール・ソロ、そして二重唱という構成だ。レオノーラを歌ったマヌエラ・ウールは、ドイツ物を中心にドラマティックな歌唱を得意とする人。以前新国立劇場で「ローエングリン」のエルザを歌ったのを聴いたことがある。今回のレオノーラは、ワーグナーやシュトラウスほどドラマティックな役ではないが、かなり強い声で歌い切った。その安定感は大いに評価したい。
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だが真の驚きは、テノールのペーター・ザイフェルトである。この記事の冒頭に掲げたコンサートのチラシの右下に写っているのは確かに彼なのだが、これは、頻繁に彼の名を耳にした頃、つまり 20年かそれ以上前の写真だろう。そのザイフェルトは既に 64歳。体格も立派なら、髪は既に真っ白なのである。これは 2013年にウィーンでトリスタンを歌った際の写真。
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思いついて、1988年と 1992年のバイエルン国立歌劇場 (ウォルフガンク・サヴァリッシュが音楽監督の時代) の来日公演のプログラムを手元に持ってくると、彼は当時の伴侶であったソプラノのルチア・ポップ (素晴らしい歌手だったが、1993年に 54歳で惜しくも死去) とともに、当時の綺羅星のごとき歌手たちの一人に入っている。その後の活躍はあまり耳に入って来なかったような気もするが、近年映像作品になっているものだけでも、バレンボイム指揮の「タンホイザー」の主役 (2014年)、昨年のザルツブルクでのティーレマン指揮の「ワルキューレ」のジークムントなど、実はメジャーなところで活動していたわけである。そして今回、暗い牢獄の情景を表す序奏に続いて彼が歌い出すと、その声のつややかさと深い表現力に、私は感動した。このフロレスタンのアリアは、後半はテンポが上がり、明るい曲調になるのだが、闇から光へ、絶望から希望へという表現が難しい。だが 64歳のザイフェルトは、圧倒的な声量を維持して、その曲調の変化を実に見事に表現したのである。これは嬉しい驚きであった。その後の二重唱も上々の出来であり、舞台ではしばしばその二重唱のあとに演奏される序曲「レオノーレ」3番も、東フィル渾身の演奏。このオケはオペラ経験が在京オケの中で最も豊富であるわけだが、今回歌手たちの伴奏を聴いていると、曲想や歌手の呼吸に合わせて各楽器が歌っているように感じられた。

そして最後の第 5交響曲も、チョンらしいドラマティックな情熱溢れる雄渾な名演。冒頭、ジャジャジャジャーンが 2回繰り返されたあとの弦楽器の走りは、全く間を置かずに始まり、開始早々、推進力を強調した演奏であると知られた。だがそれは性急であることを意味せず、すべての音は地に足がついていて、それぞれに饗応しあうという印象。特に低弦の力強さは特筆すべきで、昨今時折耳にする、ただ流れのよいだけのベートーヴェンではなかった。強い説得力を持って最後の和音が鳴り響いたとき、会場ではブラヴォーがかかり、いきなりスタンディングオヴェイションも出た。それに応えて演奏されたアンコールは、今度はベートーヴェンではなく、ブラームスのハンガリー舞曲第 1番であったが、これも分厚く鳴りながらオケ全体が自在に揺れる演奏で、このサイズのホールでこの音を聴くことのできる幸せに浸ったのであった。

会場で CD を購入すると出演者のサイン色紙がもらえるとのことであったので、ザイフェルトとチョンの CD を購入。前者はなんと、上でも名前に触れた、サヴァリッシュ指揮王立コンセルトヘボウ管の「第九」(1992年録音、もちろん既に全集で持っている録音だ)、後者はチェコ・フィルとのブラームス 4番 (2011年録音)。
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さて、実は私は時折、演奏会の前後に会場近辺で演奏家と出くわすことがあるのだが、今回も興味深い体験をした。午前中に東京から軽井沢に向かったのだが、東京駅のホームで新幹線を待っていると、なんと、マエストロ・チョンが目の前を歩いて行った。マネージャーも誰もついておらず、全く一人きりで、しかも荷物さえ持っていない手ぶら状態だ。その新幹線が軽井沢に到着したとき、楽器を持った人たちが何人も目に入ったので、なるほど楽員さんもこうやって三々五々会場入りするのかと思った次第。そして終演後、駅のホームで上り新幹線を待っていると、今度は明らかに見覚えのある楽員さんたちを大勢お見受けした。なるほど、帰りも何人かで一緒に移動する人、単独で行動する人、いろいろあるのだなと思っていると、またまたマエストロ・チョンが目の前をひとりで、かつ手ぶらで通るではないか (笑)。歩いて行った方向はグリーン車両ではなく、ちょっと奇異な感じがしたのだが・・・。ともあれこの光景は大変興味深い。東京であれだけの頻度で演奏会が行われる中、今や新幹線での移動時間 1時間で行ける軽井沢は、演奏家の方々が思い思いに往復できる場所なのである。いつも東京のホールで聴いている演奏も、軽井沢の爽やかな空気の中で聴くことで、また違った楽しみ方ができるかもしれない。もっとそのような機会があってもよいのでは、と思ったものである。

by yokohama7474 | 2018-05-04 01:14 | 音楽 (Live)