川沿いのラプソディ


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ベートーヴェン : 歌劇「フィデリオ」(演奏会形式上演) チョン・ミョンフン指揮 東京フィル 2018年 5月 6日 オーチャードホール

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ちょうど 3日前、5/3 (木・祝) に軽井沢でその演奏を楽しんだ、チョン・ミョンフンと、彼が名誉音楽監督を務める東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) の演奏会。その軽井沢での演奏会からの流れをもって今回演奏されたのは、ベートーヴェン唯一のオペラ、「フィデリオ」の全曲である。今年は同じ曲が近接して違う演奏会で演奏されることが多い東京であるが、この「フィデリオ」も実は、来る 5/20 から初台の新国立劇場で新演出の舞台が始まる演目。まさか、それを知っていてぶつけたわけではあるまいが、聴き比べは非常に興味深い。新国立劇場でオペラを演奏する機会がほかのオケよりも格段に多いこの東フィルは、さすがに 5/20 に開幕する「フィデリオ」では初台のピットには入らず、そこでは東京交響楽団が演奏する。そして今回、初台の外で東フィルが演奏する「フィデリオ」全曲。このような競争は、東京の音楽水準の向上に貢献するであろうから、大いに結構なことである。

さて、その東フィルのシーズンは通常 4月からであるが、今シーズンは、実は 5月に入ってからのこの演奏会が、開幕コンサートなのである。なぜならば東フィルは、4月は件の新国立劇場で「アイーダ」を、実に 7公演も手掛けていたからだ。そして、シーズンが開幕したと思ったら、ここでもやはりオペラの全曲上演なのである。東フィルにとってオペラは、他の東京のオケと大きく経験の差がある分野。気心知れたマエストロ・チョンとの気合の入った演奏を期待したいところ。
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今回の「フィデリオ」全曲においてチョンは、予想通り譜面台すら置かない完全暗譜での指揮。今回の演奏を一言でまとめるとするなら、このアジアが生んだ名指揮者が、その棒の一振り一振りに乾坤一擲の気合を込めた素晴らしい演奏であったと言えるだろう。オペラにおいて指揮者が果たすべき役割。それをチョンは鮮烈に見せて、また聴かせてくれたと思う。まずはプログラムに掲載されているマエストロの言葉が含蓄深い。まず、オペラの中には演奏会形式で上演する方がよい作品があり、「フィデリオ」はその最高の例のひとつである。この作品の演奏はチャレンジだが、「第九」と同じく人間としての強いメッセージがそこにある。この「フィデリオ」の深遠な音楽の魂はすべて、「レオノーレ」序曲第 3番に集約されている。よって、通常の上演で演奏される、作曲者自身が最終版で序曲として採用した「フィデリオ」序曲の代わりに、その「レオノーレ」序曲第 3番を冒頭に演奏する。この曲はしばしば、第 2幕のフィナーレの前に演奏されるが、それよりも、全体の核心を突くこの序曲は、冒頭で演奏されるべきで、特に演奏会形式で音楽と向き合う場合にはそれがふさわしい。これがマエストロ・チョンの考えであり、冒頭に「レオノーレ」3番のあの重い和音が鳴ることで、このコンサートは開始された。この曲の改訂歴や合計 4曲に及ぶ序曲の作曲経緯について私は多くを知るものではないが、確かにいわゆる「フィデリオ」序曲は、いささか能天気な曲であると言えるであろうし、そこで現れる旋律のひとつたりとも、オペラ本体では登場しないのだ。その点、「レオノーレ」序曲 3番の場合は、劇中に現れる旋律がそこここに含まれていて、そこには有機的つながりがある。長い話を簡単にすると、ベートーヴェンが一旦「レオノーレ」という題名で 1805年にこの作品の原型を初演してのち、あれこれ手を加えて、現行の「フィデリオ」として初演されたのは 1814年。場所はウィーンである。ん? 1814年のウィーンか。高校のときに世界史を選択していた人には、いや、そうでない人にとっても、これは常識であろう。ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序を決めるために、1814年からウィーン会議が開かれ、会議は一向に進まないのに、貴族たちは踊りに明け暮れ、「会議は踊る」と揶揄されたのである。なるほど、改訂版「フィデリオ」の初演にはそのような時代背景があるがゆえに、あのギャロップのようなリズムと、少しとぼけた味わいを持つ序曲が、オペラの冒頭を飾ったわけである。あ、もっとも、実際にはベートーヴェンの作曲が間に合わず、改訂版「フィデリオ」の初演時には、現在の「フィデリオ」序曲ではなく、同じ作曲家の「アテネの廃墟」序曲を演奏したという。これが、踊るヨーロッパ列強の元首たち。
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さて今回の演奏、繰り返しだが、指揮者の統率力が全編を貫き通す、見事なものであった。弦楽器の編成は (先日の軽井沢と同じく) コントラバス 6本であるが、第 1幕前半、つまり音楽が軽みを帯びている箇所では、私の見間違いでなければ、弦の各パートで 1プルト (2人の奏者) は演奏に参加していなかったはず。ここにチョンのきめ細かい音響設計を見ることができた。また、演奏会形式ではままあることだが、この曲であちこちに使われているセリフは、音楽と密接に関係している箇所以外はすべてカットしていて、それも音楽の流れに貢献していた。それから、事前の情報で語りが入ると分かっていたが、それは俳優の篠井英介が担当。あ、この人はテレビで見たことあるぞ。
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実は、この人の語りが随所に出てきて音楽の流れを妨げることを恐れていたのだが、それも全くの杞憂。演奏が始まる前にステージに出てきて、この作品になじみのない人に対して、あらすじを説明したのみであった。確かに、演奏会形式であるから、歌手たちの衣装も充分ではなく、このオペラを知らない人は、まさか女性が男装しているとか、その女性を男と思い込んで恋い焦がれる女性がいるとか、そういったことは想像できないだろう。その意味で、この冒頭の篠井による簡潔な説明は、気が利いたものであったと思うのである。

そして歌手陣。既に軽井沢でその歌唱に接した主役のふたり、つまりはレオノーレ役のマヌエラ・ウールとフロレスタン役のペーター・ザイフェルトは、ここでも大変立派な出来であったと思う。ウールの場合は、軽井沢でのような一部だけの歌唱ではなく、全曲通しての歌唱において、その強い声を自在にコントロールするさまを聴くことができたのが収穫。衣装も凝っていて、男装している場面では、濃紺のドレスの上に黒っぽい短めのコート (襟は大きく切ってある) を着ており、アリアになるとその前をはだける。そして後半、自らの正体を明かす際にはコートを脱ぎ捨てるのだが、前半に着ていたスリットの入ったドレスの上に生地が足してあって、露出を抑える工夫がなされていた。そして、軽井沢の演奏でその好調ぶりを絶賛したザイフェルトは、今回も優れたテクニックを伴う美声を聴かせており、圧巻であった。この 2人の写真がこれだが、以前も触れた通り、このザイフェルトの写真は古すぎですって!! (笑)
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その他の歌手では、ロッコ役のフランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ、ドン・ピツァロ役のルカ・ピサローニ、そしてマルツェリーネ役のシルヴィア・シュヴァルツも安定した出来。それぞれが世界の一線で活躍している歌手であり、マエストロ・チョンのお眼鏡にかなった人たちということになろう。それから、この作品において、出番は少ないが重要なのが、合唱である。今回の合唱は東京オペラシンガーズ。いつもの通り力強い歌唱を聴かせてくれ、危なげない。今回は指揮者に加えて独唱者は皆暗譜であったが、合唱団だけは譜面を見ながらの歌唱。だがその中で、第 1幕の合唱の中でソロを歌った男性 2人は、その場面だけ、譜面を閉じていた。このあたりの呼吸も、チョンの統率のもとで推進力を発揮したそれぞれの演奏者によって、うまく共有されていたと思う。

だがそれにしても、ベートーヴェンはオペラをこれ 1曲しか残さなかったわけであり、ともするとこの作曲家は声楽よりも器楽にその発想の中心があったと言われる。それはそうかもしれないが、それでも、この曲の第 1幕、囚人の合唱の重々しさと、それとは対照的なフィナーレにおける合唱の熱狂とは、やはりともにベートーヴェンの持ち味であると認識する。また、第 2幕冒頭の暗い牢屋の描写は、極めて劇的な雰囲気満点であり、ここだけは器楽的という非難は当たらないだろう。これを聴くと、ベルリオーズがベートーヴェンの影響を受けているということを、実感することができるのだ。今回、フィナーレの熱狂の中で力をセーブしながら強い音響を引き出したチョン・ミョンフンの持つ表現力なくしては、そのようなことを思うことはなかったかもしれないが。さて、チョンが次に東フィルの指揮台に帰ってくるのは 10月。そのときは、すべての音楽ファン必聴の、姉弟共演、つまり、姉のチョン・キョンファとのブラームスが演奏される。競争が激化する東京の音楽シーンにおいて、この指揮者に果たしてもらうべき役割は、本当に重いのである。

by yokohama7474 | 2018-05-06 22:50 | 音楽 (Live) | Comments(4)
Commented by michelangelo at 2018-05-08 21:16 x
yokohama7474様

こんばんは。先日はコメントへのお返事を頂きまして、ありがとうとざいます。

私も時を同じくして初日のフィデリオ公演の鑑賞が叶い、感動の涙が溢れました。見事なディクションに魂が揺さぶられ、一瞬ドイツにいるかのような錯覚を起こした程です。

また、ミョンフン氏の解釈に感銘を受け楽屋へも行ってしまいましたが、アーティスティックな筆跡には、さすがは芸術家ピアニストだと感じました。

ザイフェルト氏との握手、フォークト氏のように大輪の向日葵を思わせ、体温が高く乾いた外交的な手が印象的でした。今日のサントリーホール2回目も、鑑賞したかったです。大成功となりますように。
Commented by 吉村 at 2018-05-08 23:25 x
8日の公演聴きました。ザイフェルトといい、ウールといい、やはり外人の声は必要ですね。存在感があります。
3公演あるということは、完成度の向上にも繋がりますし、こうした名演が多くの人に味わってもらえるのは良い事ですね。
Commented by yokohama7474 at 2018-05-09 19:08
>michelangeloさん
感動を思い出として残していけるのは、音楽ファンの特権ですよね。そこに至る過程で、少しでもお役に立てたなら、ブロガー冥利に尽きるというものです。今後ともよろしくお願い申し上げます。
Commented by yokohama7474 at 2018-05-09 19:14
>吉村さん
おっしゃる通りだと思います。これを 3回繰り返すことで、演奏する人たちにも聴衆にもメリットがありますよね。
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