ミシェル・プラッソン指揮 新日本フィル 2018年 5月12日 サントリーホール

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今週・来週と出張が続き、体力的にも時間的にも気分的にも余裕がないのは否めないのだが、この日私が東京で体験した 2つの演奏会に関しては、いくつか大事なことを書いておきたい。いつもこのブログでは、東京の音楽界の充実ぶりをお伝えしたいと思って、極力個々の演奏会の価値を強調するように心がけている。何度も述べていることだが、音楽評論をやっているつもりはなく、四季それぞれ、また世の中の情勢も移り変わる中で、この極東の都会で開かれる音楽イヴェントの意義や、そこで演奏される曲の今日的意味合いを考察するというのが、ここで私が行っている行為である。だからこそ演奏者や曲目を巡って大いに脱線することもあるのだが、是非その点は所与のものと割り切って読んで頂ければ幸いです。というわけで、今年 2018年の前半における、必聴のコンサートのひとつがこれである。・・・と書いておきながら、どこに向かって声を挙げればよいのか皆目分からないのだが (笑)、このコンサートに集った聴衆は、会場であるサントリーホールの半分ほどであったろうか。なんということだろう。今回新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) を指揮するのは、1933年生まれ、現在 84歳のフランスの巨匠、ミシェル・プラッソンだというのに。
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実はこのコンサート、もともと予定されていたのは全く違う指揮者であった。それは、チェコの名指揮者、ラドミル・エリシュカである。実はこちらは 1931年生まれ、現在 87歳という、プラッソンよりもさらに高齢の指揮者なのであるが、その温かく懐の広い音楽性は、日本でも既におなじみだ。そして曲目も、スメタナにドヴォルザークというチェコ物が組まれていたのであるが、残念ながらかなり早い時期 (今確認すると、昨年 6月) に、キャンセルが発表された。それは、高齢のために、主治医の判断に基づき、昨年 10月の札幌交響楽団での演奏会をもって日本での活動を停止すると決めたからであるという。それはそれで大変残念なニュースではあったのだが、この高齢であれば、致し方ない。そしてキャンセル発表からしばらくして、この演奏会をプラッソンが指揮することが発表された。これはなんとも心憎いことであった。なぜなら、このブログでも 2016年 4月 4日の記事で採り上げた通り、そのとき新国立劇場でマスネの「ウェルテル」を指揮するはずだったプラッソンは健康上の理由 (骨折だったようだが) で来日中止となり、息子のエマニュエル・プラッソンが指揮をしたことを、鮮明に覚えていたからだ。80を超えた指揮者が健康上の理由で来日中止ともなると、誰しも心配になるもの。だからこそ、エリシュカの代役がこのプラッソンと聞いたときには、小躍りせんばかりに喜んだものである。もしかしたらこの指揮者のことをあまりご存じない方もおられるかもしれないので、簡単に書いておくと、彼のこれまでの最大の業績は、トゥールーズ・キャピトル劇場とそのオケの音楽監督として数々のフランス物を採り上げたことだろう。歌劇場は 1968年から 1983年の 25年間、オケの方は、1980年から 2003年の 23年間という、長きに亘っての名コンビであった。現在このオケの音楽監督は、このブログで何度も絶賛しているトゥガン・ソヒエフなのであるが、ソヒエフがその天才を思う存分発揮できるのも、このプラッソンの長きに亘る薫陶があったからなのだ。彼はそれ以外にも、ドレスデン・フィルの音楽監督も務めていたし、NHK 交響楽団には何度も客演している。また、近年は北京の中国国家交響楽団の首席指揮者を務めているらしい。彼がこの新日本フィルに過去登場したことがあるのか否か分からないが、曲目も、もともとエリシュカが予定していたチェコ物から、彼が得意とするフランス物に総入れ替えし、堂々の来日である。今回の曲目は以下の通り。
 ドビュッシー : 「夜想曲」より雲・祭り
 ドビュッシー : 「聖セバスティアンの殉教」交響的断章
 フランク : 交響曲ニ短調

うーん、確かにちょっと渋いか。もし前半のドビュッシー 2曲が、牧神の午後への前奏曲と交響詩「海」なら、もう少し集客を見込むことができたかもしれない。だが、このいずれの曲も、フランス音楽の秘曲というわけでは全くないし、むしろ、不思議な神秘性という共通点でくくることで、もっとメジャーな曲目よりも、示唆される部分が多いと思う。今回プラッソンは、いずれの曲も立って指揮し、前半の 2曲は譜面を見ながらであったが、後半のフランクは譜面台も置かない完全暗譜であった。これは若い頃のプラッソンの指揮風景。
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まず最初の「夜想曲」からの 2曲であるが、この曲はもともと 3曲から成っているものの、3曲目の「シレーヌ」には女声合唱が入ることから、この 2曲だけで演奏されることも多い。茫洋とした雲を描いた曲と、それとは対照的に、祭りの行進と沸き立つ雰囲気を活写した曲。まさにオケの技量が試されるところだが、今回の新日本フィルの音の精度は、いつもにも増して素晴らしい。今回の 3曲いずれもで大活躍したコールアングレ (森明子) が、「雲」の冒頭から素晴らしい音を、聴衆の少ないホール内に響かせた。練達という言葉がふさわしいプラッソンの滋味深い指揮に、十全の結果で応えたのである。これを聴けなかったクラシックファンの方には、少しは悔しがって頂く方がよいのではないか (笑)。
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2曲目の「聖セバスティアンの殉教」は、イタリアの詩人ダヌンツィオの「聖史劇」にドビュッシーが音楽をつけたもの。その音楽の耽美性 (因みにテキストはフランス語で書かれているが、フランス語ができなかった三島由紀夫が、フランス文学者の助けを借りながら全文を翻訳したのは有名な話) には際立ったものがある。だが、それこそ「海」のような大傑作に比べると、聴衆に対するサービス精神の点で至らないところがあるのは、致し方なかろう。今回演奏されたのは、この曲のオーケストレーションを手伝った作曲家アンドレ・カプレが原曲から 4曲を選んだ 25分ほどの組曲である。これは篠山紀信撮影による、三島由紀夫演じるところの聖セバスティアン。うーん、三島はこの上なく偉大な文学者だったのだが・・・(笑)。
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この曲には東洋的な五音音階が使われていて、第 1曲ではそれが顕著なので、日本人としては何やらノスタルジーを覚える曲である。それにしても今回の演奏は、決してオケを煽らないプラッソンの指揮に、得も言われぬ忍耐力と耽美性でついていった新日本フィルに、心から拍手を捧げたい。この曲は私にとっては、昔のミュンシュとボストン響やアンセルメとスイス・ロマンド管の全曲版で以前からそれなりに接してきたものの、それほど親しいものではない。だがその私でも、ここで流れていた音のクオリティには、実に舌を巻く思いであった。とりわけ終曲の緩やかな流れの底から光が漏れてくるような美しさには、陶酔を感じたものだ。ちょっと特別な音空間であったと思う。

そして後半に演奏されたフランクの交響曲。フランクはもちろんフランスで活躍した作曲家であるが、ベルギー出身。複雑な人種構成を持つベルギーならではと言ってよいものか否か分からぬが、彼の代表作のひとつであるこのシンフォニーには、典型的なフランス音楽というよりは、どこかにドイツ音楽の雰囲気がついて回る。もちろん天下の名曲ではあるが、最近はあまり実演で演奏されることが多くないようにも思われる。多分それには幾つか理由があって、循環形式という形式によって、楽章間で共通するテーマが出て来る割には、その点から来るドラマティックな要素があまりないとも言えるだろうし、クライマックスの盛り上がりも比較的淡泊なもの。今回改めてじっくり聴いてみると、この曲では、管楽器よりも弦楽器が、ほぼ一貫して中心的な役割を果たしている。その点もドイツ的な印象につながるものだ。その一方、オルガン奏者であったフランクは、オケを使って時にオルガン的な音響を求めていると思うものの、冒頭まもなくして弦楽器はトレモロで音の流れを作るのだ。これはオルガンでは不可能な奏法であり発想である。だから作曲者はここで、フランスの伝統や自らのキャリアから脱却し、本当に自由な音響世界を求めたのであると分かるのだ。今回のプラッソンと新日本フィルは、そのような再発見を可能にしながらも、その音響はやはりドイツ的というよりも、プラッソンらしくフランス的なもの。言葉にするのは難しいが、羽毛のような柔らかさと、前に進む推力よりは、その時々に鳴っている音の重層性が際立っていたと言えば、少しはイメージが伝わるかもしれない。ふと思い立って、帰宅してから、プラッソンとトゥールーズ・キャピタル管によるフランス音楽集成 37枚組を引っ張り出してきて、当然そこに含まれているフランクの交響曲を聴いてみたが、なんということ、1985年録音のその演奏と今回の演奏は、テンポといい音のニュアンスといい、そっくりだ。これは、指揮者の音像イメージが明確に確立している上に、その要求に応えるオケの技量が優れているということに他ならない。終演後の拍手は実に温かいもので、やはり今回会場に集ったファンたちは耳が肥えているなぁと実感し、嬉しくなってしまった。プラッソンはコールアングレの森さんにフレンチ・キッスをし、ほかの木管奏者にも、近くまで足を運んで労をねぎらっていた。本当に素晴らしい演奏会であった。因みにこれが、その 37枚のセット物。以前もどこかの記事で写真を掲載した覚えがある。
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このセット物では、実にさまざまなフランス音楽がカバーされているのであるが、ここでもまた思い立って調べてみると、今回の 3曲のうち、やはり予想通り「聖セバスティアンの殉教」だけは、録音が含まれていない。なるほど、80を超えてもフランス音楽を世界に広める使命を認識しているであろうプラッソンは、日本の聴衆のために、ルーティーンを披露するのではなく、わざわざこの曲を今回選んでくれたわけである。そうであればこそ、もっと聴衆がいて欲しかった!! もしかすると新日本フィルの宣伝にも不足があったのでは・・・という思いも沸いてくる。今の新日本フィルのレヴェルであれば、もっともっと宣伝して、聴衆の獲得に努めて欲しいものである。

by yokohama7474 | 2018-05-13 00:55 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

Commented by こっこ at 2018-05-20 22:40 x
こちらの演奏会参りまして、なんとも言えない満足感いっぱいになりました。前半の演奏は繊細の極致、胸いっぱいに温かいものが広がりました。フランクはこれまで聴いたどの実演よりも心に響くものがあり、これもまた言葉に代え難いプラッソンの世界に包まれました!

思わず久しぶりにコメントさせていただきました。いつも楽しみに拝読しております。
Commented by yokohama7474 at 2018-05-20 23:34
> こっこさん
久しぶりのコメント、ありがとうございます。おっしゃる通り素晴らしい演奏だったので、ちょっと淋しい入りだったのは本当に残念ですね。プラッソンにはまた元気に来日して欲しいものです。またお立ち寄り下さい。

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