川沿いのラプソディ


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メモ帳

フランツ・ウェルザー=メスト指揮 クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン・ツィクルス 第 1回 2018年 6月 2日 サントリーホール

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6月の東京には、多くの外来オーケストラがやってくる。hr 交響楽団 (旧フランクフルト放送交響楽団)、スロヴァキア・フィル、プラハ放送交響楽団、バンベルク交響楽団など。それぞれに興味深くはあるが、ここで名を挙げた 4団体のうち 3団体が、チェコ音楽と強い結びつきがあるので、ドヴォルザークが何度も演奏されることになって、ちょっと具合が悪い。その点、6月に最初にお目見えする外来オーケストラ、クリーヴランド管弦楽団の演奏会は、やはり図抜けたものと評価されるのである。なぜならこのオケがサントリーホールで 5回に亘って演奏するのは、ベートーヴェンの全交響曲。指揮は、2002年以来このオケの音楽監督を務めている、1960年生まれのオーストリアの指揮者、フランツ・ウェルザー=メストであるからだ。
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まず、クリーヴランド管である。クラシックファンにとっては常識であるが、そうでない方に認識して頂きたいのは、このオケは、その歴史において、才能ある歴代の音楽監督たちに恵まれた世界の名門オケのひとつであり、非常に優れた演奏水準を長らく保っているということである。米国では、これも随分長い間、ビッグ 5という範疇があって、昔ほどはその言葉は使われないのかもしれないが、依然としいてその 5楽団が、米国のトップを争っている。それは、アルファベット順にボストン響、シカゴ響、クリーヴランド管、フィラデルフィア管、ニューヨーク・フィルの 5楽団である (ロサンゼルス・フィルやサンフランシスコ響がそれに続く)。前回の来日は 2010年であるから、8年ぶりに東京でその演奏を聴くことができるのである。一方、指揮者の W=メストは、1992年にロンドン・フィルの音楽監督として初来日、病気で帰国してしまった巨匠クラウス・テンシュテットの分もすべて指揮して話題を呼んだ。当時は有望な若手指揮者という位置づけであったが、その後も世界的な活躍が続き、名声を博して行った。オペラではチューリヒ歌劇場、そして世界最高峰のウィーン国立歌劇場の音楽監督を歴任、それぞれ来日公演も果たしている。ウィーン・フィルとは、過去も来日公演があったし、今年 11月にも来日が予定されている。だがなんと言っても、オケのポストとしてはこのクリーヴランド管とのコンビが、彼と抜群の相性があると評価されるのではないだろうか。私自身は、正直なところ、これまで決して W=メストの熱心な聴き手というわけでもない (例えば 2010年の来日時には、内田光子の弾き振りによるモーツァルトのコンチェルトは 2度聴きに行ったが、W=メスト指揮の演奏会には行かなかった)。だが今回は、楽団創設 100周年ということで、東京でベートーヴェン・ツィクルスを開いてくれるわけであるから、長く好関係が続いているこの指揮者とオケの、最高の共演を聴くことができるのではないかと期待して、5回の演奏会すべてに出掛けることとした。

今回のベートーヴェン・ツィクルスは、「プロメテウス・プロジェクト」と題されている。W=メスト自身がプログラムにメッセージを寄せていて興味深いが、要するに、ヨーロッパ全土が政治・社会・哲学の面で激動の時代を迎えた時期に生きたベートーヴェンは、自ら「善を求める闘士」になることを決意し、人間の思想と理想について熟考しながら創作活動を展開した。彼の音楽では常に内面的なドラマが曲を前進させており、そのドラマの主軸となっているのは、人間の善良さと、よりよい世界を志向する人間としての責務であり、それこそがベートーヴェンの音楽の不朽の価値である (先に新国立劇場で行われた「フィデリオ」の公演に気分を害された方は、そうだそうだと、大声で唱和されるものと思います。笑)。神話の世界で人類に火をもたらしたプロメテウスは、まさに自らの身を顧みずに正しいことを行った英雄であり、その存在は、ベートーヴェンの世界観に直接つながっている。それゆえ、プロメテウスというレンズを通してベートーヴェンの作品を考え、この思考枠の中で彼の音楽を聴くことで、私たちは彼の音楽の真価を知ることができる。これが W=メストの考え方の骨子である。実に説得力があるではないか。これは、ギュスタヴ・モローの描くプロメテウス。鷲にはらわたをつつかれながらも、その眼差しは意志に満ちている。
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さて、ベートーヴェンの交響曲を全曲演奏する場合、オケの編成規模もさることながら、その曲目の組み合わせが問題になる。2013年のティーレマンとウィーン・フィルの来日公演では、番号順に演奏して行くという方法が取られたが、そうすると、日によって演奏時間がかなり異なってくるので、極めて異例の方法である。それから、コンサートのメインとなる盛り上がりのある曲を最後に持って来る方が座りがよい。そんなわけで、3番・5番・7番・9番をトリとして、その他の交響曲をその前に組み合わせたり、序曲やピアノ協奏曲を入れることも多い。今回のプロメテウス・プロジェクトでは、極めて個性的な発想で曲目が決められているので、それぞれの演奏会ごとにご紹介して行こう。まず初日は、以下のようなプログラムであった。
 「プロメテウスの創造物」作品43序曲
 交響曲第 1番ハ長調作品21
 交響曲第 3番変ホ長調「英雄」作品55

なるほど、やはりプロメテウス・プロジェクトだけに、まずはバレエ音楽「プロメテウスの創造物」で幕開けである。そして、多くの音楽ファンが知る通り、第 3番「エロイカ」の終楽章の変奏曲のテーマは、このバレエ音楽の中の曲に由来するものだ。さすがよく考えられている。折しもこの演奏会の開始は、2018年 6月 2日 (土) の 18時。しつこいようだが、新国立劇場での「フィデリオ」の最終公演は同じ日の 14時開演であったので、ちょうどその忌まわしき演出が完了してから、この東京で、人間の善の回復に向けた戦いが始まったこととなる。だが、会場に入ったときに、オケのサイズを見てちょっと驚いた。練習しているコントラバスが 2本しか見当たらない。こんなことで、善の回復に向けた戦いができるのか!! と心の中で焦りを感じたものだが (笑)、その後奏者が徐々にステージに姿を現わし始め、結局コントラバスは 4本で演奏が開始した。だがこれは、ベートーヴェンの演奏としては極小サイズ。もしかすると、いわゆる古楽風のこの編成で、9曲全部を演奏するのだろうか。だが、ヴァイオリンの左右対抗配置は取っておらず、弦のヴィブラートもかかっている。だから、演奏スタイルは決して古楽風ではないのである。ともかく、冒頭の序曲からして、世界有数のオケの響きたるもの、いかに素晴らしいかを実感した。そこには無用な力みもないし、情熱の空回りもない。古楽を真似た軽さもないが、昔の演奏のような鈍重さもない。軽やかではある、だが同時にドラマティックで推進力に満ちた、充実した響きなのである。続く交響曲第 1番も、小股の切れ上がった愉悦感溢れる演奏でありながら、上記のような W=メストのメッセージを読んでいたおかげだろうか、とにかく響きの充実にドラマを感じるのであった。W=メストという人は、かなりクールに見えるタイプで、指揮しているときにはニコリともしない。また、楽章間で指揮棒を下ろしているときにも姿勢に緊張感が漲っているので、客席の咳も控えめだ。つまり、この演奏会は儀式のように、人々の心をぐっと掴んで進められるのである。
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さて、休憩後に席に戻って驚いた。楽員の数が大幅に増えているではないか!! そして、前半から会場内の雰囲気と RB ブロックの空席で、VIP の来訪は予期されていたが、なんと、天皇・皇后両陛下が後半の「エロイカ」の鑑賞のために入って来られた。演奏会で皇室の方々をお見かけするのは決して珍しいことではないが、平成も残り少なくなった今日この頃、天皇・皇后両陛下と、窓ガラスも隔てずに同じコンサートを鑑賞することには、また格別な幸福感を覚える。もちろん聴衆は総立ちとなって拍手でお迎えし、両陛下は笑顔で手を振られていた。

そんなわけで、驚いたことに後半の「エロイカ」は、ベートーヴェン演奏としては今どき珍しい、コントラバス 8本、木管は倍管 (つまり、スコアの指定は各 2本ずつであるところ、各 4本ずつ) の大編成。ホルンは 4本で、トランペットだけが、指定通りの 2本だった。これは、第 1番からすると驚くべき膨張だ。つまり W=メストの意図は、ベートーヴェンの目指した音楽は、1番から 3番の間に大いに飛躍し、これだけの規模の編成を必要とするだけのドラマティックな要素を獲得したのだ、と表現することにあったのだろう。そして、第 1楽章の提示部の反復を行わなわずに進んで行く。おっとこれは、第 1楽章コーダのトランペット (「英雄」のテーマを吹く途中で演奏をやめてしまう。奇異に響くが、原典主義の昨今では、楽譜通り演奏される) も、堂々と「英雄」のテーマを 2回繰り返すのでは、と思ったが、そこはさすがに 1回のみであった。全体を通して、決して昔のドイツの巨匠たちのような重々しい音楽ではなく、軽やかさも充分に備えていながら、あらゆる箇所に音楽的感興が満ちていて、実に惚れ惚れするような演奏であった。それはつまり、指揮者にはこのように音が鳴るべきという明確なヴィジョンがあり、その意図をオケが完璧に汲み取って、最高の音にしているということだろう。ステージを見ると、クリーヴランド管のメンバーたちは、ベテラン男性も多い一方で、若い女性もそれなりにいる。年齢も性別も関係なく、全員が同じ音のイメージを共有しているから、このような演奏ができるのであろう。実に瞠目すべき演奏であった。

今回のツィクルスの曲目編成を見ていると、非常に完成度が高いので、どの日もアンコールはないのではないかと思われたが、案の定、初日はアンコールは演奏されず。天皇・皇后両陛下が退出されるまで拍手が続き、独特の高揚感が会場を満たしていた。実はこれを書いているのは、既に 2日目の演奏会も聴いたあとなので、今回のシリーズで W=メストが指向する音響について、昨日時点よりも私の中でイメージが固まっている。充実のシリーズを残り 4回、大きな期待をもってレポートして行きたいと思います。

by yokohama7474 | 2018-06-03 18:34 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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