フランツ・ウェルザー=メスト指揮 クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン・ツィクルス 第 3回 2018年 6月 5日 サントリーホール

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オーストリア出身の名指揮者、フランツ・ウェルザー=メストと、その 15年来の手兵クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン・ツィクルスは、1日の休みを置いて、第 3回の演奏会が開かれた。過去 2回の演奏についてはこのブログでも絶賛をもって記事にしたのであるが、何よりも毎回毎回、いかなる編成で演奏するのかという点に注目せざるを得ない。W=メストが、プロメテウス・プロジェクトと銘打って行っているこのツィクルスにおいては、人類に火をもたらした罰で永遠に転生を繰り返す英雄のごとく、昨日と今日は異なる日であるとの実感をもって臨む必要がある。とまぁ、そんな大げさなことを言わなくても、音楽を楽しめばよいと思いますが (笑)、この日のプログラムは以下の通り。
 序曲「コリオラン」作品62
 交響曲第8番ヘ長調作品93
 交響曲第5番ハ短調作品67

このシリーズのこれまでの特色は、コンサート前半に序曲と比較的穏やかな交響曲、後半にドラマティックな交響曲を配置することである。この日もそのパターン。それから、前半と後半との間ではオケの編成は変えるが、前半の途中で編成を変えることはない。結果的に、前半に演奏される交響曲の弦楽編成に応じて、冒頭の序曲の編成も変わるということになっている。そして、面白いから最初に書いてしまうが、この日の前半の弦楽器は、コントラバス 7本、チェロ 8本、ヴィオラ 10本。木管楽器はオリジナル通り 2本ずつ。そして後半はなんと!! 弦楽器はコントラバス 9本!! チェロ 11本、ヴィオラ 11本であった。木管は倍管 (各 4本、ピッコロとコントラファゴットは持ち替え)、金管は、ホルン 3本のほかは、トランペットはいつもの 2本、トロンボーン 3本と、これらはスコアの指定通り。それにしても、古楽隆盛、原典主義全盛の今日、ベートーヴェン 5番をコントラバス 9本で演奏する指揮者が、一体どれだけいることだろう。W=メスト、プロメテウスばりの勇気である!!
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まず前半である。過去 2回を聴いて、比較的穏やかな (通常よく言われる偶数番号の) シンフォニーのコントラバス本数は、1番が 4本、4番が (私の数え損ないでなければ) 6本であったことから、事前の私の想像では、(次回演奏される) 2番が 1番と同じ 4本、(今回演奏される) 8番が 4番と同じ 6本であろうと思ったのだが、この 8番、あえて 7本と来たのは驚いた。もちろん、8番は一筋縄では行かない大交響曲の側面もあるので、4番よりも少し重低音を充実させようという意図は分からないではないのだが、それにしても細かい修正だ。そしてこの編成で鳴り出した序曲「コリオラン」は、シェイクスピアの「コリオレイナス」に材を取った同時代の戯曲に触発されてベートーヴェンが書いた演奏会用序曲であるが、前回の「エグモント」同様、やはりここでも英雄がテーマになっているので、このプロジェクトにふさわしい曲であると言える。実は私は、ここでの冒頭の音の充実度が、過去 2回のレヴェルにほんの僅か及ばないような気がした。見ると、コンサートマスターが、前 2回よりも若い人に変わっている。それが直接関係しているのか否かは分からないが、コンサート前半を通して、過去 2回よりも少し呼吸が浅かったようにも思われたのである。だが、それでもこの「コリオラン」、各パートの流れが克明に見えるような明快な演奏であり、休符の箇所でも音楽は停滞せず、ドラマを巻き起こしながらの休止であった。超一流の指揮者とオケであることは、これだけでも明らかだ。続く 8番も、何か変わったことをするでなく、無用な気負いもなく、当たり前のように音が流れ出して、当たり前のようにドラマ性や喜悦感を作り出す点においては、本当に見事だと思った。この曲の再評価を迫るというタイプの演奏ではないが、だが W=メストの信念のようなものはあちこちで感じることができて、ある種の高い職人性こそが、優れた指揮者にとって必要な資質なのだということを、改めて実感することとなった。

そして、第 5番。上記の通りコントラバス 9本という、時代遅れとも思われかねない大編成であったが、しかしその演奏スタイルは、決して古臭いしんねりむっつりしたものではない。この曲、冒頭の休符のあとに流れ出す音楽の勢いには、様々な表現方法があるが、W=メストのそれは、いたずらに音を引きずらず、ぐっと力を入れたあと、すぐにそこで音を刈り込んで、すかさず次に進んで行くようなイメージ。巨大編成ではあっても、出て来る音は大変に引き締まっている。畳みかける音が雪崩を打って展開して行くときも、興奮に我を忘れるということはなく冷静に、だが強い集中力をもってオケをリードして、純粋に音そのもののドラマを作って行く。これはやはり、このレヴェルの指揮者とオケのコンビでなくてはなしえない、非凡な演奏であろう。最初から最後まで充実した音を楽しめる快演であった。ただ正直、前回の 7番ほどの高い燃焼度には僅かに至らなかったような気もするが、それは欲張りというものか。この日もアンコールはなく、その点もシリーズのコンセプトであるらしい。

さて、以前も書いた通り、このベートーヴェン 5番は、同じ作曲家の 6番「田園」とともに、1992年、W=メストが代役としてロンドン・フィルを指揮して日本に初お目見えした曲。そのときの資料が何か手元にないか探してみたが、どうしても出て来ない。そこで今回は代案として、W=メストがその当時の手兵ロンドン・フィルを率いて 2度目に来日したときのチラシをお目にかけよう。それは 1995年のこと。ソリストとして同行したのは、当時一世を風靡したピアニスト、スタニスラフ・ブーニンである。このチラシが面白いのは、明らかに W=メストよりもブーニンの方が写真が大きいし、ロンドン・フィルの宣伝をするのに、「英国の伝統云々」と称して、ビッグ・ベンの写真を掲載しているあたりに、主催者の苦労が見える (笑)。当時既に世界的な活躍をしていたとはいえ、日本ではあまり知名度のない 35歳の若手指揮者という扱いだったわけだ。
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それから四半世紀近く経って、W=メストが堂々と練達の音楽を聴かせてくれる東京は、なかなかにエキサイティングな街に違いない。だが、今回は聴衆の入りがもうひとつ。これはもったいないと言わざるを得ないのである。プロメテウス・プロジェクトの演奏会は残り 2回。是非多くの方々に聴いて頂きたいものである。

by yokohama7474 | 2018-06-06 00:37 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

Commented by 通りすがり at 2018-06-06 16:12 x
こんにちは。前回の4番7番の時にお邪魔しました。今回も8番5番を聞いてきました。特に5番は凄かったですね。それまでの演奏を吹っ飛ばしてしまう感じでした。ウェルザーメストの音楽は、どちらかというと重厚さはなく、悪く言えば軽い感じだと思いますが、9本のバスなどのあれだけ低音を厚くしたなかで、インテンポにするとこうも素晴らしい演奏になるんだと思いました。低音でアンカーしないとスポンスポンに軽い演奏になったかもしれないですね。ウェルザーメストの解釈を体現した楽団にも大拍手です。
 ピリオド奏法って難しいと思います。当時の楽譜に忠実にしたって、当時とは楽器も変わればコンサートホールも変わっている。そんな中で当時の聞き手と今の聞き手の感じ方にどういう違いがあるのか。答えはないですが、今後も聴いていく中で心に留めておきたいです。
Commented by yokohama7474 at 2018-06-06 22:44
> 通りすがりさん
続けてのコメント、ありがとうございます。とても「通りすがり」さんではなく、嬉しく思います (笑)。ご指摘の通り、作曲者の意図した響きには、どうしてもその時代のホールとか楽器の性能の制限があるので、何をもってオーセンティックな解釈と言えるのかは、永遠に議論が尽きない問題だと思います。大事なことは、演奏される音楽が、その時代の聴衆にとって説得力があることでしょうが、きっとベートーヴェン本人がもしこの演奏を聴いたら、ポンと膝を打って喜ぶことと思います。これは素晴らしいことだと思います。

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