フランツ・ウェルザー=メスト指揮 クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン・ツィクルス 第 4回 2018年 6月 6日 サントリーホール

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フランツ・ウェルザー=メストと米国の名門オケ、クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン・ツィクルス、題してプロメテウス・プロジェクトの第 4回。これまでの 3回はいずれも、最初に序曲、次に比較的穏やかな交響曲 (一般に言う偶数番号の交響曲と、第 1番)、休憩を挟んで後半にダイナミックな交響曲 (一般に言う奇数番号の交響曲) を演奏するというパターンであった。だが今回は違う。これは極めて特殊なプログラム構成だと思うし、世界で何百回ベートーヴェン・ツィクルスが行われてきたか知らないが、多分こんな組み合わせは前代未聞ではないだろうか。
 交響曲第 2番ニ長調作品36
 交響曲第 6番ヘ長調「田園」作品68
 「レオノーレ」序曲第 3番作品 72b

つまり、前半に比較的穏やかな偶数番号の交響曲を演奏するのは同じだが、序曲は演奏しない。そして後半に、まず再度偶数番号の交響曲を演奏して、その後、激しく盛り上がる序曲で〆るという構成。私がこのシリーズの初回で申し上げた通り、どのベートーヴェン・ツィクルスでも、各コンサートの〆となるのは 3・5・7・9番。それは確かに今回のシリーズでもそうなのであるが、6番「田園」という、40分もかかる、しかも西洋音楽史上屈指の傑作をどこに置くかは、確かに考えどころである。今回のシリーズでは、2番との組み合わせとなり、そのこと自体は珍しくはないものの、プロメテウスの英雄性をテーマにしたこのシリーズでは、この「田園」のあとに「レオノーレ」序曲 3番を持ってくるという大胆な試みに出た。さて、その結果やいかに。
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ここで、毎度注目しているオケの編成について書いておこう。前半の 2番は、一言で言ってしまうと、前日の 8番と同じ。つまり、コントラバス 7本に、チェロ 8本、ヴィオラ 10本だ。なるほど、ここでも私の事前の予想、つまり 1番と同じくコントラバス 4本ではないかという読みは、あっさりと外れてしまったわけだ (笑)。いい加減なことを言って申し訳ありません。そして後半は、前日の 5番と同じ。つまり木管は倍管にして、弦楽器は、コントラバス 9本、チェロ 11本、ヴィオラ 11本であった。「田園」は、5番と違って、嵐を表す第 4楽章以外は穏やかな楽想に満たされているので、低音を充実させてオケをダイナミックに響かせるようなタイプの曲ではないのだが、あえてこの 2曲の編成を同じにするには、それなりの考えがあってのことだろう。

交響曲第 2番は、ベートーヴェンのシンフォニーとしては地味な曲であることは否めないが、私は大好きである。例えば、N 響を指揮した雄大な名演が未だに愛されている旧ユーゴ出身の巨匠指揮者ロヴロ・フォン・マタチッチは、自作の「対決の交響曲」という曲の前座には、必ずこのベートーヴェン 2番を組み合わせていたという (私も 1984年 3月、85歳のマタチッチが最後に来日したときにその実演を聴いている)。戦争が絶えない人類の未来に、なんとか希望を見出そうとする「対決の交響曲」という作品のコンセプトに、聴覚の障害を自覚し始めた苦悩の時期にベートーヴェンが書いた、明朗で希望に満ちたこの第 2番がよく合うという理由であったという。小規模な曲ながら、生きる希望に溢れているのがこの 2番だ。その一方で、頻出するスフォルツァンド (急激な強音) が、次のシンフォニーである第 3番「英雄」の冒頭の 2つの和音につながったという説を読んだことがある。明るいが、決して貴族的な優雅さではない、粗野なまでの生きる力に満ちた曲であり、そのエネルギーが、人類史上前代未聞の規模と内容を持つシンフォニーとなった次の「英雄」につながったということだろう。今回の W=メストとクリーヴランドの演奏では、粗野という言葉は当たらないが、曲の隅々まで光が当てられた素晴らしい流麗さによって、この音楽の持つ力が十全に表現されたと思う。コンマスは前回の 8番・5番と同じ比較的若い人であったが、弦楽器全体の美しい歌を率いていて見事。W=メストもこれまで同様、オケを煽ることはせず、着実なテンポで、だが燃焼度の高い指揮ぶりである。素晴らしい充実感だ。
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そして、休憩後の「田園」。これもまた実に美しい演奏で、私がこれまでに何度となく実演で聴いてきたこの曲の演奏の中でも、屈指の名演であったと思う。冒頭部分はかなり速めのテンポであったが、どの声部もごく自然な流れを作り出し、しかも、なかなかよい言葉が見つからないが、軽薄さのない響きとでも言おうか、ただ譜面をなぞっているという感覚とは程遠い実在感に満たされていたのである。以前、この曲の生演奏にはなかなか納得しないと書いたが、この演奏はその数少ない例外。なぜこんな実在感のある音が鳴っているのか、その説明は私にはできないが、これまでこのシリーズで聴いてきたこのコンビの成熟が、「田園」という、親しみやすくも難しい音楽に、稀有な美観と命を吹き込んだとしか言いようがない。この曲の最難関は終楽章であると私は思っていて、これは人々の神への感謝の音楽だが、決して宗教的でなくてもよいから、生きることの尊さを感じさせつつ、それはまさに人間の生命に限りがあるからだという哀しみをも感じる演奏をこそ、聴きたいのである。喩えて言えば、雲ひとつない晴れ渡った空に、ふと死を感じるような、白昼夢のような美しくも恐ろしい音楽。私がこの曲の実演でそのようなことを感じたのは、今すぐに思い出せるのは、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの演奏くらいである。だがそれは、超スローテンポの異形の演奏。それに対し今回の W=メストとクリーヴランドの演奏には、全く奇をてらうことのない美しい流れの中で、そのような高い境地の音楽が実現していた点、本当に素晴らしいと思ったのである。また、この滔々と流れる演奏において、第 2楽章末尾でフルートが鳥の声を模して歌う部分でだけは、例外的に思い入れたっぷりの表情が聴かれた。これは多少意外だったが、今思い出すと、全曲の中でよいアクセントになっていたと思う。

実は、私はこの「田園」を聴いたあと、静かに会場をあとにしたいと思ったのである。だが、コンサートの最後には、名曲「レオノーレ」3番が演奏されたので、もちろんそれも聴いたのであるが、ここでも、それはそれは見事な演奏。見事な演奏ではあったのだが、正直なところ、やはり最後は「田園」の静かな感動で終わりたかった。プロメテウス・プロジェクトのコンセプトに鑑みると、闘いにおける勝利の音楽で終わるべきだということだったのだろうか (笑)。ともあれ、このシリーズも残すところあと 1回。いよいよベートーヴェン畢生の大作、第九である。・・・と書いて、思ったことがひとつある。第九の第 3楽章は深い歌に満ちたアダージョであるが、その末尾近くに、トランペットが何かを告げるようなファンファーレを奏する。これは、緩徐楽章において自分の内側で瞑想にふけるのではなく、次の楽章で高らかな歓喜の歌が歌われる際には、全員が顔を上げて、手に手を取り合おうということを予告していると私は解釈しているが、今回の演奏会のコンセプトも、それではなかったか。つまり、穏やかな感動に満ちた「田園」のあと、来るべき最後の祝祭である第九の演奏に向けて、皆備えよ!! という意味での、「レオノーレ」3番の舞台裏からのトランペットではなかったか。これは自分で書いていながら、こじつけの感を否定できないが (笑)、でも、そう思うと何かワクワクしてくるではないか。今回の演奏も、かなり空席の目立つ状況だったので、最後の第九くらいは、もっと席が埋まって欲しいと切に願うのである!!

さて、前回の記事では指揮者 W=メストの若い頃の来日をご紹介したが、今回はオマケとして、このオケの過去の来日についてちょっと書いてみたいと思う。これは音楽ファンにとっては常識であると思うが、クリーヴランド管弦楽団の初来日は、大阪万博が開かれた 1970年。このオケを世界最強の一角に育て上げた大巨匠、ジョージ・セルの指揮であった。さすがに私は当時は幼児であって、それは聴いていないが、初めてこのオケを聴いたのはそれでも比較的早く、1982年のこと。指揮は当時の音楽監督、ロリン・マゼールであった。今そのプログラムを手元に持って来てみると、その時がこのオケの 4回目の来日で、初来日の 1970年のあと、1974年、1978年、そして 1982年と、当時はちょうど 4年に 1回来日していたわけである。今回、2018年の来日は 10回目ということだから、1982年から現在までの 36年の間に 6回来日しているわけで、平均 6年に 1回。これは、ダントツに来日頻度の高いウィーン・フィルや、それよりは頻度は落ちるベルリン・フィルと比べても、低い頻度だと言わざるを得ない。理由は様々だろうが、このレヴェルの音楽を聴けるのであれば、もっと頻繁に日本にやってきて欲しいものだ。これが 1982年公演のプログラム。因みにマゼールの言葉の横にあるサインは印刷です。別の機会にもらったマゼールの生のサインも持っているが、いつか披露する日が来るだろうか。
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思えば、マゼールはこのとき 52歳で、現在の W=メスト (57歳) より若かったわけである。それを思うと今昔の感がありますなぁ。だがそれにしても、セル時代から現代に至るまでこのオケのクオリティが保たれているのは、W=メストの前任者であるクリストフ・フォン・ドホナーニを含め、相性のよい歴代の指揮者に恵まれたということなのだろう。米国のメジャー・オケでも、そうでないところは幾つもある。そんな稀有な存在であるクリーヴランド管弦楽団、心してその演奏に耳を傾けるべきであろう。

by yokohama7474 | 2018-06-07 00:36 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

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