川沿いのラプソディ


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メモ帳

フランツ・ウェルザー=メスト指揮 クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン・ツィクルス 第 5回 2018年 6月 7日 サントリーホール

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連続でお伝えしてきたフランツ・ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン・ツィクルスも今回が最終回。これまでの演奏会、特に前回と前々回はかなり客の入りが悪かったことをレポートしたが、なんと、今回はほぼ満員。実はこの 5回の演奏会のうち今回だけが、独唱・合唱が入ることから、チケットの価格設定が高い。それなのにシリーズで最も多くの聴衆が集まったのは奇異であるが、それは第九という曲の人気によるものであったのだろうか。一部の席では、中学生か高校生と見られる団体もいて、そういったことも関係しているのかもしれない。ともあれ、プロメテウス・プロジェクトの最終日はこんな曲目であった。
 大フーガ 変ロ長調作品133
 交響曲第 9番ニ短調「合唱付」作品125

これまでの 4回では、必ず交響曲 2曲と序曲 1曲という組み合わせであったところ、今回はそれとは違っている。交響曲が 1曲なのは、この第九が演奏に 70分を要する大作であることにもよるが、でも、前半に序曲を置くという選択肢はあったはずだ。歌劇「フィデリオ」序曲でもよかったし、「献堂式」「命名祝日」「アテネの廃墟」「シュテファン王」など、候補になりそうなベートーヴェンの序曲はまだいくつもあるではないか。もちろん、「フィデリオ」序曲を除けば、知名度はもうひとつだし、その「フィデリオ」序曲は、このオペラの最終版に作曲者がつけた曲だから、オペラの冒頭には通常 (仕方なく?) 演奏されるが、単独で演奏される機会はあまり多くない。そう思うと、W=メストがここで序曲の選択肢を捨て、弦楽合奏による大フーガを最初に演奏したひとつの理由は、偉大なる第九の前座にふさわしい序曲がなかったから、というのがひとつの理由にはなるだろう。だがそれ以上に、きっと指揮者の意図は、連続演奏会を通して築き上げてきた彼らのベートーヴェン像を完結させるには、晩年の作曲者の世界をここで聴衆に披露する必要があるということだったのではないだろうか。
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この大フーガという曲は、よく知られている通り、もともとベートーヴェンが弦楽四重奏曲第 13番の終楽章として書いた曲で、その名の通りフーガなのであるが、結局その弦楽四重奏曲の終楽章には別の音楽が書かれることになった。だがこの使われなかった終楽章は「大フーガ」として単独で演奏されるようになり、オリジナルの弦楽四重奏だけでなく、しばしば弦楽合奏で演奏される。フルトヴェングラーもカラヤンも、この曲を指揮している。だがこれは決して誰もが親しめるようなタイプの曲ではなく、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲という深遠なる謎の世界に属する曲なのである。ひとつ思い当たるのは、第九の終楽章にもフーガが出てくるので、聴覚をなくした晩年のベートーヴェンの頭の中で鳴っていた音の中に、このような巨大なフーガがあったのではないかということだ。同じ主題が追いかけ合うフーガという様式は、鷲に内臓をついばまれてもまたすぐに癒えて、同じ苦しみを永遠に繰り返すプロメテウスの姿と重なる部分があると考えるのは、このブログではおなじみの (?) こじつけになりますかね。

ともあれ、これまでの例にならってオケの編成を書いてしまうと、今回の 2曲とも、コントラバス 9本、チェロ 11本、ヴィオラ 11本。つまりは、5番、6番と同じ編成である。そして、開演前にステージに入ってきた今回のコンサートマスターを見ると、第 1日、第 2日でそのポジションを務めたベテラン奏者である。あとで調べてみると、1995年以来、ということは、W=メストが音楽監督に就任する以前からこのオケのコンマスを務める、ウィリアム・プロイシルという人だ。
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実際に音が鳴り出して思ったのは、彼がトップを弾くことで、やはりオケの呼吸が深くなるということである。ただ、その意味では、もうひとりの比較的若い奏者が、前日の 2番・6番でトップだったのは、妥当な人選であったとも思われるのである。ともあれこの大フーガの演奏は、いかにもこのコンビらしい、韜晦なところのないストレートな演奏であったと思う。迫力も充分あるが、各パートの分離もよく、これだけのクオリティの音を聴けることはそうそうないと思う。これだけの大編成の弦楽合奏であっても、およそ音が濁るということがないし、推進力にむらが生まれることもない。さすがである。

そして後半の第九であるが、合唱を務める新国立劇場合唱団 (指導 : 三澤洋史) は、ステージ奥の P ブロック席ではなく、ステージ上に陣取り、独唱者 4人は、その合唱団の 1列目の真ん中に位置するという布陣。第 2楽章終了時に舞台に登場した独唱者たちは、それぞれに国際的に活躍している歌手で、ソプラノのラウラ・アイキンは米国人、メゾのジェニファー・ジョンストンは英国人、テノールのノルベルト・エルンストはオーストリア人、そしてバスのダション・バートンは米国人で、音楽には全く関係ないが、ワイルドな髪形の黒人である。第九の理念にふさわしい、様々な人たちの顔が並んだ。合唱団は全員暗譜、一方の独唱者たちは譜面を見ながらの歌唱であったが、バスのバートンは、手に抱えたバインダーの中身は紙の譜面ではなく、タブレットであった点、現代の演奏らしくて興味深かった。さて、この第九の演奏、もちろん大変素晴らしいものではあったのだが、私の率直な感想を言えば、この異形の交響曲の演奏にしては、少し真面目すぎたような気がしないでもない。つまりここでのベートーヴェンは、まさにデモーニッシュなまでの情熱にとらえられてこの曲を書き上げたと思うがゆえに、このような、透徹はしていても狂気すれすれの熱狂のない演奏では、やはりどこかに曲の本質を表現しきれない要素があるのではないか。実は、私自身としても、聴きながら徐々にそのような思いに囚われたのはちょっと意外であった。というのも、このシリーズの素晴らしい演奏水準にこれまで感嘆してきたからで、まさに現代最高のベートーヴェン演奏のひとつを聴いているという実感があったからだ。ただ、これはこれでひとつの発見ではあった。ベートーヴェンの 9曲のシンフォニーの中でも、この第九だけはその破天荒な内容において、並ぶものがないということであろうと思う。もちろん、ここには私の好みは当然あって、このような第九がベストの演奏だと考える人がいても不思議ではない。実際に今回、終楽章のクライマックスで歌詞を歌いながら指揮する W=メストを見ていると、彼は決して情熱のないクールな指揮者ではなく。実は大変な情熱家であることも実感できた。それが今回のシリーズでの最大の収穫であったかもしれない。5回に亘るプロメテウス・プロジェクト、大いに堪能致しました。

さて、今回も少しオマケを書いてみたい。私の手元には、様々なオケの自主製作 CD があって、それぞれの名門オケの歴史を辿ることのできる貴重なライヴを多く聴くことができるのだが、クリーヴランド管弦楽団の自主製作盤で、このオケの創立 75周年を記念した 10枚組がある。なるほど、今回の来日は創立 100周年記念だから、このCD は 25年前のものである。
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この中に、W=メストの前任の音楽監督であったクリストフ・フォン・ドホナーニの指揮するベートーヴェンの大フーガ (1990年録音) があったので、帰宅後にちょっと聴いてみた。もちろん、実演と録音は単純に比較できないのは承知だが、しかし、このドホナーニの演奏も、今回の W=メストの演奏と同様、過剰な表情づけを避け、ストレートに進んで行く点、似たタイプの演奏という印象だ。前回の記事に、このオケが過去に迎えたシェフたちとの相性について言及したが、このように実際に音を聴いてみると、やはりそうなのだという気が改めてしてくる。前回の記事でその名にふれなかったエーリヒ・ラインスドルフやピエール・ブーレーズを加えても、その指揮者たちにはやはり一定の傾向 (情念に囚われるよりは、引き締まった音楽を志向する点で・・・マゼールは若干毛色が違うものの) が見られるし、しかもいずれも超一流の指揮者ばかり。その意味では、W=メストとこのオケの今後に期待が募る。このコンビでの来日はまた数年後になるのかもしれないが、W=メストの指揮なら、また 11月のウィーン・フィルとの来日で聴くことができる。これはまた、クリーヴランドとは違った期待感を抱かせるに充分なコンビなのである。

by yokohama7474 | 2018-06-08 00:27 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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